駅は街の玄関口であり、旅立ちの象徴のような場所。多くの人にとって、駅にまつわる何かしらの思い出があるのかもしれない。
その駅舎巡りを41年間も続けている人がいる。
西崎さいきさんは1981年、高校入学祝いにカメラを買ってもらったのを機に駅舎撮影を開始。以来コツコツと駅舎巡りを続けて2006年にJRの駅を全制覇した。私鉄の駅もかなり訪れており、サイト『さいきの駅舎訪問』を運営して著書も数冊出版している。
そんな西崎さんに「2022年に絶対、降りたい駅」を5つ教えてもらった。電車や駅舎が好きな方はもちろん、GWの旅のヒントにしてみてほしい。
GWに行きたい! J R全駅を制覇した駅舎マニアが教える「2022年に絶対、降りたい駅」
取り壊しを予定している駅、縁起の良い駅、金運が見込めそうな駅、あまり知られていないけれど絶景の駅……。駅舎巡りを続けて41年。2006年にはJRの全駅を制覇し、ウェブサイト『さいきの駅舎訪問』を運営する西崎さいき氏に、「今年、訪れるべき駅、降りたい駅」を聞いた。
取り壊し予定、移築……やがて行けなくなってしまう駅
1. J R東日本・中央線の高尾駅(東京都)

高尾駅北口。駅前はバスや自家用車がひっきりなしに出入りしている
「高尾駅は、再開発で駅舎の移築が決まっているので見るなら今のうちです。とても立派な駅舎で、大正天皇が崩御された際、大喪のために臨時に設けられた新宿御苑仮停車場の建物を1927(昭和2)年に移築しています」

寺社建築のような風格を感じる総ヒノキ造りの木造駅舎。改装を重ねているものの、基本的な構造は建築当時のまま(15年1月撮影)
なお移築先は、高尾駅から東に約1.5キロメートルの所にある「東浅川保健福祉センター第2駐車場用地」に決まっている。
2. J R西日本・桜井線の畝傍(うねび)駅(奈良県)

1893年5月に開業。その当時のままといわれる駅本屋(05年1月撮影)
「畝傍(うねび)駅は、その昔、天皇家が視察や休養に行くのに利用されていた駅で、貴賓室があります。また、駅舎からホームに上がるときの階段や駅舎内部が木造ですごく立派なんですよ。老朽化のため改修するという話がある一方、費用がかさむので取り壊しになるんじゃないかとも言われていますが、断定はできません」

木の手すりや天井など、手の込んだ造りが見事の一言(05年1月撮影)
「かつては橿原神宮参拝の下車駅として賑わっていたのですが、その後、近鉄線ができたためその地位を奪われてしまいました。今は無人化され、列車到着時以外は人も少なくとても静かです」
貴賓室は残念ながら非公開。しかし、不定期で一般公開されることもある。取り壊しについて具体的なことはまだ決まっていないようだが、いつどうなるかわからないので早めに見ておくことをオススメする。
こんな時だからこそ訪れたい、縁起のいい駅
3. J R北海道・広尾線 幸福駅(北海道)

1956年8月に仮乗降場として開業、同年11月に正駅に昇格。ホームは片面で、開業時から無人駅だった(87年1月撮影)
「縁起のいい駅名で言うなら広尾線の幸福駅です。この線はずいぶん前に廃線になりました。この画像は現役だった頃に行って撮ったものです。幸福駅では、駅舎に名刺や定期券がたくさん貼られていました」
「また、幸福駅の2つ隣に愛国駅という名前の駅がありまして、愛国駅から幸福駅間の切符が『愛の国から幸福へ』のフレーズで当時大人気になりました」

愛国駅。周辺に民家も多く、かつての広尾線では利用客の多い駅だった(87年1月撮影)
この切符、1973年は300万枚、以降4年間で1000万枚以上も売れたというから、いかに凄まじいブームだったかがわかる。1987年に廃線となった後も、駅名の縁起の良さや、多数の人が訪れていることから観光地として存続することになり、今も駅舎だけが残っている。
金運が見込めそうな駅も⁉
4. J R鳥山線 大金駅(栃木県)

大金駅。駅の入り口が斜めなのが特徴的(2015.1撮影)
「大金駅は、隣に大金神社という小さな神社があって、そこでお祈りしたらご利益があると、金運アップを求めて訪れる人たちがいます。大金は昔からある駅で、土地の名前が駅名になっています」

大金神社は、縁起の良い駅名にあやかって1993年に建立(15年1月撮影)
縁起のいい駅名とあって、入場券のほか、同じ鳥山線の宝積寺駅からの切符「宝積寺-大金」が、「宝を積んで大金持ちになる」という縁起切符としてよく売れていたそう。特に、宝くじの季節には大人気だったのだとか。現在、大金駅は無人駅となり、記念乗車券は売られていない。
あまり知られていないけれど、絶景の駅
5. 紀勢線 新鹿(あたしか)駅(三重県)

1956年4月の開業時そのままの駅舎(01年12月撮影)
「新鹿駅は、すぐそばに海水浴場があって、ちょっとした山の上からみたらすごくきれいなんです。ただし、紀勢線の本数が少ないので、私は隣の駅から歩いて行きました。峠越えで、峠のてっぺんで景色がばーっと開けて浜が見えて。これは感動しましたね」

まさに絶景!(01年12月撮影)
夜行列車の通路に座って夜を明かした青春時代
ここからは駅舎マニアの西崎さんに、これまでの活動を聞いた。
──駅舎巡りを始めた高校生のころは、どのあたりを巡っていたのですか?
「自宅のある岡山周辺の駅舎から回りました。岡山県の宇野駅は当時、四国高松への連絡駅として多くの乗り換え客でにぎわっていました。寝台特急の瀬戸が停まっていたりしていたのが印象的で面白かったですね」

1981年7月に撮影した宇野駅
──当時は寝台列車を見ながら、「ここからいろんな所へ行くんだなぁ」と想像を膨らませていたのですね。
「寝台特急は憧れで、いつか乗ってみたいと眺めていました。その後、高校2年の夏休みに初めて寝台列車に乗ったときは感激もひとしおでした」
――普通列車自由席が1日乗り放題となる「青春18きっぷ」が登場(1983年)すると早速、旅に出られたとか。
「山陰と九州を結ぶ、夜行の急行さんべで博多に行きました。旅の間は列車内で夜を明かしていました。あの頃はどの列車も混んでいたので、だいぶ前から並んで、改札が開いたらいちもくさんに駆けだして席を取りにいってましたね。争奪戦に敗れると通路に座ったりして一晩過ごしたり」
──長らく駅舎巡りをされる中で、特に大変な思いをされたことは?
「道に迷うことですね。時間があるからと隣の駅まで歩いていった挙句、乗り遅れることもたまにありました。昔は地図を買って見ながら巡っていましたが、それでも間違うことはあって。今はスマホのナビがあるのでそんなこともなくなりましたけど」
──駅によっては周りに人家もないので、乗り遅れたり間違えると大変ですよね。
「印象深いのが北海道の士幌線(しほろせん)です。黒石平駅で降りたのですが、そこが下り列車しか停まらないんですよね。だから、上り列車が停まる1キロ離れた隣駅・電力所前まで歩いて行ったんですけど、駅の場所が分からなくなって乗り遅れてしまいました。あそこは以前は集落があったんですけど、集団移転して人が住んでいなかったんです」

士幌線の電力所前駅。真冬に降り立つのは相当な勇気のいる駅(87年1月)
──何もないところで電車に乗り遅れるとすごく心細そうですね……。
「その日は元旦でバスも走っていなかったので、2つ手前の清水谷駅まで歩いて行きました。そこには駅を管理されているご夫婦がいて、ストーブの付け方を教えてもらったりしました。当時は北洋式ストーブといって、薪ストーブが主流でした。『消すときはここのふたをしめるんじゃい』って教えてもらいました」

1987年1月に撮影した清水谷駅
──今と昔で駅舎巡りの方法はどう変わりましたか?
「Googleマップなどのナビができてむちゃくちゃ便利になりました。あとはデジタルカメラ。昔はフィルムでしたが、かさばるのであまりたくさん持てなくて。一駅2~3枚と計算してやっていました。『もっとフィルムがあればたくさん撮れるのに……』と思ったりもしていました」
──2000年には、JR駅全駅掲載のHPも作られたんですね。

2000年にオープンした「さいきの駅舎訪問」
「それまでは写真を撮っても公開できる場がなかったので、HPを作ったことでかなり満足できました。当時はHP作成ソフトを買って、わからないなりに作りました」
──最後に、あらためて駅舎の魅力を教えてください。
「駅によってみんな形が違うので、その面白さに惹かれます。それと、列車に乗っているときは駅を内側しか見られないじゃないですか。だからどんな駅なのかを外側から、自分の目で見てみたいっていうのがあって。やっぱり駅舎って、その土地にしかないものだから、そこが面白いですね」
写真提供/西崎さいき
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