1972年の創刊以来、「ロードショー」の表紙は毎年同じような俳優たちが飾っていた。前年76年の初登場はわずかひとり。いわばスターティングメンバーが固定されていたのだ。
だが、1977年には状況が一変する。テイタム・オニール(1月号)、ジョディ・フォスター(3月号)、イザベル・アジャーニ(4月号)、リンゼイ・ワグナー(9月号)、ジュリー・アンドリュース(12月号)と、5人ものニューフェイスが登場するのだ。
なかでも注目は『ペーパー・ムーン』(1973)でブレイクし、『がんばれベアーズ』(1976)が公開のテイタム・オニールと、『タクシー・ドライバー』(1976)のジョディ・フォスターだ。この年、1963年11月生まれのテイタムは13歳、1962年11月生まれのジョディ・フォスターは14歳といずれも若い。

日本の芸能界ともリンク!? ジョディ・フォスターら、少女スターが時代をさらう!
これまで表紙を席巻してきたエレガントな大人の女優たちに混じり、ジョディ・フォスター、テイタム・オニールらティーンの才能が花開いた1977年。実は日本の芸能界のトレンドともシンクロしていた?
ロードショー COVER TALK #1977
「ロードショー」に低年齢化の第1波が

1月号/テイタム・オニール※初登場 2月号/ジャクリーン・ビセット 3月号/ジョディ・フォスター※初登場 4月号/イザベル・アジャーニ※初登場(『アデルの恋の物語』1975でブレイク、現在もフランス映画界の女王的存在) 5月号/シドニー・ローム 6月号/トレイシー・ハイド
©ロードショー1977年/集英社
それまでの最年少記録は、1975年2月号において16歳で表紙を飾った1959年1月生まれのリンダ・ブレア(『エクソシスト』1973)だったが、テイタムとジョディが一気に抜きさった。
振り返れば、カトリーヌ・ドヌーヴの創刊号以来、「ロードショー」のカバーに登場するのは主に大人の女性だった。色香や知性をまとった素敵な年上女性たちが並ぶなかで、1976年に17歳で表紙デビューしたトレイシー・ハイド(『小さな恋のメロディ』1971)は衝撃だった。
トレイシーの表紙への反響は相当なものだったに違いない。1977年は6月号で表紙を飾ったほか、「来日記念大特集」(5月号)「T・ハイドのすべて」(6月号)「トレイシー・ハイドPIN-UP」(7月号)「トレイシー・ハイドの家庭訪問記」(8月号)「トレイシー・ハイド密着取材PART2」(9月号)「『小さな恋のメロディ』全シーン・グラフ」(10月号)「独占現地インタビュー」(12月号)と特集が組まれている。
テイタム・オニールとジョディ・フォスターの起用も、こうした流れを汲むものだろう。折しも日本の芸能界では、60年代の大人っぽい女優たちとは異なり、「キャンディーズ」や「ピンク・レディー」といった若いアイドルグループが大人気。成熟した女性よりも、あどけない年下の女の子に人気が集まっていったのは、この変遷とシンクロしているかもしれない。
『スター・ウォーズ』旋風の始まり
1977年の日本配給収入トップは『キングコング』(1976)であり、『ロッキー』(1976)も8位に食い込んでいる。「ロードショー」は、こうしたヒット映画をきちんとフォローしていて、「完全劇画化!『キングコング』」(1月号)を掲載。『ロッキー』に関しても、シルヴェスター・スタローン著「ロッキーへの道」の集中連載を9月に開始している。
だが、この年に「ロードショー」がもっとも力を入れていたのは、まだ日本で公開されていない『スター・ウォーズ』(1977)だった。アメリカでの社会現象ともいえるヒットを受けて、「現地特報『スター・ウォーズ』」(9月号)「SF映画大特集『2001年宇宙の旅』から『スター・ウォーズ』まで」(10月号)「現地ルポ 劇場実況中継」(11月)「特報第4弾!」(12月)と現地の熱を伝えている。
また、1977年8月16日にエルヴィス・プレスリーが42歳で死去。これを受けて、ロードショーは追悼大特集「エルビス・プレスリーよ、永遠に!」(11月号)を掲載。執筆は、映画評論家で、のちには監督デビューも果たす水野晴郎氏だった。

7月号/アラン・ドロン 8月号/ジャクリーン・ビセット 9月号/リンゼイ・ワグナー※初登場(1976年から放送開始したTVドラマ「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」で人気に) 10月号/キャサリン・ロス 11月号/オリヴィア・ハッセー 12月号/ジュリー・アンドリュース※初登場(『サウンド・オブ・ミュージック』1965の大スター。現在も女優はもちろん、叙勲を受け、演出家・作家としても活躍)
©ロードショー1977年/集英社
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