谷崎潤一郎も三島由紀夫も「教科書なのに変態すぎない!? 文科省大丈夫!?」“変態文学”を偏愛する現役北海道大学生・吉行ゆきのが魅せられる文豪のエロティシズム
文学の楽しみ方は人それぞれだが、作品の持つ”変態性”に注目するという楽しみ方をする人もいる。それが吉行ゆきのさんだ。吉行さんは耽美で変態な内容の文学作品を愛する、北海道大学の4年生。自らを「変態文学大学生」と称して、全国各地でイベントを行いながら変態性の高い文学の魅力を発信している。「変態文学」に目覚めたきっかけについて聞いた。(全3回の1回目)
変態文学大学生#1
「変態文学大学生」になったきっかけ
──吉行さんは「変態文学大学生」を名乗っていますが、そもそも「変態文学」とはどのようなものなのでしょうか?
「変態文学」とは私が勝手に呼称しているだけなのですが、文学を「変態の究極」形態だと捉えて読み解くことと、それに当てはまる文学作品を指しています。例えば、女性の腕への偏愛がものすごいノーベル文学賞作家とか、女の尻に敷かれたい性癖を持つ文豪など、数々の作家たちが残した文学作品から「文学の変態性」を感じることがテーマになっています。

──吉行さんが変態文学に目覚めたのはどのようなきっかけでしたか?
今でこそ「変態文学」というひとつのカテゴリーを作るに至っていますが、小さい頃は本好きと変態性がそれぞれ独立していました。幼少時から本が大好きで、ミヒャエル・エンデの『モモ』やジャック・ロンドンの『白い牙』などの作品を読んでいました。図書館大好きっ子という感じでしたね。
そして、同じ頃に変態性にも目覚めてしまいました。最初に「エッチだな」と感じたのがディズニー映画『ピーターパン』に出てくるティンカーベルでした。彼女を見て「小さい人間なら手でどうだってできるじゃないか」と思い、羽をむしるといったサディスティックな欲望が出てきました。
そこからスーパー戦隊シリーズなど、ヒーローもの特撮で主人公が殴られているのを見て、私も殴られている真似をして壁にガンガンぶつかっていました。
──すごく刺激的で早熟な性癖への目覚め方ですね。
当時はこれらが「エロ」なのかがわかりませんでしたが、とにかく“ムズムズ”する感じで目にするたびに快感になっていました。小学生の頃はずっと加虐的なものが大好きで、DVDショップに行って一般コーナーにあった謎のDVDをを見てドキドキしていました。
また低学年の時には同級生の女の子と触り合いっこもしていたんです。当時夢中になっていたのが「おじさんごっこ」で、平日昼間の公園にいる変態おじさんを演じながらお互いに触り合っていました。

──エッチなおままごとという感じですね。
そうですね(笑)。また、小学生の頃はたくさんの本を読んでいたのですが、中学生になってからはアニメやライトノベルに傾倒していたため、純文学や海外文学といったいわゆる「文学」から少し距離ができてしまいました。
谷崎潤一郎で変態文学に目覚める
──先ほど「“本好き”と“変態”が別々だった」と話していましたが、両者が合体したのはいつ頃でしたか?
はっきりと本好きと変態が合体したのは高校生の頃でした。当時の国語の教科書で谷崎潤一郎の作品を知ったのがきっかけだったのですが、読み進めていくうちに「教科書なのに変態すぎない⁉︎ 文科省大丈夫⁉︎」と衝撃を受けてしまいました。
そこから谷崎をはじめ三島由紀夫など、なぜか教科書に載っていた変態性の高い文豪たちの作品を読み始めて、そこから耽美派を中心とした純文学に傾倒していって。この頃から彼らの作品を「変態だな~」と思っていました。

──耽美派の文豪たちの作品を多く読まれていたのですね。
そうですね。高校卒業後は浪人を経て北海道大学経済学部に進学しました。入学後は自由な時間をフルに使えたこともあって、ピンポイントで変態性の高い文学ばかりを読み漁っていたんです。そのおかげで高校の頃に気づいた自分自身の変態性が、歳を重ねるごとにだんだんと純化されました。
この頃ににどっぷりハマったのが、澁澤龍彦の作品や翻訳集です。マルキド・サドの『悪徳の栄え』を澁澤龍彦が翻訳していたことから彼を知ったのですが、このような方面に傾倒していったら、気づいたら海外の変態文学にも手を出していました。
澁澤龍彦からアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの『城の中のイギリス人』を学んだり、アンドレ・ブルトンなどのシュールレアリズムの作品にも傾倒したり、オスカー・ワイルドのようなデカダンス文学にも没頭しました。

──日本文学、海外文学の分け隔てなく読まれているのですね。
そうですね。また、より変態に寄ったものとしては「富士見ロマン文庫」という官能小説の文庫レーベルを読み漁るなど、大学生の頃にはとにかく幅広い作品に手を出しました。私は文章を読むのが遅いので、どの本を読むかというリサーチにものすごく時間をかけます。そのため情報が煮詰まっていき、読む本の変態性が純化されていくのです。自分の趣味嗜好に合った本しか読みたくないという感じですね。
吉行さんが考える「変態文学」とは?
──吉行さんが考える「変態文学の定義」について教えてください。
私は昔の書籍や漫画が好きなのですが、昔の作品はエロス(性)とタナトス(死)のどちらもある話がすごく多いです。ですが、今の作品はホラーならタナトスの部分だけや、変態モノならあっけらかんとした性行為があるだけなど、すごく単純なものが多いような気がします。
私が変態文学に求めるものはエロスとタナトスの併存ですね。作中に性と死の感覚や匂いが存在するものは、文学性が担保されていると思いますね。逆にどちらかが欠けていると作品としては微妙で、私の考える変態文学としての定義からは外れるのかなと思っています。ただ、なかには性癖だからオススメしている作品もありますけどね(笑)

──エロスとタナトスは表裏一体ですものね。吉行さんはどのように変態文学を読まれるのですか?
実はツッコミながら読んでいます(笑)。私はある意味で普通の人の感覚があるので、「さすがに変態すぎるでしょ!」「これはエロすぎるって!」などと言いながら作品を読んでいます。このように読んでいる理由としては、堅苦しいイメージのある文豪から滲み出る変態性を見れば「文学=高尚なもの」というイメージにとらわれず、もっと親しみやすくなると思っているからです。
大文豪というと畏れ多い気がしますよね。ですが変態な部分をツッコみながら読むと、どの作家も人間味が溢れているように感じて途端に愛おしくなります。『かいけつゾロリ』のように、真面目なものを不真面目に語るのって面白いじゃないですか。小学生のころからみんな大好きなゾロリには人生の真理が詰まっていると思います。
逆に、エロ漫画は文学的な要素を感じるものを選んでいます。こちらは文学とは逆に「不真面目なものを真面目に読む」ということをしています。ただ、あまりにも私と近い年齢のキャラクターが男性の妄想でこねくり回されているのは腹が立ってくるので、自分と遠く離れた存在の「ロリ系」を好んで読んでいます。
また、元々の性癖だった「リョナ系」(拷問系・暴力系)も好きです。小さい頃に覚えたティンカーベルの羽をむしりたいというところに近いかもしれません。実際にむしるシーンはないのですが、妄想でむしっていました。彼女が鳥籠に閉じこめられるシーンが今も大好きです(笑)。
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取材・文/福井求 撮影/佐賀章広
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