――『当事者は嘘をつく』は、哲学研究者の小松原織香さんが性暴力を受けた体験をカミングアウトし、当事者であり研究者でもある自身のサバイビングの歩みを語り直した一冊です。どのような経緯で小松原さんという書き手に注目されたのでしょうか?
きっかけは小松原さんのSNSです。小松原さんはフェミニズムなどについて発信されていて、参考にさせてもらっていたんです。文学フリマで初めてお会いして、あらためて、本を書きませんかとメールを出しました。ただ本の中にも書かれているように、最初に上がってきた原稿はボツになったので、当初の企画からはかなり内容が変わっています。2番目に送っていただいたのが、哲学研究者として研究のノウハウを伝えるという内容でした。
僕はよいと思ったけど小松原さんは納得がいかず、「一度好きに書いてみるのはどうですか」と伝えたところ、しばらくして『当事者は嘘をつく』の原稿がドカッと届きました。わかりにくいところに少し鉛筆を入れた程度で、このときにいただいたものをほぼそのまま本にしています。
――自身の苦しみや葛藤のプロセスを克明に綴った『当事者は嘘をつく』は、語りのスタイルが衝撃的でした。柴山さんはどのような感想を持たれましたか?
文章から受ける印象が、『いのちの女たちへ-とり乱しウーマン・リブ論』の田中美津さんみたいだなあって。70年代のウーマン・リブ運動の中心的人物だった田中美津さんの本はよく読んでいて、彼女の言う「とり乱し」の文体ってこういうことなんだなと思いました。
話題作を連発! 編集者・柴山浩紀の仕事術(後編) 「本は書いたら読まれないといけない」
『海をあげる』(上間陽子著)や『東京の生活史』(岸政彦編)などを手がけ、ヒットメーカーとして活躍する筑摩書房の編集者・柴山浩紀。前編では編集者としての歩みと、上間陽子さんや岸政彦さんとの本づくりを語ってもらった。後編では『当事者は嘘をつく』(小松原織香著)、そして編集者という仕事の役割について聞いた。
私の話を信じてほしい――『当事者は嘘をつく』

ほかにも多くの人文書を手がけている
――本づくりを進めるなかで、悩まれたことなどはありましたか?
『当事者は嘘をつく』というタイトルで出すのは編集者的にはかなり勇気が必要で、そこはずっと悩んでいました。タイトルだけ見ると、「当事者」に悪いレッテルを貼ることになりかねない。ただ、小松原さんからいただいたタイトルでもあったので、見せ方を工夫しようと考えました。
カバーに「私の話を信じてほしい」という言葉をメインに据えるのはゲラの段階で決めていて、推薦はやはり信田さよ子さんだろうと。信田さんから「これこそ私が待っていた一冊である」という言葉をいただいたときに、すごくホッとしました。
――この本も売れ行きが好調で発売直後に重版がかかりました。
刊行してすぐ、たくさんの感想がSNSにあがっていて、この本を必要としている読者の方がたくさんいるんだと驚きました。
『当事者は嘘をつく』は性暴力についての本ではありますが、だれかを告発する本ではありません。被害を受けたあと、その傷をさらにえぐることになった「支援者」への恨みは書かれていますが、それが攻撃的なものにはなっておらず、本の外側では何も責めていない。だれかを責めないようにするというのは、自分が本づくりをするうえで大事にしていることかもしれません。
原稿を「売れる」本にするために
――柴山さんはさまざまな本を手がけられていますが、企画はどのように着想されているのでしょうか?
あるていど経験を積んでいくとその分野の蓄積ができてくるので、駆け出しのころよりは楽になったはずなんですが、気づけば出がらしになっていて、企画にはいつも困っています。
僕は鈍いというか遅いというか、担当した本の冊数が本当に少ないタイプの編集だと思います。着想はこれという瞬間に出てくるものではなくて、自分の生活や環境とある程度関連するテーマで、ずっと引っかかっていることや考え続けていることを形にしていくイメージです。
――本づくりは編集者と著者の共同作業です。書き手に伴走する仕事として心がけていることはありますか?
著者のやりたいことを大切にして、それを実現するためにはどうすればいいかを考えること、でしょうか。「伴走する仕事」と言っていただけるのはうれしいですけど、はたしてできているのか、著者に伴走しているというのはちょっとおこがましい気がします。
著者の方がずっと考え続けてきた大切なことを、原稿にして預けていただいている感覚なんです。いただいた原稿をどうやったら多くの人に読まれる本のかたちにできるのか、それをうんうん考える。そういう意味では、僕は本が「売れる」ことを重視しているし、一般書として出す以上は読まれるものにしましょうというのはいろいろな著者に言っています。本は書いたら読まれないといけない。
――近年の柴山さんの担当書にはヒット作が多く、売れる本を作るという意味では成功を収められているのではないでしょうか?
そうは言っても、人文書のパイはどんどん小さくなっているし、なかなか厳しいものがあります。最近ではスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』のコミカライズがヒットしました。そういう、ひとつの本から展開していくものが何かできないかと考えているところです。
文芸やコミックと比べて部数が少なくても、社会的に大きなインパクトを与えることができるという一面が人文書にはあります。それはこのジャンルの強みではあるけれど、商業的にはやはり難しい。だからこそ、人文書一冊が単体として黒字になって、著者にもちゃんとお金が入り、またデザイナーや印刷所など本づくりを支える方たちにも還元できる本づくりを目指していきたいです。
前編はこちらから
撮影 関純一
取材・文 嵯峨景子
海をあげる
上間 陽子

2020/10/29
¥1,760
単行本 : 256ページ
4480815589
978-4480815583
「海が赤くにごった日から、私は言葉を失った」
おびやかされる、沖縄での美しく優しい生活。
幼い娘のかたわらで、自らの声を聞き取るようにその日々を、強く、静かに描いた衝撃作。
東京の生活史
岸 政彦

2021/9/21
¥4,620
単行本 : 1216ページ
4480816836
978-4480816832
150人が語り、150人が聞いた、東京の人生
いまを生きる人びとの膨大な語りを一冊に収録した、かつてないスケールで編まれたインタビュー集。
当事者は嘘をつく
小松原 織香

2022/1/31
¥1,980
単行本(ソフトカバー) : 204ページ
448084323X
978-4480843234
「私の話を信じてほしい」哲学研究者の著者は、傷を抱えて生きていくためにテキストと格闘する。自身の被害の経験を丸ごと描いた学術ノンフィクション。
新着記事
一度は試したい! 進化したビジュアル系和菓子【おやつ部まとめ】 #SPURおやつ部
「これが映画だ、ということに電撃に近いショックを受け、打ちのめされた」…大人が嗜む苦み走ったコーヒーやシガーのような滋味を初めて知った樋口真嗣を、同時に震撼させた劇場での光景【『ブレードランナー』】
私を壊した映画たち 第5回