「ロードショー」休刊の知らせは読者のみならず、出版・映画業界に大きな衝撃を与えた。だが、実は当の編集者にとっても同様だったようだ。2008年11月21日に刊行された2009年1月号が「ロードショー」最後の号となるが、編集者たちがその通告を受けたのは半年ほど前だったという。
インターネットの発達に雑誌不況、スターや人気映画の不在など悪条件が重なり、部数は低下していた。それでも、「ロードショー」を支える編集者たちの志気は落ちていなかった。数十年続く老舗雑誌があっけなく終わるはずがない、洋画が再び元気を取り戻す日がやってくると信じていた。実際、内々ではデザインの大胆なリニューアルが検討されていたという。
だが、編集長から突如休刊を告げられ、読者より一足先にどん底に突き落とされることになる。
編集部に悲しみと感傷にひたっている余裕はなかった。なにしろ雑誌作りにはたくさんの人が関わっている。歴史が長いからお世話になった人の数も膨大だ。これまで支えてくれた人たちに向かって、気の重い報告をしなくてはならない。
本業の雑誌作りも忘れてはいけない。すぐに最終号の内容に関する会議が行われ、通常号と並行して数か月をかけて準備が進められていったという。

【ついに休刊!】のべ142人が飾ってきた「ロードショー」の表紙。最終号は意外にも…? そして国内外の大スターたちから別れを惜しむ声が届く
「ロードショー」の休刊は、スタッフにとっても青天の霹靂だった。悲しみにくれながらも、読者に37年の集大成を届けるべく奔走する編集部と執筆者たち。その心を慰めたのは、世界中の新旧スターたちから届く数々のメッセージだった。ジャッキー、レオ、アンジー…
ロードショーCOVER TALK #2009
寝耳に水だった休刊

最終号の発売は2008年内だが、号数としては09年なので、1972年の創刊から数え、37年の歴史としている
©ロードショー2009年1月号/集英社
休刊の決定を覆すことはできない。ならば、せめて最終号を最高のものにして、有終の美を飾るしかない。そうした編集者たちの思いが込められたのが、「映画にFOREVER LOVE!」というタイトルがつけられた最終号なのだ。人物ではなく、映画館を思わせるセッティングの写真が使用された。
1972年から2008年までを表紙と映画で振り返る全ヒストリー「ROADSHOWクロニクル」や、業界を代表する10人の映画評論家が10のジャンルから厳選した「いつか見るべき100本の名画」など、永久保存版という名にふさわしい特集が並ぶ。また往年の大評論家の名を冠し、映画文化の発展に寄与した人物を顕彰する“淀川長治賞”も、1992年に「ロードショー」が創設したものだ。第1回の受賞者・戸田奈津子(字幕翻訳者)から第16回の李鳳宇(映画製作者。『フラガール』等)までを振り返る特集記事も掲載された。
そんななか、最大のハイライトは、トップスターからのメッセージだ。
スターへの愛、スターからの愛
「スターが告げるLONG GOOD-BYE」というページでは、アンジェリーナ・ジョリー、レオナルド・ディカプリオ、ダイアン・レイン、クリント・イーストウッド、アン・ハサウェイ、リチャード・ギア、マーク・ウォルバーグ、ラッセル・クロウらが「ロードショー」を手に持ち、思い出を語っている。6ページにわたる特集だ。
「どういうこと、ロードショーがなくなるって!? どういう意味? 良い雑誌なのに、なぜ?」(レオナルド・ディカプリオ)、「いい雑誌が、またひとつ減っちゃうのね」(アンジェリーナ・ジョリー)、「オーノー! 私のキャリアのはじめからお世話になってるのよ。何十年も取材してもらってきたのに!」(ダイアン・レイン)

スーパースターからの言葉を集められたのは、中島由紀子さんのおかげ(右ページ、ダニエル・クレイグとのツーショット)
©ロードショー2009年1月号/集英社
19人ものセレブのコメントを入手できたのは、創刊時から執筆してきた、ハリウッド外国人記者クラブの先輩・中島由紀子さんの努力の賜物だ。
前述の“淀川長治賞”の受賞者(2004年)で、いまや日本を代表するハリウッド俳優となった真田広之も、「子役の頃に、後の俳優人生のために何をすべきか模索していた時期に、“ロードショー”誌はまさに夢への扉、バイブルのようでした」とのコメントを提供している。
さらに、「ロードショー」と縁の深いジャッキー・チェンには北京で独占取材を敢行。「雑誌はなくなってもロードショーの心は形を変えて生き続けていると思います。いつかまた別の場でお会いしましょう」という嬉しいメッセージを寄せている。

北京まで飛んで独占取材を敢行。ありがとう、ジャッキー! 彼もまた「ロードショー」を象徴するスター
©ロードショー2009年1月号/集英社
創刊号から「ロードショー」はずっとスターを追いかけてきた。休刊というきっかけがあってはじめて、その愛がしっかり伝わっていたばかりか、一方通行ではなかったことを確認できたのは、編集部にとって大きな大きな慰めであったに違いない。
◆DATA◆
★「ロードショー」の表紙を飾ったスター:総勢142人(ベビーとE.T.をのぞく)
★最多登場男優:ジョニー・デップ(20回)
同 女優:フィービー・ケイツ(19回)
ロードショー COVER TALK

編集長が暴露! ジョニー・デップの表紙が続いたのは部数低迷のせい? フィービー・ケイツ人気は日本だけ? 「ロードショー」でいちばん売れた号は?
ロードショー COVER TALK #最終回

【休刊まであと1号】生き残りをかけて、邦画とゴシップ中心に方向転換した「ロードショー」。しかし回復できないまま、2008年最後の号を迎える。その表紙を飾ったのは、意外にも…?
ロードショーCOVER TALK #2008

【休刊まであと2年】日本俳優初の単独表紙を飾ったのは、木村拓哉。邦画の隆盛とハリウッド映画の失速、新スターの不在など厳しい条件下で、「ロードショー」は“洋画雑誌”の看板を下ろす決意を!?
ロードショーCOVER TALK #2007

【休刊まであと3年】1年の半分の表紙を飾るというジョニー・デップ祭り! 一方、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーのベビー・カバーはお見せできない…その理由は!?
ロードショーCOVER TALK #2006

女性の表紙は1年間で1回のみ! 女優主導だった「ロードショー」の歴史が完全にひっくり返ったのは、ハリウッドの体質の変容を反映していたから!?
ロードショーCOVER TALK #2005

世界のジョニー・デップはもともと、知る人ぞ知る個性派俳優だった!? 彼をスターダムに引き揚げた大物プロデューサーの秘策とは
ロードショーCOVER TALK #2004

『ハリポタ』人気にオーランド・ブルームの登場で盛り上がる洋画界。だが、日本映画の製作体制の劇的変化が、80年代から続いてきた“洋高邦低”を脅かし始める…
ロードショーCOVER TALK #2003
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