ピエール瀧が東京23区の夜を「ムダ上等」で徘徊して見つけたもの。「全部のものに平等に時間が流れていることは、残酷でもあるし、美しくもある」
ピエール瀧が、夜の東京23区を徘徊した記録を収めた書籍『ピエール瀧の23区23時 2020-2022』を刊行。2012年の刊行に続くシリーズ第2弾である本作のこと、夜の徘徊の魅力や、ソロでの表現活動にも通じる「行ってから考える」という徘徊的スタンスについても聞いた。(前後編の前編)
夜8時から翌日の昼まで歩くことも
――10年ぶりの第2弾ですが、前作に引き続き大ボリュームの1冊で。2年をかけて23区をまわった記録で、1本1本のテキストも充実していて、ある意味、タイパや効率重視の時代に逆行した作りになっていますよね。
失礼な(笑)。全部、クオリティ高いですよ。

――(笑)。いえいえ、内容がすごく濃くて面白くて。瀧さんもあとがきでおっしゃっていますが、何もないところにどう価値を見出すのかとか、「ムダを楽しむ」ことの価値を大切にした書籍だと思います。夜の散歩を扱うことや、書籍というスタイルでこのコンテンツを届ける理由から教えていただけますか?
第1弾が出たのは10年前ですけど、編集の松本さんから「本を出しませんか」という話をいただいて、夜中の散歩ものをやりましょうということでスタートしたので、この企画自体、そもそも書籍がゴールだったんですよね。
今回はこの23区、2周目ですけど、夜の8時、9時ぐらいから、下手すると朝4時ぐらいまで歩く時や、昼ぐらいまでやっていることもあって(笑)。ほぼ無目的で歩き始めて、「あ、あの建物なんだろう」とか「公園があるから横切ってみよう」って歩いていくんですけど、けっこう、黙ってる時間や、何の展開もない時間ってあるんですよね。風景もほぼ「無」みたいな時もあったりして。
そういう無言やただ移動してるだけのムダな時間があるからこそ、「あれ何?」っていうものを見つけられたりするので。書籍はそういうところをうまく構成して見せられるし、状況がわかる写真も載せられるので、そういう点でも書籍という形態は合っているんですよね。
「世界的な大事件」にも「トラックに踏まれた空き缶」にも
平等に時間が流れる
――ムダを楽しむ余裕があるからこそ見つかるものがこの本に詰まっていますよね。効率重視だと息苦しいし、いっぱいいっぱいで気付かないことも多いのかなと思います。
この情報化社会ですからね。ネットからものすごい量の、実のあるもの、ないものも全部、やってくるので。効率化の最たるものって、ネット記事の釣りのタイトルだったりもするし。それで情報を得るのは効率がいいように見えますけど、そういう情報って結局、どんどんこぼれていっちゃうじゃないですか。沁みないっていうか、わかったような気にはなってるけど、実は表面を流れていってるだけっていうことが多くて。
まあ、この本が絶対に沁みるとは言えないですけど(笑)。ムダなぶん、響くところは響くっていう側面はあるのかと思いますね。

――時間をかけずに入ってきた情報って、その分、出ていくのも早いですよね。
たとえはいいかわからないけど、性風俗と同じですよね。
――(笑)。徘徊中に登場する人たちも面白くて。コロナ禍でも強く生きている人たちの言葉に触れると、こういう厳しい時代には、それまでもしっかり軸を持って生きてきたかどうかが問われていると感じました。
そうですか? 褒めすぎじゃないすか(笑)。
――ほんとですか(笑)。コロナ禍を乗り越えた銀座で働く方々とか、すごくたくましくて。
確かに、売るほどバイタリティのあるような方々に会うと元気が出ますね。ただ、夜に歩いてるんで、コロナはあまり関係なかったりするんですよ。ムダの話にも通じますけど、バイタリティがある人からすごくいい話を聞いている時間や、地球の裏側で大事件が起こっている同時刻に、つつじの木にビニール傘が突き刺さってたりするわけじゃないですか。
そこに、味わいがあると思うんですよね。全部のものに平等に時間が流れていることは、残酷でもあるし、美しくもあるというか。コロナ禍に限らずですけど、みんなが大変な時でも、トラックに踏まれたペしゃんこの空き缶は何年も国道に転がってたりするわけで。
そういうものにも全部、等しく時間が流れていることに思いを寄せると、味わい深いですよね。
計画を立てない楽しみ方
――夜に時間をかけて歩くからこそ、思い至ることがあるんですね。
もちろん昼間も等しく存在し続けてるわけですけど、特に夜は暗くて視野が狭かったり、景色の色味が落ちたりするので、なんでもないものにも意味があるように見えてきて。こっちが勝手に何かを理解するっていう側面は、多々あると思いますね。
夜、ムダ上等で歩いてる精神状態だとそうなるんですけど、皆なかなかそれはやらなくて。夜にジョギングとかウォーキングをする人もいますけど、そこにはウォーキングっていう目的があるじゃないですか。いろんなものへの興味よりも、その目的が勝ると思うんですよね。
でも徘徊って、徘徊なので(笑)。構えを解いて街に飲み込まれていくのって、わりと簡単だし楽しいけど、みんなやろうとしない。やる必要がないのかもしれないですけどね(笑)。
「行ってから考えよう」の構えなら、
何も起こらなくても楽しめる

――構えを解いて飲み込まれていくのって、瀧さんのお仕事へのスタンスや生き方にも通じるのかなと思いました。俳優を始めた時も「役者をやるぞ!」という感じではなく、構えず、まずそこに入ってみて、目に留まったものを見て、感じて、角を曲がってみて、また見つけて、みたいに取り組んできたのかなと。
俳優もね、「よーし、今日から俳優やってみるかな」って始めたわけではないので。やらない?って言われたんでっていうね(笑)。僕もやるって言いましたっけ?って感じでやってきたので。
人って、計画を立ててそれに沿ってクリアポイントを通過して「着実に前に進んでるぞ」って確認しながら行く人と、「行ってから考えよう」っていう人がいると思うんですけど、僕は「行ってから考えよう」の人なんですよね。
旅行と同じで、いろいろ計画を立てて行く人と、とりあえず行って空港に降りてから「さてどうする」っていう人がいて。どっちも楽しさはあるんですけど、後者の方は、トラブルとか予期せぬ面白いことが降りかかってくる楽しみがある代わりに、何も起きない可能性もある。となると、何も起きない時を楽しめるような構えをしておけばいいと思うんですよね。
――不測の事態や、何も起こらない中でも楽しめる力が養われていきそうですね。
そう。行った先で、「さーて、どっちがやばそうかな」とか、「人がみんな、あっちに歩いていくから行ってみよう」っていうような直感も養われると思いますね。
初心者におすすめな「帰り道の徘徊」
――それって徘徊力というか、サバイブする能力ですよね。
よく言えばサバイブ能力ですけど、悪く言うと無責任っていう。それに毎回、巻き込まれている人たちは大変ですよ(笑)。
――私は無目的でいるのが苦手で、どうしても計画しちゃうんです。でも計画すると、その通りに行かないとへこむし、日頃の生活や人生でも、不測の事態に弱いなって思います。
無目的に歩くのをやってみたらいいと思いますよ。この本の取材をしていただいている皆さんに勧めてるのは、買い物とか友達とご飯食べに行った後とかに、電車で帰るんじゃなくて、家に向かって歩いて帰ってみること。歩けなくなったら最悪、タクシー乗っちゃえばいいわけで。
家からわけのわからない方向に歩いてみるのはしんどくても、家に帰るっていう目的があるなら歩けるでしょ。まず歩いて帰ってみるのをやると、けっこう面白いですよ。
――そうですね。帰り道からチャレンジして、生き方もちょっと考え直します。
そこまで切羽詰まんなくていいでしょ(笑)。
後編につづく
取材・文/川辺美希 撮影/南阿沙美
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