10分ですべての答えを欲しがる「ファスト教養」現象を加速させた「いじめマーケティング」と「オンラインイベント症候群」【レジ―×宇野常寛】はこちら

「嫌いだから好き」が通じない

レジー 宇野さんはデビュー作である『ゼロ年代の想像力』からずっと、コンテンツとコミュニケーションの関係について論じられてきた印象があります。僕自身もその議論にかなり影響を受けていて、音楽の話をするときも常にコンテンツとコミュニケーションの間に生じるものについて考えてきました。

ただ、今はコミュニケーションの側が強くなりすぎて、音楽に限らずあらゆるコンテンツがコミュニケーションのためのツールやアクセサリーになってきている気がしていて。

宇野 僕はもう、ある程度コミュニケーションから戦略的に撤退したほうがいいと思っています。人間関係を否定するつもりはまったくないけど、人間同士が直接繋がるよりも物事を介して繋がる方が良いし、人間同士が直接承認を交換できるというのは、はっきり言って麻薬ですよね。

僕は10年くらい前に、いわゆる「論壇」の中ボスみたいな人に睨まれて、その後に彼と彼の取り巻きから本当に陰湿な嫌がらせを何年も受け続けた。このあたりで本当にウンザリして、いわゆる業界の飲み会のようなところにまったく出なくなった。

代わりに、勉強会の類はよく参加するようになったし、面白い仕事をしている人にはどんどん取材に行くようになった。あくまで、人間関係より「仕事」や「趣味」などの「物事」を間に挟むようにしたんです。

レジー 当たり前の話かもしれませんが、「モノをモノとして理解する」ということがないがしろにされすぎているんですかね。コンテンツをコミュニケーションツールやサプリメントに還元することなく、それそのものとして向き合う態度を取り戻さないといけないというか。

宇野 たとえば今回の本(『砂漠と異人たち』)で取り上げた村上春樹でもいいし、富野由悠季でも、作品外の文脈や発言、コミュニケーションを含めて評価する方がリテラシーも要らないし簡単なんですよね。右につくか左につくかだけ話せばいいわけだから。

富野由悠季でいえば、『Gのレコンギスタ』がこの夏にようやく完結しましたけど、それが80歳過ぎた大作家の集大成だったとしても、うまくいっていない部分についてはきちんと批判した方がいい。そうでないと逆に失礼でしょう。でもインターネットの「空気」を読むことしかできない富野ファンは「野暮なこと言うなよ」と怒ってくる。これじゃダメだと思うんですよね。

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レジー わかります。僕も音楽に関してネガティブなことを書いた時の反応が年々過剰になっているのを感じているので。

宇野 それも変な話で、別に人はダメなところこそ好きだったりするわけじゃないですか。

レジー 単純に何かを否定する言葉に対してであれば反論が来るのも仕方ないとは思うんですけど、「嫌いだけど好き」みたいなニュアンスがどんどん理解されなくなっている空気を感じるんですよね。

僕はよく星野源についてそういうことを書いていたんですが、愛憎入り混じっているけど最終的には愛しているという感覚がどうもうまく伝わらないなと思うことが増えてきて、最近はそういう書き方を少し控えるようになりました。

宇野 「嫌いだから好き」なんて人間の基本的な感情でしょって思いますけどね。その作家の作品を追い続けた結果として発生する、非常に複雑で、豊かな現象のはずなのですが。

レジー 本当にそう思うんですけどね。「そういう逡巡はいいから、結局どっちなの?」みたいな話に回収されちゃうのはつまらないなと。その揺らぎにこそ面白い部分があるはずなんですが。

宇野 僕が「ファスト教養」と「いじめマーケティング」を同じ現象だなと思うのは、どっちも迷いじゃなくて答えを求めているからなんですよね。「そうじゃないだろ、大事なのは迷っている過程なんだよ」と言いたい。Netflixでどれ観ようか迷う時間が無駄って言うけど、そこが一番幸福な時間だと僕は思います。

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レジー そうですね。またちょっと違った角度の話なんですが、そういう楽しみ方の提示に対して「老害うるさい」みたいな声が出やすくなっている現状もあるように感じます。自分としてはそんな空気に飲まれたくないというか、老害になることを恐れないスタンスも大事だなと思っているところです。

宇野 僕はもう老害と言われても何の問題もないです。それは僕らの世代が、その時間を楽しめる読者を育む努力を怠ってきたことのツケなので真摯に反省したい。そしてこれからは迷うことの楽しさをいかに伝えるかっていう勝負をしていきたいですね。