第1回 ペロポネソス戦争から占うウクライナ戦争_1
写真:AWL Images/アフロ
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陸上国家対海洋国家


本日は、私自身が国際地政学研究所で講義している地政学講座の中から、プーチンはなぜ戦争に走ったのかということを、私なりに古代の戦争と比較しながらお話しできればと思っております。文脈的には、トゥキディデスの罠という文脈になります。

ペルシャ戦争が紀元前5世紀の中頃にございまして、ペルシャ帝国がエーゲ海に出てきます。建国後のアメリカが太平洋に出てくるのとよく似ています。

エーゲ海のアジア大陸寄りの都市国家は、みんなギリシャの都市国家と同じ民族で形成されています。そうしますと、ペルシャにとっては、エーゲ海沿岸の都市国家をとにかく支配下に置かないと海に出られないということで、戦争を仕掛けるわけです。

けれども、なかなか手ごわくて、隷属させ得ない。それで本国を突こうということで、ペルシャの十万を超える大軍が出てくる(なお、ヘロドトスの書いたペルシャ戦争の歴史では百万という数字もあるんですけれども、当時のスケールとしては十分の一ぐらいに見積もっていいのではないかという考えを持っています)。

これは覇権のためにエーゲ海に出てきて、ギリシャを侵略するものでした。一方的な侵攻という意味では、プーチンの今回の戦争とよく似ている一つの形を取っています。他方のギリシャ側は完全に専守防衛です。ギリシャにいて守るということで、ウクライナと同じような専守防衛の立場にありました。

ヘロドトスは自分本位の叙述をしていまして、自分の好みの人間を良く書き、好みじゃない人間を悪く書いているということで、後々批判を浴びました。歴史を描くというのはえてしてそういうものです。

話は飛びますけれども、第二次世界大戦の日本について、悪名高き牟田口廉也(陸軍中将)であるとか、冨永恭次なんていう特攻隊を指揮した陸軍の司令官が生き残って回想録を書いていますが、全部が弁解です。

それはそれで彼らの歴史ではあります。しかし、歴史を描く上では、ファクトをどういうふうに押さえるかがポイントだろうと思います。

したがいまして、プーチンのこの戦争が終わった後、どういう歴史になって残るのかということについて、非常に関心を寄せています。プーチン自身が描いたら、全部自分が正しいという歴史をつくるんだろうとは思っております。

さて、このペルシャ戦争は、どっちが勝ったとは言えません。最終的には専守防衛の戦争が成功し、ペルシャは本国へ退却します。そして、ギリシャとペルシャはカリアスの和約という──カリアスは人の名前です──講和条約を結ぶんです。

しかし、戦争というものの一つの原則として、勝者が敗者に対して、勝者の意思を押しつけるという意味では、この戦争はほぼ引き分けに近いのです。カリアスの和約で何が提示されたかいうと、ペルシャはエーゲ海に出てきてはならないということです。それをペルシャが了解してしまう。それだけで終わっております。

ペルシャを相手に戦ったのが、アテネを中心とするギリシャのデロス同盟、それからスパルタを中心とするペロポネソス同盟で、この二つの同盟が、決して仲はよくないんですけれども、力を合わせてペルシャを撃退するという形を取ります。

しかしながら、ペルシャ戦争が終わりますと、このデロス同盟とペロポネソス同盟がけんかをするわけです。これがペロポネソス戦争といわれていますけれども、ギリシャの戦国期に当たります。

アテネが盟主のデロス同盟は、どちらかというと覇権主義的な、権威主義的な傾向を持っている都市国家群です。それに対して、スパルタが盟主のペロポネソス同盟は、ステータスクオ(現状維持)です。都市国家として独立して、平穏な毎日を過ごしたいといったような形、すなわち専守防衛型の国家でございます。

アテネが盟主のデロス同盟は、ネオユーラシア主義連合を主張するプーチンとよく似ています。それからペロポネソス同盟は、現状維持という面ではEUとかNATO、あるいは旧西側諸国が集合体をつくっている世界とよく似ているということが言えるかと思います。

当時のギリシャには、有力な都市国家がたくさんあったわけですけれども、そのほかにも植民都市国家といって、有力な都市国家の援助を受けて独立を保ったり、あるいは生存権を守っている国がございます。

この植民都市国家は有力な都市国家をパトロンとしている。ですから植民都市国家はクライアントという形で存在するわけでございます。

ギリシャについては非常に面白い地理学的な考察ができます。バルカン半島の南部に位置しているわけですけれども、アテネに至るギリシャはどちらかというと大陸型でありますから、アテネが覇権主義に走るのも理解できる。

ところが、スパルタは、コリントスという運河があって、ペロポネソス半島は六キロくらいの海峡で隔たれていたため、島国的な位置にあります。

したがいまして、今日的に言えば、ハートランドとリムランドといった陸上国家と海洋国家の対立という構造も見ることができる。

すなわち、ロシアを中心とするハートランド、それからアメリカ、ヨーロッパを中心とするリムランドという対立がここに重ねられるのかと思います。

第1回 ペロポネソス戦争から占うウクライナ戦争_2