かつて、聞いて驚愕したセリフがある。
「私、人からいい人と思われないことが1番のストレスなの」
「いい人」は「どうでもいい人」? 自己発信と承認欲求の時代、あなたは人になんて言われたい?
令和だろうと平成だろうと人間関係は難しい。自己発信がたやすくなった今、四方八方から「いい人」と思われることにはどれだけ価値があるのだろうか、と考えることがある。
せっかち編集長のEMANON DAYS #11
いいことしたでしょ報告=いい人アピール=承認欲求の満足
この方、仮にXさんとするが、実際に周りの人から、Xさんっていい人だよね、と言われていた。
けれど、私自身がXさんと仕事でのお付き合いをするようになって抱いた最終的な印象は、
「いい人と思われたい人に対してはいい人だが、それ以外の人、Xさんがそう思われたいリストから漏れている人間に対しては無造作対応、むしろ傍若無人」
であった。
そして私自身はどうやら、思われなくてもいい人リスト側に入っていたようだったので、わりとまあ、Xさんが周りにとる言動と私に対するそれとのギャップに、びっくりのちゲンナリしていたものだった。
「こないだのゴルフコンペで○○さんに、タオル借りちゃったでしょ。だからお礼のお菓子を渡してきたんだけど、○○さん、今ダイエットしてるのに、どうしてお菓子にしちゃったのかしら、私ってダメね」
「こないだのプロジェクト、○○チームにすごくお世話になったから、今お菓子届けてきたの♪」
「今度のごはん会くるでしょう? ね〜え、お店、決めてもらってもいい? 志沢さん、私なんかよりずっとおいしいお店知ってらっしゃるし(なぜか過剰な敬語)」
舌足らずな口調で、上目づかいでこうしたことを言ってくるXさん。
「そのゴルフコンペで、私も手袋貸しましたけど…こっちにはお礼、ないっすね(笑)」
「それ、100%仕事ですから、お礼のお菓子は不要だと思いますよ」
「そのごはん会、Xさん、言い出しっぺの幹事ですよね? もう日にちも迫ってるのに、なぜ私がお店を探さなくては?」
私の回答、大人げないですか?(笑)
いや、なんか、もう、あまりに周りに気遣うその姿と、こちらに向ける傍若無人な対応にイラっとしてたもんで…若気のいたりとお許しください。
けれど、それもこれも、ある時ふとXさんの口から出た冒頭のセリフを聞いて、なるほど、とすべて合点がいったのです。驚きもしたけど。
「私、人からいい人と思われないことが1番のストレスなの」
大真面目な顔で言ってた。
多分、Xさんの本来持っている性質には、めんどくさがり、苦手なことは後か他所にまわす、というものもあったのだと思う。
小さな遅刻はよくしていたし、仕事の締め切りは守れないことが多かったし、クリーニング屋さんに洋服をずっと取りに行き忘れていて苦情の電話がかかってきてたり。
でもそういった性質をひた隠しにして、気配りのできるいい人を演じてた。
そりゃ疲れるし、ほころびも出るだろう。
ちょっと気を抜いたときには本来持っている性分がダダ漏れになってしまうのもしょうがない。
だけど「いい人」と思われない方がストレスだとは。辛いなあ。
今思えば、先述の会話でも、本音では私に褒めてほしかったんだと思う。
以下はXさんが期待していたと思われる模範回答。
「大丈夫ですよ〜、ダイエット中でも○○さん甘いもの好きですから、きっとうれしいですよ! さすがXさん!」
「さすがXさん! Xさんらしいお気遣いですね!」
「私なんかそんなにいいお店知らないですよ〜。でもそう言ってくださるなら探しときますね!」
とか、きっと言って欲しかったんだろうなあ。実際そう言われることも多かったんだろうなあ。
最後のやつも、いい人全開で幹事言い出しちゃって、お店のアテもなくて、めんどくさくなってこっちにキラーパス。
ほら、オイラはいい人と思われなくてもいいリスト側だから。
人間、24・365でいい人でなんかいられない
だいたい人間、四六時中、今で言うなら24(時間)365(日)か、どんな状況でもいい人でなんて、そうそういられるものじゃない。
もちろんなかには本来持っている性質がとびきり優しかったり、思いやり深かったりする人もいる。
でも、そういう人は、いい人、優しい人、と周囲に認識されながらも、「あの人、優柔不断だよね」とか「八方美人だよね」と言われてしまったりもするもの。
実際、そんなつもりはないのに、そう言われてしまうことで悩んでいた人も知っている。
人間関係、つくづく難しい。

いい人と称されることは、本当にうれしいこと?
だけど、そもそも”いい人”とレッテルを貼られることは、そんなに素晴らしいことなのだろうか。
かつて雑誌MOREに在籍していたときに、読者アンケートで「言われてうれしい褒め言葉は?」という質問を実施したところ、当然というか、やはりというか、1位の回答は「かわいいね」。
そりゃそうだ。言われたらうれしいわ。大事なオンナ心だ。
けれど、2位がちょっと意外なものだった。
「感じいいね」
うーん、これにはちょっと驚いた。
もしも誰かが「志沢さんってどんな人?」と第三者にたずねて、その人が私のことを「志沢さん? ああ、感じいい人だよ」と答えたら、結構どうでもいい感を、私は感じてしまうのだ。
ほんの少し投げやりというか無関心の要素も感じるというか。
あの人いい人だよ、と言われるのはもう少し心が入っているような気もするが、なんとなくパーソナルなことを言われているのとは違うのかな、という気も少々してしまう。
人はときには言いにくいことを
言わなくてはならないときがある
人間、いろいろな人生と境遇があって、仕事をしたり家庭を持ったり子育てしたりしていると、365日360度いい人でいるなんてことは、絶対に無理だ。
それを遂行しようとすると自分へのストレスになるか、もしくはどこかで齟齬が生じておかしなことになってしまう。
時には憎まれることを承知で、部下を指導したり、子供を叱ったり、友達に苦言を呈したり…。
実際、すごく言いにくいことってある。
お箸の持ち方が変。
食べ方が汚い。
鼻毛がいつも出てる。
体臭口臭がキツイ。
姿勢が悪い。
これ、どうでもいい人のことだったら、きっと指摘しないでしょう?
こんなこと注意して、その人との関係が気まずくなったり、下手したら遺恨を残すことになるより、ちょっと見ないふり、気づかないふりをするほうが全然ラクだもの。
でも、これが自分にとって大切な人のことだったら?
例えば、配偶者、恋人、子供、親友。
自分以外に誰がこうした指摘をするんだろう?と考える。
そりゃ、言いにくいけど……実際私は言ったことがある。幸い感謝もされた。
ものすごーーく勇気と気遣いが必要だったが、そうしたことを見逃すストレスより、指摘するストレスをとった。
そして、このときの自分は真の意味で「いい人」だったと思う。
いい人はどうでもいい人?
かつてインタビューした大先輩にあたる年代の女優さんがおっしゃった。
「MOREの読者って、感じいい人、って言われたいの?
でも、いい人はどうでもいい人でもあるのよ」
この部分を活字にすることはなかったけれど、当時の私の胸には深く刻まれた。
あの人、いい人だよね、って言われることが必ずしも悪いわけじゃない。
いい人でいようとすることが悪いわけでもない。
でも、そうすることがいつのまにか心の負担になったり、毒にも薬にもならない八方美人となるのはちょっと違う。
その塩梅はなかなかに難しい。
その匙加減のために私自身が実践していることがひとつある。
自分がしてもらってうれしかったことは、いつか自分もほかの誰かに実行できるよう、心の片隅にしっかり留めておくことだ。
私は20代で初めて仕事で徹夜したときに、黙って編集部で雑誌を読みながら待っててくれて、そのまま夜明けの焼肉に連れてってくれた先輩のことは今も忘れてない。同じことを後輩にもしましたよ〜、Zパイセン!
ともすれば人間関係もヴァーチャルに展開されがちな今、互いの本音を共有しづらくなっているのも事実。
だからこそ、どうでもいい人ではない、いい人、自分にとっても納得のいくいい人であれたらいい。
ところで、私が人から言われてうれしくなっちゃうのは
「志沢さんってどんな人?」
「志沢さん? おもしろい人だよ」です。
文/志沢直子
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