昭和、平成、令和と時代を越えプロレス界のスーパースターに君臨した武藤敬司が2月21日に東京ドームでの興行を最後に引退してから1か月あまりが経つ。
化身のグレート・ムタも含め、日米で数多くのプロレスラーに影響を与え、ファンの心をわしづかみにしたカリスマは、ドームに3万96人の大観衆を集め、ABEMAでのPPV配信された生中継では、プロレス史上最高の数字を残し、リングを去った。
ラストマッチでは新日本プロレス「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」の内藤哲也に加え、サプライズでデビュー戦の対戦相手で同期の蝶野正洋との試合を敢行。自由にリングを描けるプロレスならではの醍醐味を存分に謳歌し、観衆に感動を与えた。
「お前は1時間のバイトで1000円を稼ぐ。俺は1時間の試合でもっともっと稼ぐ。それが人間の価値なんだ」父の引退試合で二世であることを公表した武藤敬司の娘・霧愛の覚悟
父・武藤敬司の引退を機に新たな旅立ちを誓った霧愛が「武藤敬司の娘」として生まれ育った葛藤とこれからの覚悟を明かす。
「武藤敬司の娘」として生まれ育って…

引退した武藤敬司 ©PRO WRESTLING NOAH
3月16日(日本時間)には世界最大の団体「WWE」が「武藤敬司/グレート・ムタ」の2つのキャラクターで殿堂入りを発表するなどラストマッチの余韻は今もファンの間に漂うなど、39年に及んだリングは多くの大衆に様々な影響を与えてきた。
その中に長女でシンガーソングライターの霧愛(本名・武藤愛莉)がいる。
2000年4月3日に武藤の長女として生まれ、幼年期からタレント、アイドルとして活躍してきた。3年前からシンガーソングライターとして活動を始めたが、以来、「武藤敬司の娘」との肩書を全面的に押し出すことは隠してきた。しかし、父の引退試合をドームで観戦し「すべてが吹っ切れました」と考え方が劇的に変化したという。
父の引退を機に新たな旅立ちを誓った霧愛が「武藤敬司の娘」として生まれ育った葛藤とこれからの覚悟を明かす。
父の引退試合を観て決めた覚悟
武藤が東京ドームで引退した翌々日の2月23日。
霧愛は、神奈川・川崎市の「川崎東口銀座街」で路上ライブを行った。ギター一本での弾き語りの後、自主制作して販売した初のミニアルバム「LOVE」に収録した曲を歌い、集まった聴衆から大きな拍手を浴びていた。これまでのライブでは歌うだけでMCはほとんどなかった。しかし、この日は父の引退試合に触れ、「武藤敬司の娘」であることを伝えた。そこに22歳で訪れた心の変化があった。

川崎東口銀座街での路上ライブ
「今までのライブは歌いっぱなしで自分のことはすべて隠していました。だけど、私は武藤敬司の娘として生まれて、おかげさまで恵まれた環境で育ちました。でも、逆にこの22年間で武藤敬司の娘だからこそ、普通の人よりいろんなことがありましたし、経験しました。そのことを話すと歌のイメージが崩れると思っていました。
歌は、受け止めてくださる方の中でイメージを膨らませてほしいんです。だから、そう考えていたんですが、今はその私の思いを伝えなきゃと思ってます。自分のことを話して心を開くと、聴いてくださっている方もちゃんと私に向き合っていただけるという実感が生まれました」
考え方が変わったのは、父の引退試合だった。1984年10月のデビューから日本、米国でトップスターとなった父。しかし、必殺技「ムーンサルトプレス」で両膝に大きなダメージを負い、2018年には両膝に人工関節を入れるまでに至った。
60歳での引退は、股関節の負傷で医師からはこのままプロレスを続けると、日常生活で歩けなくなることを宣告されたから。華やかなリング上だけでなく、リングを下りた過酷な現実もさらしてきた父。その姿に霧愛の心は揺さぶられた。
「武藤敬司の娘じゃなかったらあなたに価値はない」
「お父さんは、すべてをさらけ出して戦っていました。そのありのままのお父さんをファンの方々は自分の歴史と一緒にしていたことに気が付いたんです。それは、お父さんがいいことも悪いこともすべてをファンの人に堂々とさらけ出したからだと思います。
そう考えた時に私はお父さんと真逆の考えでシンガーソングライターとして自分の本当の存在を消してやろうと思った。だけど、それは違っていたんです。自分がどういう人間で何を考えているかを伝えることが観客の方々との関係性を築く第一歩だとわかりました。お父さんからはずっと前から『俺を利用しろ』って言われてきました。
なので、吹っ切れました。これからは武藤敬司の娘でいこうって。
今は私が第二の武藤敬司になろうと思っています」
3歳でピアノ教室に通った時にピアノよりもレッスンの中で音符にあわせて、自分で思いついた言葉を載せることに熱中した。これがベースとなり、タレントとして活動しながら自分で、作詞作曲をしていた。

ピアノは3歳から、ギターは13歳から弾いている
ギターは、中学2年の2014年8月に公開された映画「ホットロード」を見た際、主題歌の尾崎豊「OH MY LITTLE GIRL」がスクリーンから流れた時に「こんな風にギターを弾きたい」と決意し、独学で学んだ。高校で自ら軽音楽部を創設。そして2020年から本格的にシンガーソングライターとして活動を始め、YouTube、路上ライブで楽曲を発表している。
歌を通して伝えたいことは「希望」だという。そこには、中学1年の時の実体験がある。
「その時に友達から『武藤敬司の娘じゃなかったらあなたに価値はない』って言われたんです。その時に私は『確かにそうだな』って本当に思ったんです。それを言われたことは私にとって重要な言葉でした」
武藤敬司が考える人間の価値とは…
生まれてから何の不自由もなく育ち、二世タレントとして注目されていた当時。友達からの言葉に霧愛は、反発もなく素直に受け止めたという。強烈な言葉を浴びた一方で別の友人から勇気をもらうメッセージもあった。

「その子から『愛ちゃんを見ていると、まるで希望を見ているみたいだね』って言われたんです。それは、私にとって、とても嬉しい言葉でした。その言葉がなかったら、『価値がない』自分にどん底まで落ちたと思います。
その時に思ったんです。人はどんなにマイナスなことを言われても信じてくれる人がいれば、前へ進めるんだって。だから、私はそんな希望をたくさんの人に歌で届けたいんです。それが私の価値だと思いますし、自分の価値を自分で考えて行動して作っていきたい。それが今、自分の目標です。
今は、恋愛とか就職とかよりも、この世界に私がどういう意味をもたらすかということしか考えていません」
父とは自宅で話題は多岐に渡り会話するという。シンガーソングライターとして活動を始めてから「やめよう」と思ったこともあった。そんな時、父から「逃げるのか」と迫られた。
「お父さんには、『お前は、ハングリー精神がない』って言われます。だけど、間違ったことは言わないんです。例えば、『お前は1時間のバイトで1000円を稼ぐ。俺は1時間の試合でもっともっと数倍稼ぐ。それが人間の価値なんだ』って言われました。
その瞬間は正直、ムカッとしましたけど、それは、本当にやってのけた人の言葉で、金銭というのは明確な指標で、そこに明らかな目指していく答えがあると思うんです。そんなお父さんが教えたくれたことを私がつなげて発信していきたいとも考えています」
「練習は歯磨きするのと一緒」
武藤敬司の娘として生まれ、日々、父が世界的なトップレスラーとしての地位を築くためにどれほどのトレーニングを重ね、食事などの日常生活でストイックでいることを目の当たりにしてきた。そんな姿は、同じエンターテインメントの世界を生きる霧愛にとって最大の教えとなっている。
「多くの人は『頑張る』という言葉は好きだと思います。だけど、私は、頑張ったことを表に出す人は、一番上までいけないと考えています。なぜかというと、お父さんは『練習は歯磨きするのと一緒』って言うんです。
お父さんの中では、頑張ろうという意識はなくて、練習は体の一部でまるで歯磨きや水を飲むような当たり前の感じなんです。ですから、頑張るとか努力とかを言っているうちは、上にいけないと思います。考え方はすごく単純です。だから、私も曲を作る上でお父さんのようにもっと単純に考えて、わかりやすい言葉で詩をつむいで、すべての日常生活が曲に直結するようになりたいと思ってます」
シンガーソングライターとしての目指す場所をこう打ち明けた。
「なんで歌を歌い続けるかというと自分の中の旅なんです。歌う先に何があるのかを知りたい。そこに辿り着くまで自分で確信をもって歩いて行きたい」
取材・文/中井浩一
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