松本人志の『遺書』を読んだことがない。
私は世代的にはわりとダウンタウンど真ん中と言っていいし、お笑いも比較的好きな方だ。
しかし『遺書』は通らなかった。
ご存じの方には釈迦に説法だが、松本人志の『遺書』は1994年に出版され、約250万部発行の大ベストセラーとなった書籍である。内容は「週刊朝日」の連載記事をまとめたもので、シンプルな白い表紙に松本人志の小さいモノクロの写真が印象的だった。
出版から30年近く経っている今でもその影響を語る芸人は多く、近年の代表例としては、マヂカルラブリーの野田クリスタルが『遺書』を読んで以後、目立ちたがりの学生からストイックにお笑いを突き詰める暗い芸風に変わった」と話している。
今回はそんな『遺書』を読んでみようという企画である。
この30年、いろんなところで『遺書』に触れる人がいたため、読んだことがない私とはいえフワッと内容は知ってたりする。しかし改めて先入観なく新鮮な気持ちで読んでみたいと思う。
さて、早速アマゾンにて電子書籍ではなく紙の本で購入してみた。奥付をみると2021年12月20日第76刷。「76刷」という数字にも驚くが、意外と最近のタイミングで重版していることにさらに驚く。
この令和5年に改めて新刊で『遺書』を読もうとしているのは私くらいでは?と思っていたが、全然そんなことはなかった。いまだに普通に重版するくらい売れている。
もしかしたら『遺書』の影響を語る芸人に感化された若い世代が買ってたりするのかもしれない。『遺書』恐るべし。

松本人志が31歳で書いた『遺書』。M–1誕生前の注目発言や「大阪の芸人は二度売れなくてはならない」といった名言オリジンから感じる“松っちゃん”の真実の顔
1994年。松本人志が31歳で執筆した『遺書』。言わずとしれたこの大ベストセラーを今の時代感覚で読むとどうなるか? 数多くの芸人だけでなく、一般人にも影響を与えたとされる本書を未体験の前川ヤスタカが熟読。テレビ番組に関する記事を多数執筆するライターは、“あの頃の松ちゃん”に何を感じたのか、ありのままを書き記す。
テレビライター、初めて『遺書』を読む
後輩芸人たちの生き様をも変えた松本人志の著作『遺書』
Twitterがある今だからわかる松本人志、独特の文体
パラパラと読み始めてまず感じたのは、当時の松本人志の文章が、今のTwitterでの彼の文章と似ているということ。同じ人が書いているんだから当たり前じゃないかと思われる向きもあろうが。この時期のタレント本は口述筆記でゴーストライターがいることが多かった。
具体的にどの辺が似てるの?と聞かれると難しいのだが、たとえば語尾に照れ隠しっぽくつけてしまう一言の感じが、『遺書』と松本Twitterでは共通しているように思う。
松本は『遺書』の中でも「この連載は自身が書いている」ということを強調していたが、30年後のTwitterとの類似性でそれが裏付けられたことが面白い。
ちなみに『遺書』では、当時「週刊朝日」の連載仲間であったナンシー関が「まさか自分で書いているとは思わなかった」と松本の文才を認めるくだりがあるのだが、これには多分にリップサービスが含まれているように思う。
松本の文章は読みづらい悪文ということはないが、近年のピース又吉、Aマッソ加納、オードリー若林と言った面々のように「文才あふれる」という感じでもない。
松本人志発言のオリジンを辿る資料的価値
あとは後世にいろんなところで引用されている話が『遺書』が発端というのがわかって面白かった。主なものを挙げると「大阪の芸人は二度売れなくてはならない」「志村けんのストイックに笑いに向き合う姿勢を高く評価している」「横山やすしにチンピラの立ち話だと言われた話」などである。
もちろん『遺書』より前にテレビや雑誌などで初出ししているようなものもあるだろうが、これらの話が多くの人に知れ渡るきっかけとなったのは『遺書』だと思われる。
今では「大阪の芸人は二度売れなくてはならないってよく言いますけど」という感じで、すっかり当たり前のことのように定着しているが、それをはっきりと文章で指摘したオリジンはおそらく『遺書』なのだろう。
ちなみに『遺書』で松本人志が「男ットコ前」と高く評価した芸人は志村けんを含め4名。志村けん、島田紳助、浜田雅功ともう1名大竹まことを挙げている。他の3人に比べると松本人志と大竹まことの接点は大きくないように思うが、よくよく思い返すと大竹はM-1グランプリの審査員も務めていた。
M-1、キングオブコント、R-1…
賞レース誕生前に抱いたアイデアとは
またボクシングが好きという文脈から、コメディアンもそれぞれのネタで正々堂々同じ条件で勝負して日本一をハッキリさせてはどうかという提言もしている。
芸の内容によって適した時間があり、それを統一するのが難しい(漫才は15分、漫談は10分、コントは7-8分あたりが適性)、客層も若者にするのか年配の人にするのか、大喜利で勝負する手もあるかもなど悶々と悩んでいた。
これが書かれたのが1994年。その後、2001年にM-1グランプリが開始して以後、キングオブコント、R-1グランプリ等、ジャンル毎に分かれた賞レースが次々に開かれ、大喜利という意味では2009年からIPPONグランプリが放送されている。最近も話題になったようにその多くに大なり小なり松本人志は関わっている。

『遺書』からアップデートされた松本人志の「この先」
さて、出版から30年近く経って初めて読んでみた『遺書』。
内容には、今ならたぶん炎上するだろうなというものも多く含んでいるし、今となっては松本人志自身が変心してしまったものもたくさんある。
結婚や子供を持つことについて極めて否定的だったが、実際はその後よきパパとなり時折家族の話もテレビでする機会もある。お笑い一本でやっていくと言っていたが、歌も出したしドラマにも出たし映画も撮った。
しかしそういったことを後から意地悪に答え合わせしてあげつらうことはあまり意味がない。
私としては、当時の彼の「天才の自分が、お笑いの世界に革命を起こしてやる」と本気で考えている勢いや「その凄さをなかなか世間が真の意味で理解してくれない」という焦りが素直に感じられ、とても面白かった。
松本は「あとがたり」において、お笑いの性質上、どうしても芸能生命は短くなり、40歳がピークであとは引退するしかないだろう、そういう意味でタイトルを『遺書』にしたと語っている。
しかし還暦60歳を迎える今年。いまだ松本人志の限界は見えない。
多くの賞レースで「お笑い」の基準であり続け、『水曜日のダウンタウン』(TBS系列)など時代を象徴するバラエティに起用され、『まつもtoなかい』(フジテレビ系列)のような社運をかけるような番組を任されている。
松本の『遺書』が執行される日はまだまだ先のようである。
文/前川ヤスタカ イラスト/Rica 編集協力/萩原圭太
前川ヤスタカの考えすぎテレビ

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