1972年、映画誌「ロードショー」は産声をあげた。
創刊号の表紙はなんとフランスが誇る世界の大女優カトリーヌ・ドヌーヴ。当時は20代後半ながら、妖婉な魅力と圧倒的な演技力で確固たるキャリアを築いていた。そんなドヌーヴを表紙に起用したことから、当時の時代背景と創刊時の狙いが見えてくる。
今でこそ日本で公開される洋画といえばアメリカ映画が大半を占めるが、当時はヨーロッパ作品、とくにフランス映画の比率が高かった。それは、1950年代末にはじまったヌーヴェルヴァーグ(既成の映像手法の打破など、反逆精神に満ちたフランスにおける映画製作の前衛運動。「新しい波」を意味する)をきっかけに、新たな映画作家たちが刺激的な作品を生みだしていたためだ。
ドヌーヴの出演作に関しても『シェルブールの雨傘』(1963)や『ロシュフォールの恋人たち』(1966)といったミュージカル映画の傑作はもちろん、『恋のマノン』(1968)『暗くなるまでこの恋を』(69)『ロバと王女』(1970)などがコンスタントに公開されている。
つまり、ドヌーヴは当時の映画好きなら誰でも知っている女優だったのだ。

ドヌーヴにヘプバーン…「ロードショー」創刊を彩った圧倒的美女たち 1972
さまざまなスターと映画が飾ってきた「ロードショー」の表紙。並べてみれば、その顔ぶれはもちろん、写真の撮り方や被写体のメイクとファッション、そして特集のタイトルまでが、時代を色濃く反射しているのが見てとれる。各年を1記事にして読み解いていきたい。まずは創刊の1972年から!
ロードショー COVER TALK #1972
創刊号の表紙を飾ったのはフランスの名花

©ロードショー1972年/集英社
高まるハリウッド映画の胎動

©ロードショー1972年/集英社
創刊号の5月号の表紙を飾ったカトリーヌ・ドヌーヴの次は、永遠の妖精オードリー・ヘップバーン。その後、キャンディス・バーゲン(『愛の狩人』1971)、ジャクリーン・ビセット(『ブリット』1968)、ナタリー・ドロン(『個人教授』1968)ジョアンナ・シムカス(『冒険者たち』1967)、ジェーン・フォンダ(『コールガール』1971)、フェイ・ダナウェイ(『俺たちに明日はない』1967)が続いている。
ヨーロッパの女優が大勢を占めるなかで、注目すべきはジェーン・フォンダとフェイ・ダナウェイだ。ふたりはアメリカ女優であるだけでなく、「アメリカン・ニューシネマ」のミューズたちだ。 アメリカン・ニューシネマとは、1960年代後半からはじまったアメリカ映画のムーブメントで、『イージー・ライダー』(1969)や『俺たちに明日はない』『真夜中のカーボーイ』(1967)『ワイルド・バンチ』(1969)など、従来のハリウッド方式に逆らった作品を表す総称だ。
社会がベトナム戦争や公民権運動などで揺らぐなか、若い映画作家たちが反体制的な価値観やヌーヴェルヴァーグに刺激を受けた表現手法を用いて、意欲的な作品をつぎつぎと生み出していた。
アメリカン・ニューシネマの代表作のひとつ『卒業』(1967)は、1968年に日本で封切られ、サイモン&ガーファンクルの楽曲とともに、社会現象といえるほどのヒットとなった。「ロードショー」の創刊も、『卒業』をきっかけに若い洋画ファンが急増したことと無縁ではないだろう。実際、創刊号の特集「さすらいのヒーロー ピーター・フォンダ ダスティン・ホフマン他」では、アメリカン・ニューシネマのスターたちを取り上げている。
アメリカン・ニューシネマでデビューを飾ったスターやクリエイターたちは、のちにハリウッドの映画産業の中核を担い、世界的なヒット映画を量産していくことになる。実際、この年の最大のヒット作『ゴッドファーザー』(1972)はスタジオ映画ながら、メガホンをとったのは低予算映画出身のフランシス・フォード・コッポラだった。
ハリウッド映画が世界を席巻するその前夜に、「ロードショー」はその一歩を踏み出したのだ。
ロードショー COVER TALK

編集長が暴露! ジョニー・デップの表紙が続いたのは部数低迷のせい? フィービー・ケイツ人気は日本だけ? 「ロードショー」でいちばん売れた号は?
ロードショー COVER TALK #最終回

【ついに休刊!】のべ142人が飾ってきた「ロードショー」の表紙。最終号は意外にも…? そして国内外の大スターたちから別れを惜しむ声が届く
ロードショーCOVER TALK #2009

【休刊まであと1号】生き残りをかけて、邦画とゴシップ中心に方向転換した「ロードショー」。しかし回復できないまま、2008年最後の号を迎える。その表紙を飾ったのは、意外にも…?
ロードショーCOVER TALK #2008

【休刊まであと2年】日本俳優初の単独表紙を飾ったのは、木村拓哉。邦画の隆盛とハリウッド映画の失速、新スターの不在など厳しい条件下で、「ロードショー」は“洋画雑誌”の看板を下ろす決意を!?
ロードショーCOVER TALK #2007

【休刊まであと3年】1年の半分の表紙を飾るというジョニー・デップ祭り! 一方、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーのベビー・カバーはお見せできない…その理由は!?
ロードショーCOVER TALK #2006

女性の表紙は1年間で1回のみ! 女優主導だった「ロードショー」の歴史が完全にひっくり返ったのは、ハリウッドの体質の変容を反映していたから!?
ロードショーCOVER TALK #2005

世界のジョニー・デップはもともと、知る人ぞ知る個性派俳優だった!? 彼をスターダムに引き揚げた大物プロデューサーの秘策とは
ロードショーCOVER TALK #2004

『ハリポタ』人気にオーランド・ブルームの登場で盛り上がる洋画界。だが、日本映画の製作体制の劇的変化が、80年代から続いてきた“洋高邦低”を脅かし始める…
ロードショーCOVER TALK #2003
新着記事
【こち亀】異形さと飛行性能で大ヒット、ヒューストンからやってきた“ゲイラカイト”を知っているか?


