今や日本を飛び出して、世界的潮流になっているシティ・ポップ。日本国内では、早くもゼロ年代からCDの再発やディスク・ガイド発行などを通してジワジワ再評価が進んでいたが、2010年代後半になってインターネットを通じ、世界へ拡散。
17年夏にオンエアされたテレビ東京系『Youは何しに日本へ?』では、大貫妙子の初期名盤『SUNSHOWER』(77年)を探して都内の中古レコード店を巡り歩く米国人青年が話題になった。
それに呼応するように、1970〜80年代のシティ・ポップ再評価が海外で頻発。最初の大ブレイクが、竹内まりや「PLASTIC LOVE」(84年作『VARIETY』所収)である。当初この曲は非公式にYOUTUBEにアップされていたが、あまりの人気の高さにオフィシャルでミュージックデオが制作され、2019年5月に公開。
ブーム襲来中! なぜシティ・ポップは日本を飛び出し、世界の潮流になったのか?
1970年代後半から80年代にかけて流行した、洗練された都会派ポップス=シティ・ポップが世界的に注目を集めている。そもそもシティ・ポップとは何か? これだけ注目を集める背景には何があるのか? 音楽ライターの金澤寿和氏が解説する。
始まりは、竹内まりや「PLASTIC LOVE」だった

CDショップにはシティ・ポップのコーナーが設けられ、竹内まりやの「PLASTIC LOVE」など、懐かしいジャケットのアナログレコードが並ぶ(撮影協力/HMV record shop 新宿ALTA)
「PLASTIC LOVE」は非公式期からの合計で、6000万回超の再生回数を誇っている。そのコメント欄は英語やその他の言語で埋め尽くされ、日本語はほとんど見られないそうだ。
そしてこれを追い越すようにバズったのが、松原みき「真夜中のドア~stay with me」。インドネシアの大人気ユーチューバー・Rainych(レイニッチ)が片言の日本語で歌う動画がキッカケとなり、各サブスクリプションの合計再生回数は1億2000万回を超えた。
その後も大橋純子や八神純子といった有名どころから、かつては知る人ぞ知る存在だった松下誠や当山ひとみ、国分友里恵、秋元薫などが注目され、米国のレコード会社が日本のシティ・ポップ・コンピレーション(オムニバスの編集盤)をUSリリースするまでになっている。

松原みき「真夜中のドア~stay with me」(写真提供/ポニーキャニオン)
そんな中、今年は年明け早々に大きな事件が。オルタナティヴR&B〜ヒップホップの世界的人気アーティストであるザ・ウィークエンドが、今年1月にリリースした2年ぶりのアルバム『Dawn FM』で、亜蘭知子の楽曲「Midnight Pretenders」(1983年作『浮遊空間』所収)を大胆にサンプリング使用したのだ。
ビーイング所属で10枚近いアルバムを出し、作詞家としての顔も持っている亜蘭だが、やはり当時は大ヒットには届いていない。それがココへ来てソースとして使用され、いきなりワールドワイドな存在に。

ザ・ウィークエンドがサンプリング使用した亜蘭知子の「Midnight Pretenders」が入ったCD『浮遊空間』(撮影協力/TOWER RECORDS新宿店)
これまでにも山下達郎や杏里の楽曲がモチーフやネタになったことはあるが、これらを音源として使用したのはいずれも新人アーティスト。ザ・ウィークエンドような世界的大物が使った例はなく、これを“事件”と言わずして何と呼ぶ? といった状況なのだ。
でもその前に、シティ・ポップとは何ぞや? という大命題がある。実のところ明確な定義は不可能で、一般的に言うならば、「70〜80年代に流行った、洗練された洋楽的メロディと軽快なリズムを持った都市型ポップス」とでもしておくか。
大滝詠一や山下達郎、松任谷由実、南佳孝、寺尾聰、稲垣潤一、佐野元春、epo、角松敏生、杉山清貴&オメガトライブ、少し若いところでキリンジ……あたりが代表格だが、松田聖子や野口五郎、郷ひろみなど歌謡曲の歌い手にもシティ・ポップした楽曲が少なくないし、菊池桃子のように今になって大いに再評価される往年のアイドル、シンガーもいる。
こうした近年のブーム到来は、リスナーの年代を広げたと同時に、音楽的解釈も拡散させた。竹内まりや「PLASTIC LOVE」のリエディット・ヴァージョンを動画サイトでブレイクさせ、ブームのキッカケを作ったNight Tempoは、まだ30歳代の韓国人プロデューサー/DJなのだが、最近『ジャパニーズ・シティ・ポップ100』(303 BOOKS刊)という楽曲ガイドを発行して、ブームの更なるヒートアップを目論む。

シティ・ポップコーナーには懐かしいジャケット写真、アーティストがズラリ(撮影協力/TOWER RECORDS新宿店)
「真面目な」音楽ファンはブームに何を思う
しかしそのダンス・ミュージック目線のセレクションは、若い世代の共感を集める反面、シティ・ポップ全盛期をリアルタイムで享受した世代からは少し距離を置かれる傾向にある。
フロア受けするダンサブルなビート感や目映いばかりのキラキラ・サウンドに評価軸があり、アイドル歌謡やダンス、ポップも同等に扱うから、ブーム前からシティ・ポップを愛でていた真面目な音楽ファンからは疑問が唱えられたのだ。
元来シティ・ポップ誕生のルーツには、作詞家・松本隆がドラマーとして参加していたグループ・はっぴいえんど(大滝詠一・細野晴臣・鈴木茂と松本/1969〜73年)時代に提唱した“風街”というコンセプトがあり、当時の東京を中心とした都会のヤングカルチャーが背景にあった。
その流れから派生したのが、山下達郎や大貫妙子を輩出したシュガー・ベイブであり、ユーミンやブレッド&バター、南佳孝、小坂忠らを密接にサポートした音楽集団ティン・パン・アレイ。その音は時代的にまだまだシンプルで、サウンドを構成するロック、ジャズ、ソウル、ファンク、フォークなど音楽的ファクターのミックスには実験的要素が濃かった。
大滝詠一『A LONG VACATION』(ロン・バケ)や山下達郎『FOR YOU』を皮切りとした80年代のリッチなリゾート・ポップスも、ルーツはこのあたり。なのに海外でのシティ・ポップ再評価は、そうした洗練が進み、楽器や録音技術が大きく進化を遂げた80年代産のバブリーな作品が中心になっている。
でも国内外の再評価世代にとって、シンセサイザーやテクノ・サウンドを導入した80年代型シティ・ポップへの憧憬には、大きな必然性があった。それは近年の洋楽シーンを見れば理解できる。ブルーノ・マーズの人気沸騰、ダフト・パンクの「Get Lucky」のヒットに象徴されるように、2010年代の世界の音楽市場では、80年代的な音楽スタイルが求められる風潮だったからだ。
同時にPCを使ったホーム・レコーディングを楽しむ宅録派は、日本のシティ・ポップにカッコ良さを感じて、サンプリング&エディット・ソースにした。そこでは音楽を作るだけでなく、PCモニターに映すヴィジュアル・イメージも重要な役割を担った。
前述の『ロン・バケ』『FOR YOU』が永井博や鈴木英人らのイラストに彩られ、それがシティ・ポップの視覚的エントランスとなったのも、偶然ではない。海外からのブームなので、どうしても歌詞の内容や楽曲の文化的背景は軽視されがちだが、それをヴィジュアル・イメージが補ったのである。
そこに、当時を知る世代と享楽的に音だけを楽しむ世代とのギャップが生まれるのは、仕方のないことかもしれない。しかし、これはどちらか一方が正しくて他方が間違っている、ということではない。どちらもアリ、なのだ。音から入った音楽ファンが、やがてその曲が何を歌っているか、どんな背景があるのかを紐解いていくようになれば理想だろう。
ネット社会がもたらした、世界での奇跡的なブーム
70〜80年代に作られ、日本の音楽ファンが楽しんできたシティ・ポップは、当時から高い音楽的クオリティを持っていた。でもその頃はまだ、魅力を世界へ知らしめる手段がなかった。それがネット社会となった今、キッカケ次第で一気に伝播する。
シティ・ポップ全盛から既に40年。だから世代やリスナー経験によって評価軸や視線の方向が異なるのは当たり前である。大事なのは、一時は過去の音楽として語ることさえ憚られたシティ・ポップが、奇跡的にもこうして世界的ブームになっている、という点だ。
ブームは時間が経つほどに沈静化へと向かうものだが、その時に自ずとシティ・ポップの行き着くところ、普遍的ポジションが見えてくるのではないか。
折しも、この2月に発行されたディスクガイド『「シティポップの基本」がこの100枚でわかる』(栗本斉著・星海社刊)が、音楽書としては異例のベストセラーを記録している。この書のカヴァーも鈴木英人。シティ・ポップには如何にイメージが大切か。音楽とヴィジュアル、ヤング・カルチャーの幸せな関係と蜜月ぶりが、シティ・ポップの向こうに見えてくる。軽く聴き流しても楽しいし、いろいろ深読みもできる。それがシティ・ポップの面白さなのだ。

角松敏生、大瀧詠一などのレコードが並ぶ。中古レコードは入荷するとすぐ売れてしまうのだとか(撮影協力/HMV record shop 新宿ALTA)
撮影/苅部太郎
新着記事
谷崎潤一郎も三島由紀夫も「教科書なのに変態すぎない!? 文科省大丈夫!?」“変態文学”を偏愛する現役北海道大学生・吉行ゆきのが魅せられる文豪のエロティシズム
変態文学大学生#1
変態文学大学生・吉行ゆきののターゲットは40代、50代の生活感のあるおじさん。「付き合う人もお持ち帰りしてそういう関係になる人も、ほぼ全員おじさんです」
変態文学大学生#3