この数年、韓国の縦読みウェブ漫画「ウェブトゥーン」作品が多く話題になっている。人気の火付け役となった『女神降臨』(作:yaongyi)や、ドラマ化された『梨泰院クラス』(作:チョ・クァンジン)など日本国内でもヒットする作品が続々と登場する中で、2022年に一部で話題を呼んだのが韓国発BLマンガ『エネアド』だ。
同作が描くのは、戦争と砂漠の神セトを主人公に、エジプト神話をモチーフとした神々の愛憎劇。兄である前王オシリスを殺害して王座についた暴君セトと、最高神にならんとする彼の野望を阻む存在として現れたオシリスの息子ホルスを中心に、陰謀と執着と因果が絡み合う壮大な物語だ。
韓国では最新話が配信されるとプラットフォームのサーバーが落ちることも多々あるほどの大ヒット作が、日本でも電子書籍サイトのバナー広告をきっかけとしてBL好き・マンガ好きの間で人気を集めつつある。
本国での版元は『呪術廻戦』韓国版なども手掛ける大手マンガ出版社・ソウルメディアコミックス。日本版を配信するのは、BL作品を数多く手掛ける株式会社リブレだ。リブレのライセンス担当・山田真弓さんは、『エネアド』との出会いをこう説明する。
「弊社とソウルメディアコミックスさんは以前からお付き合いがあり、定期的に作品の紹介をしていただく場を設けています。そんな中であるとき、目に留まったのが『エネアド』でした」
韓国語はできない山田さんだったが、力強く美しい絵柄、ドラマティックなコマ展開、そして何より日本のBLマンガでは到底あり得ないキャラクター造形に惹かれた。
「オシリスというキャラクターのビジュアルにまず驚きました。なにせ顔が緑色だったので『ちょっと待って、なんですかこれ!?』と(笑)。まずは絵のインパクトに心を掴まれました」(山田さん)

“受け”に執着する“攻め”のオシリスは顔が緑色!? BLマンガ大手リブレも驚いた、韓国発「エジプト神話BL」が日本で大人気のワケ【祝日本上陸3周年】
韓国生まれのBLマンガ『エネアド』(作:MOJITO)が今話題を呼んでいる。エジプト神話をモチーフに神々の愛憎劇を描いた同作は、日本のBLマンガのセオリーからは大きく外れているにもかかわらず、人気を博しつつあるのだ。同作はどのようにして生まれ、日本に持ち込まれたのか。日韓で好まれるBLの違いは、どんなところにあるのか――。

© Mojito/SEOUL MEDIA COMICS,Inc./libre
セトの兄で冥界の神・オシリス(左)
作者であるMOJITO氏は昔からエジプト神話に強い興味を抱いており、そこへ自分の好きなストーリーや設定を加えて『ENNEAD』を描き始め、韓国のアマチュアサイトに投稿するようになったという。
「その頃はフルカラーではなく線画だけだったにもかかわらず、作画のタフさとエジプト神話に沿ったストーリー展開のすごさで口コミがどんどん広がっていき、オンリーイベント(編註:特定の作品の二次創作を扱う同人イベント)が開催されるほどの人気を得ていました」(ソウルメディアコミックスのライセンス担当・趙 恩智(チョウ・ウンジ)さん)
BLなのになかなか恋愛にならない…
掟破りでも読ませる力
熱いエジプト神話愛をもとに生まれた作品だけに、キャラクター造形もエジプトの壁画に描かれた“原作”を踏襲している。
そのため、緑色の顔に棒状のヒゲをつけていたり、大きな仮面を被って顔が見えなかったりといった、BLらしからぬキャラクターが多数登場する。
韓国で本作の担当編集を務めるソウルメディアコミックスの權 ビョリ(クォン・ビョリ)さんは「オシリスの緑色のビジュアルについては、韓国BLの中でも異質なので違和感を抱かれる読者の方もいるようです」と笑う。
キャラクターに限らず、日本のBLマンガを読み慣れた目からすると『エネアド』は、いわゆる“お約束”からは大きくかけ離れている。まず第一に、物語がなかなか恋愛に発展しない。
BLマンガは基本的に恋愛モノであり、さらに性描写も入ってくるのが一般的だが、『エネアド』の第一部前半は世界観となるエジプト神話の解説や神々の人間関係がしっかり描きこまれ、ラブシーンまでの助走がとても長く取られている。

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最高神の座を賭け、叔父と甥の争いが繰り広げられる。
この違いについてチョウさんは「あくまで私の肌感覚ですが」と前置きした上で、韓国と日本のBL読者に嗜好の差があるのではないかと分析する。
「日本の作品はメインキャラクターたちが早々に結ばれて、いわゆるイチャイチャするシーンが多い印象です。一方で韓国読者は、イチャイチャに到るまでの過程を重んじる方が多いのではないかと思います。2人が結ばれるまでのストーリーに、どんな苦難や逆境が多くあっても、そこに読者がどれだけ共感できるかが大事なんです」(チョウさん)
簡単に恋愛が成就するのではなく、さまざまな障害や苦難を乗り越えてやっと結ばれる2人の物語にこそカタルシスを感じる――。まさに韓国ドラマ的な構成だ。
「それでいうと日本の読者は、ストーリーもさることながら繊細な感情描写によるキャラクターへの没入によって登場人物そのものに愛着を持つ方が多い傾向にあるかもしれません。
だから好きなキャラクターがひどい目に遭うのは見たくないという方が少なくなく、作家や編集部もそうしたニーズを加味して作品を作っている部分はあります。
裏を返せば、スリリングな展開やスペクタクルな背景がなくても、キャラクターを一度好きになってもらえれば長く読み続けてもらえるということでもありますね」(日本版編集担当・江崎のぞみさん)
物語のカタルシスを愛する韓国と、キャラクターを愛する日本。そこにきて『エネアド』はエジプト神話ベースの壮大なストーリーと、愛と争いの中で苦悩する魅力的なキャラクターたちという、日韓両方のBL読者に刺さる要素を兼ね備えていたわけだ。
グラマラスで豪快、BLなのに
女性キャラが魅力的に描かれる
なお、性描写については日韓ではそもそも作られ方の違いもある。実は『エネアド』韓国版には、日本版では読めない“もうひとつの物語”があるのだという。
「韓国ではR19指定版とR15指定版の2パターンで配信しています。例えば、32話のセトがホルスに陵辱されるシーンはR19指定版では直接的な性描写として描かれていますが、R15指定版ではモノローグと背景シーンで構成したセトの心理描写に描き変えています」(クォンさん)
前提として、韓国の配信サイトは日本よりも年齢制限が厳密で、会員登録の際に住民登録番号が必要となる。未成年は成人コンテンツにアクセスできないようになっており、性描写を含むBL作品は閲覧できない。
「作品によっては、レイティングに引っかかる性描写を丸ごと削除してR15指定版として配信することがあります。一方、『エネアド』では該当するラブシーンをただ削除するのではなく、コマごと描き変えてR15指定版として配信しているんです。結果として、両方読んでいただくことで、より作品の理解度が深まるものになりました」(クォンさん)
こうした作り方は縦読みのウェブトゥーンならではだろう。右から左に読む日本のマンガでは構造上なかなか難しい。
ただ、チョウさんが言うように韓国国内ではR15指定版とR19指定版の両方を購入する熱心な読者もいるそうで、「商業商品として成り立つなら、日本の作品でも2パターンつくるのはアリかもしれません」(江崎さん)と、日本のBL出版社にとっても“発見”になったようだ。
ウェブトゥーンの制作手法に影響を受けた日本作品が生まれる日も遠くなさそうだ。
日本のBL好きが『エネアド』に驚くポイントはほかにもある。それは女性キャラクターの描き方だ。男性キャラクターの肉体が非常に筋肉質で魅力的に描かれているだけでなく、女神たちもそれに負けず劣らず、実に肉感的でグラマラスなのだ。
特にオシリスの妻でありセトの姉でもある魔法の神イシスは華のあるビジュアルに豪快な性格を持ち合わせており、彼女の存在が物語により厚みを持たせている。日本のBLマンガでも、よしながふみや井上佐藤など、女性キャラクターの緻密さに定評がある作家は存在する。
しかし、そもそも「男性キャラクターの物語」としてBLマンガを手にする読者が多いためか、BLを読んでいて魅力的な女性キャラに出会う頻度はまだ少ない。
「韓国では、BLの中でも女性を悪く描いたり、悪役を全部女性に任せたりするのは好まれません。特に最近はそうした描写があると、読者からサイト上のレビューなどではっきりと指摘されることもあります」(チョウさん)
このあたりは、ここ数年で数々のフェミニズム小説がヒットした韓国ならではの時代感覚が反映されているように感じられる。

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セトと魔法の神イシス(右)
誰が攻めになるかわからない、
それでも面白かった
これほど日本のセオリーと異なる部分があってなお、国内でも受け入れられると考えられた要因はどんなところにあったのだろうか。
「最初に読んだときは、最終的にどのキャラクターが攻めになるのかもわかりませんでした。それでも面白かったんです。韓国のウェブトゥーンが持つストーリーの壮大さや、絵の美麗さ、設定の面白さはすでに日本国内でも注目されていましたし、BLに関しても他社さんですが『夜画帳』や『キリング・ストーキング』といった作品が受け入れられている前例がありました。
『エネアド』はまさにストーリーも壮大でイラストも美麗で、たとえ日本で受けやすいBLのセオリーから外れていたとしても、話数を重ねるごとにきっと魅力に気づいてくださる方が増えるはずだという自信がありました。日本の読者さんの“面白い”に対する嗅覚は飛び抜けていますから」(江崎さん)
とはいえ、日本の読者に届けるためのローカライズはもちろん必要になる。その工夫は、作品の顔となる表紙から始まっている。
「初期の韓国版のメインビジュアルではセトの顔がほとんど見えないんですが、日本版では仮面の下から若干顔が見えている絵になっています。目元が描かれていた方が、読者さんの想像力をかきたてることができるんじゃないかと考え、MOJITO先生に新たに描き下ろしていただきました」(江崎さん)

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韓国版メインビジュアル
そしてもちろん、言葉の壁も存在する。翻訳者探しは難航した。ウェブトゥーンは基本的に100話以上になる作品が多く、『エネアド』もすでに本国では125話を超えている。それだけの量をまとめて引き受けてもらうことに加えて、本作ならではの条件も存在した。
「BLに理解があってエジプト神話にも造詣がある、もしくは調べる労力を惜しまない方にお願いする必要があったので、大変でした。結果的に、最初に翻訳を担当してくださった方が、登場人物たちの口調をそれぞれの性格が現れるように翻訳してくださったんですね。
海外の作品を扱う際は翻訳がその作品の価値を決めるといっても過言ではないと思うので、キャラクターがより立体的になり、ありがたかったです」(江崎さん)
そうした苦労を乗り越えた日本版リリース後には意外な驚きもあった。韓国でも若干戸惑いを持って受け止める人が多く、山田さんも最初に目を引かれた「顔が緑色」のオシリスが人気を博しているのだという。
「Twitterで感想を調べていると、ほかの言語圏に比べて日本ではオシリス人気が高いんです。我々も若干驚いています(笑)」(山田さん)
推測される理由としては、オシリスが日本のBL読者が好む「“受け”に執着する“攻め”」という鉄板の設定にハマっているからではないか、とのこと。まさしく所変われば品変わるといったところか。
日本における韓国ウェブトゥーンのさらなる可能性を提示した『エネアド』。本作のヒットを皮切りに、今後ますます韓国産BLマンガに注目が集まりそうだ。
取材・文=竹田磨央 編集=斎藤岬 © Mojito/SEOUL MEDIA COMICS,Inc./libre
『エネアド』
作:MOJITO
配信元:リブレ
https://www.b-boy.jp/special/ennead/
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