死刑はんこ大臣の甘すぎた認識

真言宗の僧侶だった泉井卓は、今年7月、阿闍梨になった。サンスクリットでアーチャーリャ=高僧を意味する阿闍梨になるには、仏門に入って師を得て、声明(読経)、工巧明(仏像などの彫刻技術)、医方明(医学)、因明(仏教論理学)、内明(仏教学や法舞)の五明を学び、十八道法、金剛界法、胎蔵界法、護摩の法の四度加行という厳しい修行を完遂させなくてはならない。

これらを成し終えて、現在は鬼仏寺の住職で法名を泉井雨教という。

「仏の道に入って救える人を救いたい」

泉井のその出家の理由は、前職に求めることができる。
泉井は元刑務官であった。それも処遇部門という受刑者を直接、管理する部署でほとんどのキャリアを費やした。

日本の役所は、職員の所属を2~3年で変えていくのが常であり、刑務官であれば他にも作業や教育という部署を経験させるのが通例であるが、その意味で1995年に初任地の大阪拘置所以来、西日本管理センター、神戸刑務所と処遇部門ひと筋であった泉井は特殊な職歴であった。

180センチを超えるその堂々たる体躯の持ち主は、柔道の有段者でもある。職務上、力ずくの管理や制圧も行って来た。2年間、出向した大阪入国管理局では、帰国すればおそらく極刑が待っているであろうイラン人を強制送還するために空港へ移送する仕事にも関わった。

「荒っぽいこともやりました。仕事とはいえ、いろいろなものを見て来ました。自死や病気、様々な要因によって刑務所も入管も人がよく亡くなるのです。そういう仕事環境の中で、自分を内省する機会がありました」

「絞首のスイッチは4つあって執行手当てが2万円。押したらその意識は消えません」【辞任した“死刑はんこ大臣”に元刑務官がたち怒り心頭】_1
今年7月に阿闍梨になった元刑務官の泉井卓氏
すべての画像を見る

懺悔の気持ちの中から、人を何とか救えないのかと、仏の道に向かうのは必然だったのかもしれない。真面目で誠実な人柄から、役所で順調に出世をし、部下にも慕われていたが、定年を前に退職を決意して仏門に入った。そして何年にも渡る厳しい修行を経て阿闍梨になった。

その泉井が、今、静かに、しかし真剣に怒っている。更迭された葉梨康弘法相の発言である。
自らの職務を「死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職」と語った件である。