ある休日の午後、夫とふたりでラーメン屋さんに行った。
混雑したお昼時よりは少し遅めの時間帯。六本木にほど近い場所にあるラーメン屋さんだけど、あくまで地元密着型の素朴な町中華テイストのラーメン店だ。
その店はそこそこ大箱で、カウンターとテーブル席を合わせると30人くらいは入れるだろうか。
ここは食券を買うのではなく、お店の人が注文を取りに来てくれる。
入ってすぐ、ふと奥を見やると20代前半くらいの男女5人が料理やラーメンを食べつつ、ビール、マッコリ、日本酒などで宴会中だった。
座席の周りにはラケットケースのようなものやスポーツバッグが置かれており、
「ああ、テニスサークルか何かの試合か練習のあとかな」なんて推測して、自分たちはそこから少し離れたテーブル席についた。
町のラーメン屋に響き渡る怒号と割れる丼。三角関係の痴話喧嘩を見てぞっとしたある女性の行動とは
休日の午後、ラーメン屋さんで遭遇した阿鼻叫喚な状況で出会った魔性とは。
町のラーメン店内に響き渡る怒号

写真はイメージです
夫婦も長年連れ添っていると、外食していてもさほど会話はない。それぞれが注文をすませると、夫は店内にあったスポーツ新聞を読み始め、私はついていたテレビをぼんやり眺めていた。
「だーかーらー! オマエはユウコのことはどう思ってんだよっ!」
突然の怒号とコップや食器のガシャーンとひっくり変える音に、店内は一気にシーンとなった。
昼下がりのラーメン店は大して客数は多くもなく、それまでも騒がしいわけではなかった。
店内の全員が、もちろん私も、音のした方を注視する。
宴会中だった5人の男女のうちの、1名の男子が立ち上がっていた。
顔の赤さ、ふらつきから判断するにいささか酩酊気味なのであろう。
テーブルの上には倒れたいくつかのコップとひっくり返ったラーメン丼がひとつ。もちろん麺は垂れ流し状態、スープがテーブルから床へポタポタと垂れている。
なんだ、これはドラマのシーンか。
じゃあ、なんだよ! 交尾って言えばいいのかっ?
「いや、まあ...」
とおそらく酩酊くんから「オマエ」と名指しされた男子が、なぜかニヤニヤと宥めようとする。
だが酩酊くんは手強かった。
「だけど、お前ら、セックスしてんだろうっ! オレのいないとこでっ!」
店内は瞬間で氷河期になった。
(えっ、そりゃそうだろ) というのは、「いないとこで」に対する私の心のツッコミだ。
「ちょっと、小さな子もいるんだから..」と仲間うちの女子が小さな声で諭す。
そう、何度も言うが、ここは家族連れもいる普通のラーメン屋さんなのだ。
「じゃあ、なんだよっ、交尾って言えばいいのかっ?」
さすが酔っ払い。回答が想像の斜め上である。
小さな子供もびっくり顔で眺めていたが、このあたりからその親たちは子供たちの気を他にそらそうとしはじめる。おおいに賛成だ。

写真はイメージです
「なんだよっ、じゃあ、お前ら結婚すんのかよっ。結婚するから交尾したんだろっ。俺の知らないところでっ!」
あー、もうグダグダだ。
しかもその後、この酩酊くんは店員さんを呼びつけ
「おいっ、この店は何屋だっ!」
と怒鳴った。
(ラーメン屋だよ!)……はおそらく店内全員の心のツッコミだ。
「ラーメン屋ですが...」律儀に答える店員さん。
「違うよっ! 夜は何屋だっ!」
「はあ、夜もラーメン屋ですが...」
「違うっ、ラーメン居酒屋だろっ、だから飲んでいいんだっ!」
めちゃくちゃもいいところだ。あと、今、午後2時くらいだし。
そしてこのあと、さらに戦慄の展開が待っていた。
黙って微笑んでいるだけのヒロイン
「今日はもうはっきりさせようぜ」と酪酎くんは途切れず、あくまで我が道を行き続ける。
その間、テーブルから垂れる麺やスープの大惨事を、店員さんと一緒に必死に片付けたり拭いたりしていた女子がひとりいた。
ちょっとふっくらした、見るからに人のよさそうなその女子が
「そんなことよりさ! ここ片付けてみんなでボウリング行こうよ! ボウリング!
♪ボウリング場でカッコつけ〜て♪ これ誰の歌だっけー?」
「なにっ! ボウリングか? オレはな、うまいんだぞ」
ああ、もう、お前はボウリング嬢の好意に気づけよ。
だが! ここまでの顛末を眺めていて私が一番怖かったのは、酩酊くんの怒りのもとである、そもそもの「ユウコさん」その人なのであった。

写真はイメージです
修羅場と言ってもいいこの間、当のユウコさんはうっすらと笑みを浮かべたまま一言も発さずにいたのだ。
その口角は間違いなくちょっぴり上がっていて、うっすらと微笑んでいる。
自分の席に座ったまま微動だにせず、目の前の自分のラーメンからほぼ視線を動かさず、微笑みを浮かべているのだ。
ボウリング嬢が必死にテーブルを片付けたり、場を取り繕おうとしているのとは、ひどく対照的だった。
このユウコさんとやらは茶髪ゆる巻きロングヘアにパステルカラーのニットで、かつての赤文字系女子を彷彿とさせるいで立ち、かたやボウリング嬢もファッションテイストはほぼ同じながら、ややぽっちゃりと柳原加奈子ちゃん的な人のいい感じ、というのもハマり過ぎていた。
でも少しカラダ絞ったら、顔だちはボウリング嬢のほうが整ってるかも、がんばれ、加奈子。
ちなみにこのボウリング嬢は酩酊くんに自分の上着にラーメンスープをこぼされてんのに、彼をまったく責めてなかった。えらいぞ、加奈子。
あの甲斐甲斐しい片付けっぷりといい、おい、酩酊、とっととユウコはあきらめてボウリング嬢にシフトチェンジしろ、とは本当にいらぬお節介である。
これが魔性というものか
だがしかし、これが魔性というものであるか。
おそるべし、ユウコ。
その後、ユウコのことをどうするんだという話に戻ってはクダをまく酩酊くんに責められ続けたユウコの本命相手と思しき男子1名はつぶれて寝てしまい、私らは無事にラーメンを食べ終わったので店を出た。
いやー、昼からすごいもの見た。何度も言うけど、このドラマのステージは普通の町のラーメン屋さんだ。
そして、最後までユウコさんの声は聞くことが出来なかった、無念。
ここからはまったく勝手な私の推測だが、ユウコさんはどうやらサークル(?)内の2人の男子を手玉にとり、どっちにも思わせぶりだったんだけど、結局そのうちの1人とくっつき、それが酪酎くんの知るところとなって大惨事、って感じではないだろうか。
そんでもってコウコさんの脳内には、♪けんかをやめて〜♪が流れてたんじゃないだろうか。
(あ、なんか今ユウコ、悪い女?)
(でも、なかなかどっちも選べなくて)
(酩酊くん、なんとなく察してくれたらフェードアウトできると思ってたのに)
なーんて思ってたとか。
モテ期、堪能してたとか。
お店の外に出てダンナにすぐに声をかけた。
「いや〜〜すごいもの、見ちゃったね〜〜!」
「なに?」
「ええ! あのグループの痴話喧嘩だよー!」
「そんなん、あったか」
「え! だってコップとかラーメンとか飛び散ってすごかったじゃん!」
「ああ、それは見てた。あとはなんかめんどくさそうだから、見てない。知らん」
そういえばこいつ、ラーメンが来るまでずっと新聞読んでたわ。
世の中にはこんな人もいるんだな、と20年以上連れ添った相方に少々驚いたし、ちょっと残念だった。
だってこういうのって、一緒に見てた人と語り合って反芻したいのにさ、ちぇっ。
※この事件に遭遇したのはかなり前で、人物が特定できないよう、シチュエーションや舞台はかなり修飾しています。あくまでセミノンフィクションとしてお読みください。
文/集英社オンライン編集部