「丸山応挙の絵はお行儀がよくてつまらない」という人にこそ現地で見て欲しい、兵庫県・大乗寺の『松に孔雀図』_1
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円山応挙『松に孔雀図』 重要文化財 寛政七(1795)年 紙本金地墨画 大乗寺蔵
仏間手前に位置する「孔雀の間」に描かれた大作。ごく限られたモチーフから空間の奥行きを感じさせる手腕が素晴らしい。対角線を基本とした構図の安定感が悠揚たる気分を醸し出す。応挙の原画では、墨の工夫と金箔の効果が相まってか、水墨画にもかかわらず松の葉は緑色に、幹は茶色く見える。※以下、写真はすべて原画を撮影したもの
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円山応挙『郭子儀図』 重要文化財 天明八(1788)年 紙本金地著色 大乗寺蔵
「孔雀の間」と「山水の間」に隣接する「芭蕉の間」に描かれた、唐代に武功を立てた武将・郭子儀と、めいめいに戯れるその孫たち。郭子儀は長命で、息子と娘婿も皆出世したことから、長寿、子孫繁栄などを表す吉祥画題のひとつ。描写は緻密で、襖を開ければ、奥の孔雀あるいは山水に対する「近景」として成立する。郭子儀の手招きは、「孔雀の間」から「山水の間」へ向かう人物にも向けられる
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円山応挙『郭子儀図』 重要文化財 天明八(1788)年 紙本金地著色 大乗寺蔵
蝶を追う愛らしい子どもは、難易度の高いアングルで描かれている。瞼の中の陰影で眼球を立体的に表現する一方、頭から首にかけてを単純な円で捉えたのは、金地平面になじませようという配慮だろう
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円山応挙『山水図』 重要文化財 天明七(1787)年 紙本金地墨画 大乗寺蔵
「山水の間」は格天井を備えた書院造で、正式な応接の場。高位の人物が座る上段奥に床(とこ)があり、そこに描かれた水面と床の底面は連続性がある。上段中央に人が座ったらほとんど隠れてしまう島(?)の小ささは、応挙の遊び心の発露だろうか
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円山応挙『山水図』 重要文化財 天明七(1787)年 紙本金地墨画 大乗寺蔵
高位の人物が座る上段側、その反対の下段側のいずれから見ても自然な遠望として鑑賞できるトリッキーな風景描写は、応挙ならでは
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大乗寺客殿の内部立体図(「大乗寺 円山派デジタルミュージアム」より)。仏間に対して客殿の四隅に当たる「仙人の間」「農業の間」「芭蕉の間」「山水の間」には、仏を守護する「四天王」を象徴する画題が描かれているという

──この秋から2023年3月中旬まで、円山応挙が最晩年に手がけた障壁画の原画が、大乗寺の客殿に戻っています。内訳は、金地に水墨の『松に孔雀図』と『山水図』、そして金地に著色の『郭子儀(かくしぎ)図』。江戸中期の大乗寺再興に当たった密蔵上人(みつぞうしょうにん、1716~1786)に対する報恩の念から、力を入れて制作したことがうかがえます。しかし、このところ、奇想の絵師たちに注目が集まる一方、18世紀京都画壇の“正統派”と言うべき応挙の人気は低落気味です。

50年以上前に『奇想の系譜』で取り上げた絵師たちの評価が高まったのは嬉しいことですが、ちょっと薬が効きすぎたかなという気がしますね(笑)。『美術手帖』で連載を始めた1968年ごろは、圧倒的に応挙のほうが人気でしたから、それがまったく逆転してこんな状況になるとは考えもしませんでした。どうしてそうなったかというのは非常におもしろい問題だと思うんだけど……、今日は応挙復権のお話ですね。

──よろしくお願いします。教科書的な紹介で言いますと、応挙は様々な流派の画風を折衷し、西洋画の立体、空間表現にも学んで、写生を重視した独自のスタイルを確立しました。その平明な作風により、町衆から貴顕に至るまで幅広い支持を集め、18世紀後半の京都の町絵師で人気No.1に輝いています。

応挙を語るときに、「折衷」「写生」「平明」という言葉が昔からよく使われるんだけども、私はどうもそれが気に入らないなと思ってきたんですよ。ひとまずそのことは措いておくとして、第一に円山応挙は、日本美術における「巨匠」といっていい存在ですね。室町時代に後の狩野派繁栄の基礎を作った狩野元信(かのうもとのぶ、1477?~1559)と並びうる人物です。彼らは、それ以前の画法や様式を総合して新しい「型」を確立し、それを後世に継承させたという点で共通します。応挙が一代で作り上げた画風も、円山四条派によって近代まで受け継がれていきました。巨匠というのはそういう大人物のことで、今になっていくら人気が出たと言っても、若冲や蕭白を巨匠とは呼べないんですね。

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円山応挙『松に孔雀図』 重要文化財 寛政七(1795)年 紙本金地墨画 大乗寺蔵
形態把握の的確さが光るが、必ずしも細部まで緻密に描いているわけではない。応挙は実際の空間、絵と鑑賞者との距離感を意識したうえで描写の解像度を設定しているようだ

──大乗寺の障壁画はそんな応挙の晩年の代表作です。

私が香住まで見に行ったのはもうずいぶん昔ですが、その中でも『松に孔雀図』は特に素晴らしいなと感心しました。応挙はこのとき60代でしょう? 今の平均年齢でいえば、80~90歳くらいです。私は今年90ですが、とてもこんな仕事はできませんよ。亡くなる3か月前にこれほどのものを仕上げたというんだから、急に具合が悪くなったんじゃないかと想像しますね。

──『松に孔雀図』は一度描いたものが1788年の天明の大火で作業場ごと焼けてしまい、最晩年に再制作したと言われています。緻密な描き込みに頼らない、堂々たる描きぶりですね。

本当にそうなんです。現地で見ると、実にゆったりとした落ち着きがある。応挙が得意とした孔雀と松の応用が成功していますね。これは応挙の中でも特別な絵だと思いますよ。同じ大乗寺の客殿の二階には、彼の高弟で奇想に走った長沢芦雪(ながさわろせつ、1754~1799)が『群猿図』を描いていますが、それはそれで実におもしろいんだけれども、やはり絵の格が違いますね。

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長沢芦雪『群猿図』 重要文化財 寛政七(1795)年 紙本墨画淡彩 襖八面・壁貼付三面 大乗寺蔵
刷毛でサッと描いただけで柔らかな毛の質感を表現した、芦雪らしい動物画。好奇心旺盛で落ち着きがなく、食べることに執着する様子など、「猿らしさ」にあふれる描写が魅力。国宝の『鳥獣戯画』甲巻冒頭のように、顔を出して泳ぐ猿の姿も

──しかも応挙は現地へ赴いたわけではなく、京都で障壁画の構想を練って完成させた可能性が高いとか。これだけの大仕事を、ロケハンなしのリモートワークでやり遂げた点も見逃せません。それにしても、奇想の辻先生も手放しで褒めていらっしゃるのに、応挙の注目度が低いのはなぜでしょう?

応挙の絵というのは、実際の空間で見ないとわからないんですね。特に障壁画の場合は、絵画空間と現実空間の連続性ということを非常に重視して描いていますから。今、応挙が損をしている理由のひとつが、それでしょう。芦雪や若冲、蕭白の絵の魅力はフラットな図版でも感じられるのに対し、応挙の作品の真価は伝わりにくいですね。

──孔雀や松がほぼ原寸大で描かれた『松に孔雀図』のリアルなイリュージョン効果は、その場で絵に囲まれるのを肌で感じてこそ、ですね。一方、応挙の絵を作品図版として掲載する場合、写実性と確かな描写力は伝わるものの、現代人にとっては目新しくありません。

裏を返せば、そういったことが、旧来の狩野派などの絵を見慣れた当時の人々にはとても新鮮に映ったんですね。明治時代の名著になりますが、藤岡作太郎の『近世絵画史』では、18世紀の京都画壇の特徴について、「旧風革新」と形容しています。人々の目を引くために、当時の在野の絵師たちは様々な表現の新しさ、「新意」というものを競ったんですね。応挙の絵の特徴である客観的な空間性や写実性も新たな趣向であり、若冲らの奇矯な個性もまた新しかったわけです。

──「金地に水墨」というのは、奇手といえば奇手ですが。

紙に描いた水墨画の場合は、画面の中に自然と目が引き込まれるんですが、金地の場合は反発することがあります。だから、金地には『郭子儀図』のような彩色画のほうが相性はいい。しかし、『松に孔雀図』では不思議と違和感がなかったですね。

──客殿で襖に当たるのは、一度畳に反射して和らげられた自然光で、光が当たらないところでは、金箔も自然と暗く沈んでくれます。

近景が中心の花鳥画だからよかった、ということもあるかもしれません。

──部屋の床と絵の中の底面を連続させた効果ですね。そのひとつながりの空間が画中奥へとほんのり続いていくように描いています。また、色を抑えている分だけ、応挙のデッサン力が際立っているようです。

正面向きの孔雀は特にそうですね。応挙のデッサンということで私が忘れられないのは、東京国立文化財研究所に在籍していた30代のころに写真で見た「写生図」です。戦前に京都の呉服商の西村總左衛門氏(現・株式会社千總)が所蔵されたもので、その中のさざえを様々な角度から描いた写生が、殻の複雑な形をきちんと面で捉えていることに非常に驚きました。私が絵を勉強していた学生時代に、先生からデッサンについて口を酸っぱくして言われたのは、「面で形を捉えなさい」ということでした。日本人はどうしても輪郭線で描いてしまうんだけど、応挙は面で捉えるデッサンがちゃんとできていたんですよ。立体的表現の心得として、「石に三面を見る」というような言い方もしています。

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円山応挙『古画模写縮図帖』 江戸時代・18世紀 紙本墨画著色 株式会社千總蔵
若き日の辻先生が感動したさざえの写生。昆虫、草木、鳥獣が多い応挙の写生画の中では珍しい海産物。殻の内側の色を出すための雲母など、彩色も丁寧

──石よりずっと複雑なさざえの形を正確に再現していますね。こちらは実物を観察しながら描いた一次写生でしょうか?

おそらくそうでしょう。応挙には一次写生を清書して「写生図巻」を作るというところもありますが、このさざえには対象を前にした生々しさがありますね。

──応挙の完成作は下描きや写生図に比べると得てして大人しくなりがちですが、大乗寺の『松に孔雀図』にはグイグイ描き進めたようなライブ感があります。「応挙の絵はお行儀がよくてつまらない」という漠然としたイメージを持っている人でも、この作品には感動できるのではないでしょうか。

本当に、器の大きさを感じさせる立派な絵だと思います。作品保護のためもあって、今では障壁画を見るというと、美術館での展示が主流になってしまいましたが、今回のようにお寺で本来の状態で見せてもらえるというのはとてもありがたいことです。

──大乗寺で応挙の原画を見られるのは、カニのシーズン終了と重なる来年の3月中旬まで。多くの方がご覧になることを期待したいですね。

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亀居山 大乗寺
開山は天平年間とも伝わる兵庫県の日本海側・香住の地の古刹で、本尊は秘仏・聖観音菩薩立像(平安時代、重要文化財)。応挙一門が手がけた障壁画は絵と客殿周囲の環境をリンクさせるとともに、仏間の十一面観音菩薩立像(平安時代、重要文化財)を荘厳するための「立体曼荼羅」として描かれている。応挙による原画の特別公開は2023年3/15まで。●9:00~16:00(最終受付は閉門20分前、※11/12、12/10、12/17、2023年1/14、2/18は~14:00) 不定休 内拝料/大人¥1,200 小学生¥600 兵庫県美方郡香美町香住区森860 JR山陰本線・香住駅よりタクシーで約5分、徒歩約20分。コウノトリ但馬空港より車で約40分、鳥取砂丘コナン空港より車で約70分

http://www.daijyoji.or.jp/

撮影/荒井拓雄(辻先生) 取材・文/編集部

集英社学芸編集部「学芸の森」掲載(2022.11/ 2)。

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