――凱王朝の詳細な年表や、宗室・高一族の家系図が作られているように、「後宮史華伝」シリーズには架空の歴史ものとしても楽しめる奥行きがあります。『後宮詞華伝』の時点では続編は構想されていなかったそうですが、どのタイミングで凱王朝の歴史や系譜が固まったのでしょうか。
第1部第1巻『後宮詞華伝』は読み切りのつもりで書いたので、物語の展開に必要な設定しか作っていません。王朝の背景を意識して書くようになったのは第3巻『後宮錦華伝』ですね。ヒロインが未来でどういう立場になっているかについて書いたのがはじまりです。ただ、凱王朝の骨格をしっかり描写するようになったのは第5巻『後宮幻華伝』からです。「後宮史華伝」シリーズの最終的なゴールを意識しはじめたのもこの巻でした。
後宮と題しながら、第4巻までは皇帝と妃を主役に置くことを避けていました。皇帝がヒーローだと、どうしてもヒロイン以外の女性を娶ることになるので、少女向け小説の読者には受け入れがたいかな……と遠慮していたんです。思い切って書いてみた結果、いまの「後宮史華伝」シリーズがあるのだと思います。一夫多妻制は甘い恋愛を描くには不向きですが、後宮の実態を描くには避けてはとおれない要素ですので。
とはいえ、『後宮幻華伝』で書いた夜伽の手順は少女向け小説の読者に配慮してだいぶやわらかい表現にしたものでした。より史実に近づけた夜伽の作法は第2部第1巻『後宮染華伝』で描写しています。その点でいえば、『後宮幻華伝』は『後宮染華伝』のプロトタイプですね。
――皇帝の世継ぎを産む役割をもつ後宮では、皇后や妃嬪(ひひん)など多数の女性が階級制度の中で暮らしており、選ばれた人が皇帝の閨に侍って夜伽をします。一夫一婦制の現代日本とは価値観やリアリティが異なる設定の中で愛の物語を描くにあたり、大切にされている、あるいは気をつけていることはありますか?

皇后、女官らのきらびやかで残酷な「後宮」――後宮小説の第一人者・はるおかりのにその魅力を訊く その3~後宮に現代の価値観を持ち込まない
その2では、読み切りからスタートした「後宮史華伝」シリーズの発展と、物語の舞台やキャラクターについて訊いた。今回は、シリーズのモチーフとなり、また、はるおか自身も思い入れが深いという明王朝にまつわる話を中心に、現代とは異なる時代を描く上でのスタンスについて語ってもらった。
後宮に現代の価値観を持ち込まない

(『後宮幻華伝』より イラスト/由利子)
いちばん気をつけているのは、現代の価値観を持ちこまないようにすることですね。できるだけモデルにしている時代の価値観で語るようにしています。
たとえば皇帝がヒロインを溺愛するあまり、後宮を解散してヒロインだけを一生誠実に愛するという結末はいかにも女性の夢という感じですが、歴史の視点から見ると褒められたことではありません。
明王朝に弘治帝という皇帝がいます。彼の後宮には張皇后がいるだけで、ほかに妃はいません。張皇后が産んだ二人の皇子のうち一人は夭折してしまい、無事に成長したもう一人の皇子が正徳帝として天下に君臨しますが、この方はかなりハチャメチャな皇帝でして、明王朝をひっかきまわしたトラブルメーカーのひとりです(万暦帝というもっとすごい人があとで登場しますが……)。しかも彼は世継ぎを残さず崩御するので、皇統は傍系に移ってしまいます。この皇位継承劇は正徳帝のあとを継いだ嘉靖帝の御代に大礼の議なるややこしい政争を引き起こし、のちのちまで禍根を残す結果になります。皇帝が浮気(?)をしなかったことが王朝の屋台骨を揺るがす大問題に発展してしまったわけです。
――現代人の感覚からすると、一人の妻を愛しぬいた弘治帝と張皇后の関係はロマンチックに思えます。ですが、結果的に大きな問題を引き起こしたのですね。
弘治帝は張皇后にとっては誠実なよき夫だったでしょうが、それも生前の話です。嘉靖帝が伯母である張皇后よりも生母を敬うようになったため、張皇后の晩年はたいへん不遇だったといわれています。もし弘治帝が妃嬪とのあいだに皇子をもうけていて、嘉靖帝ではなくその皇子が即位していれば、張皇后は嫡母(父親の正妻)として敬われたでしょうに……。皇帝の嫡母と生母が対立することはよくあるので一概にはいえませんが、生母が亡くなっているケースなら嫡母のひとり勝ちですから、庶出の皇子がいれば幸福な晩年になる可能性はあったのです。しかし、弘治帝は張皇后以外と子をもうけていないので最初からその道は断たれているわけですね。こう考えると、弘治帝が張皇后にとってほんとうに「よき夫」だったのかも怪しくなってきます。
ご先祖様から受け継いだ王朝と愛する張皇后。弘治帝はふたつながら不幸にしてしまった……といったら、弘治帝に意地悪すぎるでしょうか。

(『後宮幻華伝』より イラスト/由利子)
――そのように考えると、弘治帝の愛も別な見え方になってきますね。
皇帝という最上級のハイスペック男性に一途に愛されるのはたしかに女性にとって憧れかもしれませんが、彼が捧げてくれるひたむきな愛情は恐ろしいほどの重責と抱き合わせになっています。なぜなら皇帝には多くの子をもうける義務があるからです。皇帝の唯一の妻になる人は王朝のためにかならず世継ぎを産まねばなりません。中国史の場合、世継ぎは男子限定です。女子をいくら産んでもだめなんです。生まれる子の性別を選べないこと、出産が命にかかわる大仕事であること、生まれた皇子が夭折してしまうかもしれないこと、無事に成人しても後継者の素質をそなえていないケースもあることをふまえれば、皇帝の唯一の妻という立場はロマンチックな恋愛物語が描く甘いハッピーエンドとは似ても似つかない、新たにはじまる苦難の第一歩といってもいいでしょう。
――つい現代社会の人間観を持ち込んでしまいそうになりますが、それだけでは描けない切実なリアリティがある。
王朝において後継者問題は永遠の課題です。中国の歴代王朝は後宮という方法でこれを解決してきました。一夫一婦制をおもに採用していた西洋の王朝でも王位継承にまつわる悲劇は絶えなかったのですから、一夫多妻制ばかりを悪者にすることはできないでしょう。誤解を恐れずに言えば、皇后や妃嬪など多数の女性が皇帝の子を産む後宮制度はひとりの女性だけに出産や育児の負担を押しつけず、皇位継承に関連するリスクをうまく分散した、ある意味では女性にやさしいシステムという側面もあるでしょう。もちろん、後宮が女性たちに強いた不自由、人権蹂躙は目に余りますが、実際にあまたの王朝で用いられ、皇統をつなげていく役目を果たしてきた後宮というシステムを、現代の価値観から一方的に批判することはしたくないと思いながら作品を書いています。
ちなみに先ほど例に出した弘治帝をモデルにして一作書こうかなと思ったことがあります。が、皇后以外に妃のいない後宮では陰謀渦巻く愛憎劇が作れないのでやめました。後宮という舞台で一夫一婦制を書くことに意義を見いだせなかったんです。現代の価値観を描くなら現代を舞台にしたほうがよいですね。同様に後宮を舞台にするなら、後宮がリアルに存在した時代の価値観に敬意を払うのがマナーではないかなと思います。

(『後宮詞華伝』より イラスト/由利子)
――各巻のあとがきでストーリーの参考にした歴史的事象が紹介されているように、はるおかさんは中国史への造詣が深く、膨大な資料をふまえて作品を執筆されています。史実を尊重しながらフィクションを描くという、そのバランスに気を使っておられるのですね。
史実をフィクションに取り入れる際には、史実は材料にすぎないということを意識しています。史実をなぞっていくだけなら、歴史書そのものを読んだほうがはるかに面白いし、勉強になります。しかし、小説はどこまでいってもフィクションなので、適度に嘘を混ぜていくことが肝要だと思います。また単純に、中国史は現代人にとって理解しがたい部分や、残虐すぎて目をそむけたくなる部分が多いので、小説として読めるレベルまでやわらかい表現にするという作業をしています。
――「後宮史華伝」シリーズの後宮制度は、明王朝を参考に作られているとのこと。さまざまな時代があるなかで、なぜ明をモデルに選ばれたのでしょうか?
『後宮詞華伝』を執筆した当時はそこまで特定の王朝にこだわっていなかったのですが、書き進めながら明の歴史を調べていくにつれて、魅力を感じるようになりました。王朝の初期は往々にして血なまぐさいものですが、明の場合はその生々しさが顕著です。粛清に次ぐ粛清、玉座をめぐる骨肉の争い、加速していく独裁と弾圧――おびただしい屍の上に築かれた血染めの王朝といっても過言ではないでしょう。
しかし、政治基盤がととのい、時代が進むにつれて、いろいろな文化があざやかに花開いていきます。陶磁器、絵画、絹織物、音楽、演劇、印刷出版など、日本に影響を与えたものもすくなくありません。有名な『三国志演義』や『金瓶梅』を生んだのも明でした。ここだけを見ると華麗な王朝なのですが、繁栄の陰ではたびたび登場する暗君のもとで官僚が私腹を肥やし、秘密警察・東廠(とうしょう)を用いた恐怖政治が行われ、残虐な処刑がくりかえされています。強烈な光と影が複雑にからみあって織りあげられた王朝であればこそ、濃密な人間ドラマを見ることができます。
――はるおかさんは明王朝のどういったところに魅力を感じているのでしょうか?
明の大きな特徴といえば、暗君が多いことですね。中国史を見るときに、私は名君より暗君や暴君に注目してしまいます。なぜなら後者のほうが面白いからです。優等生皇帝の事績をたどっていくのは教科書を読んでいるようで肩がこりますが、皇帝制度そのものを内側から破壊するような、言うなれば王朝の反逆児たる暗君や暴君は良くも悪くも個性的で、不健全な魅力に満ちており、ついつい感情移入してしまいます。もっとも、彼らの破滅的な人生につき合わされるのはごめんなので、暗君や暴君の治世には生きたくないですが……はたから見るぶんには、彼らほど想像力をかきたてる存在はありません。
不健全な魅力といえば、明を陰から支えた(?)巨大な宦官組織もそうですね。皇帝権力に寄生して欲望のままに生きた彼らの怨念じみた野心も、私が明にひきつけられる理由のひとつです。
その4へ続く
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取材・構成/嵯峨景子
後宮錦華伝
はるおかりの

2016年7月1日発売
803円(税込)
文庫判/304ページ
978-4-08-608007-1
生まれたときの予言により、両親の期待を背負って後宮を目指した翠蝶。だが皇弟・氷希の妻にされる。彼は翠蝶が皇帝の寵愛を望んでいることを知ると、「実現できるなら離縁してやる」と言い出し……!?
後宮幻華伝
はるおかりの

2017年3月1日発売
803円(税込)
文庫判/304ページ
978-4-08-608030-9
12人の妃を娶った凱帝国の崇成帝・高遊宵は、妃たちを同じ位につけ、床を共にした者から位を上げると宣言。妃たちは必死に皇帝の気を惹こうとするが、ただ一人、科学好きの令嬢・緋燕はその気になれず……。
後宮戯華伝
はるおかりの

2021年10月20日発売
869円(税込)
文庫判/432ページ
978-4-08-680411-0
絢爛華麗な後宮で、血塗られた陰謀劇の幕が開く。凱王朝を舞台に贈る中華寵愛史伝。
栄華を誇る凱帝国では、皇太子・高礼駿の花嫁の位階を定める東宮選妃が行われていた。
汪家の当主とお抱え劇団の女優との間に生まれた梨艶は、兄の勧めで礼駿に嫁ぐことに。
華やかな皇宮に気後れする梨艶は、家名に傷をつけない程度に目立たず平穏に過ごすことを望んでいたが、ある時、品行方正な青年と思われていた礼駿の隠された素顔を見てしまう。
礼駿は幼いころに生母を火事で亡くし、その事故が何者かによる陰謀ではないかと疑っていた。
母を殺めた犯人を探し出すと決意した礼駿は、血の気が多く喧嘩っ早い本性を隠し、理想の皇子を演じていたのだ。
その場面を梨艶に見られた礼駿は、梨艶を警戒し、彼女の真意を探るように。はからずも接近する二人をめぐって、新たなる事件が忍び寄り……。