#1 ヤクザの親分の父と愛人の母の間に生まれて…「俺に文句あるのか!」とツッパりまくって生きてきた高知東生は罪を犯した後、どう生き直しているのか

#3 愛人とラブホテルで覚せい剤・大麻所持で逮捕。すべてを失った高知東生が、依存症回復途中の今いちばん人生で楽に生きられる理由

母の自殺直前、忘れられない一言

――複雑な家庭環境の中で、反抗期を迎えたりは?

反抗期というか、一番ぶっ壊れたのは、俺が高校を卒業する直前、母親が死んだこと、そして、その母親の葬式の日に、それまで父親だって言われていた人が本当の父親ではなかったと知ったときですね。

高校3年くらいになると、それまで若い衆の運転でしか車に乗ったことがなかった母親が、国産の車を自分で運転して、学校の参観日とか野球の試合に来るようになったんです。いつも着物でびしっと化粧をしていた母親が、すっぴんで地味な格好してね。最初、俺でも誰だかわからなかったくらい。

自殺直前の母の忘れられない一言とは。「大人は誰も信じられない」喧嘩に明け暮れて大立ち回りの後に上京、AVプロダクション設立、嘘だらけの芸能界デビュー、嶋大輔との伝説の喧嘩を高知東生が語る_1
たった一枚だけ残っている母親の写真
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そんなある日、母親が高校を卒業したらどうするのか、進路についてどうしても今日中に話したいって、寮まで来たんです。俺はもう野球でプロになったり、大学に入るのも無理だろうし、かといってカタギの道も諦めていたというか。若い衆からも「野球はほどほどに。くれぐれもケガだけはしないように」なんて言われていましたからね。

だけど、わざわざ寮に来た母親は「任侠の世界は絶対にだめだ」って言うんですよ。

自分は思いっきりその世界で生きているのに。とにかくヤクザにはなるなって。今考えると、初めて母親に会った頃と比べると、少しずつ着るものや身に付けるものは地味になっていたので、生活が苦しくなっていたんでしょう。

別れ際、母親は俺に向かって「私、きれいかな?」って言ったんです。こっちは思春期の高校生ですから、母親にきれいだなんて言えるわけもなく、「アホか! 気持ち悪い!」って返して。母親は泣きながら車に乗って寮から帰っていきました。

その帰り道、母親は自殺したんです。

母親の背中にはきれいな緋牡丹の入れ墨が入ってましてね。でもあるとき、ふっと見たら、あんなにきれいだった緋牡丹にばっさり線が入ってたんですよ。そのときは子どもだったのであんまりわかってなかったですけど、あれは斬られた傷でした。家にカチコミが来て、俺も避難させられたことがあったんですけど、そのときにやられたんでしょうね。