第2回 ウクライナ戦争は世界の秩序を根底から変える構造戦争だった_1
2022年3月21日、キーウ(キエフ)のショッピングセンターにロシア軍による爆撃。写真:ロイター/アフロ
すべての画像を見る

リビウで、初めて空襲警報を聞いた

本にも書いたんですけれども、本当に我が不明を恥じています。今から30年ほど前に書いた私の最初の著作は、これからの戦争は国家間戦争じゃないというものでして、それから30年以上、今日に至るまで、ずっとその研究を続けていました。

ところが、ウクライナ戦争が始まり、これは見事な国家間戦争で、クラウゼヴィッツの言う三位一体型の戦争、政府・国民・軍隊の古典的な国家間戦争に逆戻りしてしまったのです。

一体、自分は何を研究してきたんだろうかという深い反省の念の中で、ずっとウクライナ戦争を見続けていると言いたいところですが、あまりにも苦しくて、最近はウクライナ戦争のことについてはあまり見ておりません。

実際に4月の初めにリビウとキーウまで行きました。2017年に一度行ったことがありました。だからそれが一体どうなっているんだろうかと思って、見に行ったんです。

当時はハルキウまで行ったのですが、今回はとてもハルキウまで行ける状況じゃなくて、キーウで終わりましたけれども。

これまでも紛争地域には何か所も行ったことがあります。でも、それらの戦場とは違います。全く違います。初めて夜間外出禁止令の国に降り立って、夜の10時に外出禁止令が出るという直前の9時50分、私の乗ったバスがリビウに着きました。

あと10分で外出禁止になりますから、知らない土地でホテルまでどうやって行くんだという、もう本当に今まで感じたことがないようなある種のパニックに陥りました。

幸い、タクシーがつかまって、ホテルまで行ったんですが、ホテルがどこにあるのか分からないという、そういう状況の中で、それでも何とかホテルに着いて、ベッドでひと休みしていたら、空襲警報です。

初めて空襲警報を聞きました。もう慌てふためいて、飛び起きて、服を着て、すぐに逃げられるように靴を履いたまま、しばらくベッドに横になっていました。それも24時間もすれば慣れるような話ですけども。

つい最近、キーウがミサイルで攻撃されました(2022年10月10日)。公園などが攻撃された。あの公園は私も行ったことがあります。あの通りは歩いた場所です。本当にキーウの中心部です。日本でいえば日比谷公園にミサイルが着弾したのと同じです。

そのすぐ近くにキーウの駅があるんですけども──数百メートル離れたところです──そこを狙ったのかどうか、それは分かりません。それと公園のすぐ近く、大通りみたいなところにも一発着弾しています。そのすぐそばには、美術館か何か公共の建物があって、丸い典型的なドームがあったんですけども、そのガラスも全部割れていました。

大きな銅像は、全てぐるぐる巻きにして、爆弾の被害を防ぐような仕掛けがしてありましたけど、それはどうにか大丈夫だということです。本当に、ある意味で東京の霞が関とか、そんなところに落ちたような、そういう感覚です。

第2回 ウクライナ戦争は世界の秩序を根底から変える構造戦争だった_2