1972年「週刊少年ジャンプ」でデビュー。
50年の画業を、300点に及ぶ原画とコメンタリーで綴る集大成展示

『JIN-仁-』『侠医冬馬』――医は仁なりの心、今昔変わらず デビュー50周年記念・村上もとか展 【内覧会レポート】_a
↑6月3日に行われた内覧会には、村上先生の漫画家仲間が多く訪れた

2022年に画業50周年を迎えた村上もとか先生。
デビューは1972年の「週刊少年ジャンプ」に掲載された『燃えて走れ!』。伝説のレーサー・浮谷東次郎の人生を描いた意欲作で、当時のジャンプ巻末コメントでは、主人公の生家に伺って取材したことも明かされている。

↑デビュー作『燃えて走れ!』 「週刊少年ジャンプ」1972年40号扉絵
↑デビュー作『燃えて走れ!』 「週刊少年ジャンプ」1972年40号扉絵
『JIN-仁-』『侠医冬馬』――医は仁なりの心、今昔変わらず デビュー50周年記念・村上もとか展 【内覧会レポート】_b
『燃えて走れ!』 「週刊少年ジャンプ」1972年40号 新人とは思えない画力!
『JIN-仁-』『侠医冬馬』――医は仁なりの心、今昔変わらず デビュー50周年記念・村上もとか展 【内覧会レポート】_c
「週刊少年ジャンプ」1972年41号 目次・作者コメントより

当時の少年漫画は「スポーツ」「レース」「バトル」ものが中心。村上先生も数年間は「タイヤもの」「スポーツもの」を執筆していたが、このころからその内容にはヒューマンドラマ寄りの志向がうかがえる。

『JIN-仁-』『侠医冬馬』――医は仁なりの心、今昔変わらず デビュー50周年記念・村上もとか展 【内覧会レポート】_d
『JIN』 「スーパージャンプ」2002年17号扉

時代が進み、主な活動の場を青年誌に移してから、その高いドラマ性が本領を発揮する。なかでも2000年から連載された『JIN—仁—』が誕生したきっかけは、江戸時代の遊女たちに焦点を当てた本を読み、彼女たちの平均寿命の短さに<悔しい想い>を抱いたのがきっかけだと語っている。
「江戸時代に行って救ってあげたい」―――まるで作中の南方仁そのもののようなまなざしが、村上作品全体を慈愛で包みこんでいる。だからこそ、読むとかならず「明日もがんばろう」という気持ちがわいてくるのだ。

『JIN―仁―』本文より。「梅毒に冒される女性たちを救ってあげたい」という村上先生の思いがあふれる渾身のカラーページ
『JIN』本文より。「梅毒に冒される女性たちを救ってあげたい」という村上先生の思いがあふれる渾身のカラーページ
『JIN―仁―』懸命の治療により、美しさを取り戻して今際を迎えるという…作中屈指の名シーン
『JIN』懸命の治療により、美しさを取り戻して今際を迎えるという…作中屈指の名シーン
『JIN-仁-』『侠医冬馬』――医は仁なりの心、今昔変わらず デビュー50周年記念・村上もとか展 【内覧会レポート】_f
『JIN』 「スーパージャンプ」2000年19号