ジョニーじゃないと売れなかった

1972年の創刊号から2009年の最終号まで、表紙を通じて「ロードショー」の足跡を振り返ってきた「COVER TALK」。筆者は1996年ごろに同誌でデビューしてから、13年にわたって執筆してきた。休刊の際には大きな落胆を味わったが、中の人たち…編集部はどんな思いでそのときを迎えたのだろうか。

最終回となる今回は、筆者と同期間、編集者を務めた現レーベルの杉原麻美編集長に、「ロードショー」秘話と休刊後の動きについて聞く。

──「COVER TALK」の総括なので、まずは「ロードショー」の表紙について質問させてください。最終号に向けた数年、カバーはジョニー・デップばかりになっていきますよね。初登場が2004年なのに最多20回も表紙を飾っています。これは部数の低下と関係があるでしょうか?

その通りです。当時、部数は落ちていたんだけど、ジョニーが表紙のときはそこそこ売れて、ジョニーじゃなくなるとがくっと落ちて。だから、ジョニーをやり続けるしかない(笑)。

編集長が暴露! ジョニー・デップの表紙ばかりが続いたのは部数低迷のせい? フィービー・ケイツ人気は日本だけ? 「ロードショー」でいちばん売れた号は?_1
2000年6月号~2008年5月号まで、のべ20回も表紙を飾った
©ロードショー/集英社
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──苦肉の策だったんですね(笑)。

日本中の通信社にあるジョニー写真は、ほぼぜんぶウチが買っていたと思われます(笑)。

──なぜジョニー・デップがそこまでの起爆剤になったのでしょうか?

単純にかっこいいとか、自分のスタイルを貫いているとか、もちろんそういう要素はあります。もともとはマイナーな作品を優先するアーティスト肌の人で、そんな彼を知っているってことが、一部の映画ファンにとって自慢だった。私だけが知っている存在、っていう。
でも、『パイレーツ・オブ・カリビアン』に出てメジャーな存在になり、新規ファンが一気に生まれた。昔の彼を知っているファンと、『パイレーツ』からの新しいファンの両方がブームを盛り上げていったんじゃないでしょうか。

──一方で、ジョシュ・ハートネットやベン・バーンズなどを新たな看板スターにしようとしていましたよね。

日本でこれから人気が出そうって人を紹介するのは、常に「ロードショー」のテーマでした。『ナルニア国物語』のベン・バーンズにはものすごく期待をかけていて。『ライラの冒険 黄金の羅針盤』にしても、ロンドンのジャンケット(試写と記者会見がセットになったイベント)まで編集者を飛ばして、ページもたっぷり割いていたし。どちらも次の『ロード・オブ・ザ・リング』にはなりませんでしたが。

──当時は『ハリポタ』や『~リング』に続けとばかりに、ヤングアダルト小説の映画化が相次いでいましたね。いずれもクオリティが低く、ヒットには至りませんでしたが。

悔しいのは、休刊直後に『トワイライト』シリーズが始まるんですよ。

──確かに! クリステン・スチュワートとロバート・パティンソンなんかは、むちゃくちゃ「ロードショー」向きですね。さらに『ハンガー・ゲーム』も始まって、いずれもアメリカでは大ヒットシリーズになります。

「ロードショー」がそのときまで生き延びていたら、どうなっていただろうって思います。どちらのシリーズももっと日本でも盛り上げられたかもしれない。悔しいですね。

──ちなみに、日本で人気が出るスターの特徴ってありますか? たとえば、「ロードショー」の表紙登場回数で歴代2位のフィービー・ケイツは、アメリカじゃマイナーな存在じゃないですか。

えっ、そうなの? そんな気はしてたけど。

編集長が暴露! ジョニー・デップの表紙ばかりが続いたのは部数低迷のせい? フィービー・ケイツ人気は日本だけ? 「ロードショー」でいちばん売れた号は?_2
日本でなぜか絶大な人気を誇ったフィービー・ケイツ。回数はジョニーに譲るも、1982年9月号~1990年11月号までで19回と、なんと9年もカバーガールだったので、本当の「ロードショー」の顔はこちら?
©ロードショー/集英社

──どうして日本ではあそこまで受けたのでしょうか?

金髪碧眼の女優さんって、憧れを抱いても、どうしても距離を感じてしまうものよね。その点、フィービー・ケイツは黒い目、黒い髪で、まあ、厳密には黒じゃないんだけど、日本人に近い。同じことはジェニファー・コネリーやウィノナ・ライダーについても言えます。親近感を覚えるルックスをしていることが重要なのかも。