
1982年、本作によって頂点を極めたホラー映画の残酷描写。隆盛一途かと思いきや、この流れは途絶えて樋口真嗣を落胆させる。その理由とは!? 【『遊星からの物体X』その2】
『シン・ウルトラマン』Blu-ray特別版&配信、著書『樋口真嗣特撮野帳』も大好評の樋口真嗣監督が、1982年、高校生時点で見た原点ともいうべき映画たちについて熱く語るシリーズ連載。前回に続き、偏愛するSFホラーの魅力を深堀りしつつ、残虐描写が衰退した理由を考察する。
私を壊した映画たち 第14回
毒色に染め上げられた樋口少年の心
そもそも怪獣ブームの只中に生を受けて怪獣ブームの中で成長したおかげで、愛するものが思いっきり偏ってしまいました。
その根幹をなす『ウルトラマン』のデザイナー、成田亨さんは、毎週1体という驚異的なペースで怪獣や宇宙人を着想する際に、3つのルールを規定し己を律したといいます。かいつまんでいうと、
・存在する生物の単なる巨大化はしない
・異形のキメラ、妖怪にはしない
・臓器が出ていたり血を出したり、生理的に不愉快なことはしない
そのストイックなルールから生まれたものは、現代美術からインスパイアされた人工的でアブストラクトな、非生物とオーガニックな生物のハイブリッドによる斬新な怪獣や宇宙人たちで、テレビの前の我々は夢中になっていくんですけど、すべての怪獣や宇宙人は、成田さんのような崇高な理想に沿って作り出されたとは言えませんでした。ブームに便乗して造られるものの例にもれず、清濁ないまぜで、夾雑物だらけのまがいものまでも貪り、飽食の限りを尽くしていました。
特にあの時期の毒は本当に悪質なものが多く、それがまた魅力的でした。幼少期の純粋な心が、中毒性の高いものばかりに毒色に染め上げられ、刷り込まれ、漬け込まれたおかげで、かっこよかろうが気持ち悪かろうが、異形の怪物が大好きになってしまいました。その潜在的記憶と最新技術によるイメージが軌跡の合致を生み、1982年の『遊星からの物体X』になったのです。

異形好きの心をとらえずにおかない『遊星からの物体X』の造形
©Capital Pictures/amanaimages
タフガイといえばカート・ラッセルだぜ!
それに加えて監督のジョン・カーペンターが描く孤高のヒロイズム。
のちに『エイリアン』(1979)や『ブルーサンダー』(1983)『スペースバンパイア』(1985)『トータル・リコール』(1990)の脚本を手がけるダン・オバノンと組んだSF映画『ダーク・スター』(1974)で突如として頭角をあらわし、『ハロウィン』(1978)で初のホラーキャラクター“ブギーマン”を登場させ、ヒッチコックスタイルのサスペンスを大きくアップデートさせた『ザ・フォッグ』(1980)といった恐怖映画の新たな騎手として注目を集める一方で、『要塞警察』(1976)や『ニューヨーク1997』(1981)で男臭い硬派なアクションも手がけ、ほぼ同世代、同出身地のジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグの明快なスタイルとは一味違う作風や孤高のスタンスが、己の複雑さをアピールしたい年頃の高校生のルサンチマンを直撃。
特に『ニューヨーク1997』以降のカーペンター映画の顔になるカート・ラッセル演じる、タフで寡黙な元軍人の犯罪者プリスキンは、黒いアイパッチ、素肌に革ジャンというスタイルで、口癖は「スネークと呼べェ…(Call me Snake)」。かっこよすぎてみんなマネするんだけど誰もそのかっこよさには到達できない。唯一成功したのは、四半世紀後にリリースされたゲーム『メタルギアソリッド』シリーズの主人公、ソリッド・スネークだけだろう。

『ニューヨーク1997』のカート・ラッセル。その後もタフガイの象徴であり、72歳の現在もマーベル作品などでアクションを見せている
©Mary Evans/amanaimages
さらにカーペンターの孤高っぷりで忘れてはならないのは音楽だ。
カーペンターの立身、残酷描写の終焉
デビュー以来ほとんどの音楽を監督自身が担当。自主映画だったらいざ知らず、耳から入る世界も俺色に染め上げるのがカーペンター・スタイル。自分で使える楽器は限られているからなのか、ほとんどがシンセなんだけど、ミニマルなループのベースラインと通奏低音のコードだけなのにテンションが上がりますが、自身の監督作で初めて第三者に音楽を任せたのが本作『物体X』なのだ。
しかもイタリアの巨匠、エンリオ・モリコーネ。どういう発注が行われたのか、とっても興味深いんだけど、完成した曲はモリコーネがめちゃくちゃカーペンターの曲に寄せて作ってきたように感じますな。モリコーネなのにいつものカーペンター映画らしく、しかもシンセとオケが混在しているのでサウンドは豪華です。
撮影監督はカーペンターとは『ハロウィン』からずっと組んでいるディーン・カンディ。『物体X』以降、カーペンターだけでなくロバート・ゼメキス監督とも組むようになり、作風としては真逆ともいえる『バック・トゥ・ザフューチャー』シリーズ(1985~)や、スピルバーグの『ジュラシック・パーク』(1993)、ロン・ハワードの『アポロ13』(1995)といった1990年代のブロックバスター映画のルック——過剰な情報量をこぼさずまとめ上げながら鋭い光で陰影を刻んで、時代の立役者のひとりになっていくのです。

『遊星からの物体X』演出中のカーペンター監督(中央)
©Capital Pictures/amanaimages
『遊星からの物体X』は、単なるグロテスクなクリーチャー映画とは一線を画する映画的密度の高い作品だったのですが、当時の高校生としては、異形の怪物へ変形し崩壊する人体という等身大のスペクタクルにまずは大興奮でした。しかし、この映画が商業的に成功しなかった原因のひとつに過度の残酷描写が挙げられ、時を同じくして問題視された青少年向けのレイティングの見直しで、高い完成度の残虐描写は予算のかかった映画では控えられ、残虐な映画は控えめな予算で作られるようになって、ここまで高いクオリティの充実からどんどん離れていき、一部のみんなが期待したような流れは途絶えてしまうのです。
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