居酒屋メニューや日本生まれの洋食、はたまたB級グルメといった“近代食文化”の正確な歴史を膨大な文献を照らし合わせながら体系化している「近代食文化研究会」。
今回も、同会の主要メンバーにお馴染みの日本料理にまつわる“知られざる歴史”や“トリビア”を紹介してもらった。
寿司が2貫ずつ出る理由は? 日本初の丼めしは天丼だった? 知られざる食トリビア
私たちが何気なく口にしている食べ物には意外な誕生秘話があった⁉ 膨大な資料を研究し食文化の秘密を解き明かし続ける「近代食文化研究会」が、にぎり寿司と天丼のトリビアを紹介!
「にぎり寿司」は一口では
食らべれないほど大きかった
まずは代表的な和食、「にぎり寿司」だ。

江戸時代のすごろくに描かれた当時の流行食であった「松寿し」の絵。(国会図書館蔵 『新版御府内流行名物案内双六』より)
「そもそもにぎり寿司とは、木箱に酢飯を入れ、上に具を載せて上蓋で押して作る押し寿司が発展して生まれた料理。にぎり寿司登場以前の江戸などでは、こうした押し寿司が屋台でファストフードとして売られていました。その後、押し寿司のバリエーションとしてにぎり寿司が登場します。

最初に寿司を2個セットで出し始めた店とも言われる「宇の丸鮨」の写真。包丁で2つに切っている(土曜社『すし通 : 昭和五年名著 』より)
以後、明治時代から戦前までのにぎり寿司は、男性でも一口で食べることができないほど大きなサイズが標準で、押し寿司の流れを汲んでいたこともあり、かなり強めに押し固められていました。
男性はこれを噛みちぎって食べていましたが、女性はそんな下品なことはできないので、店側が包丁でふたつに切って出していたのです。
今主流となっている、1ネタで2貫のお寿司が出てくるルーツがここにあると言われることがありますが、個人的にはこれは間違いだと思います。
1ネタで2貫のお寿司を出すようになったのは大正時代から。理由は1皿に複数のネタを出していたそれまでのスタイルに加えて、寿司の個別売りを始めた際、売り上げの計算がしやすいように偶数で売り始めたためです」(近代食文化研究会メンバー、以下同)
屋台で串刺しで売られるスナック的存在だった天ぷら
次は同じく和食の定番、「天ぷら」だ。

江戸時代の天ぷらの屋台を描いた浮世絵。手前に串に刺した天ぷらが描かれている。(国会図書館蔵 『職人盡繪詞. 第1軸』より)
「もともと江戸時代の屋台料理で、当時の屋台にはカウンターやテーブルがないため、お客さんが持ちやすいように串が刺してありました。また、子どもも買い食いできるようなスナック的な存在でした。
天保(1830~40年)のころになると、天ぷらをおかずにご飯を食べる習慣が生まれ、ご飯を出す屋台も登場。箸とご飯茶碗を持って天ぷらを食べるとなると、串刺しの天ぷらは少々食べにくいため、串なしになっていったのです」
天ぷらといえば「天丼」だが、そのルーツは?
「天丼は明治の文明開化が生んだ日本初の丼もの。しかし、江戸時代の東京の地層からは、牛丼屋にあるような丼の器は発掘されておらず、見つかったのは現在の茶碗くらいの大きさの小さなものだけでした。
つまりそれ以前は丼ものは存在しなかった可能性が非常に高いのです。文明開化以前にも『鰻飯』という現在の鰻丼にあたる食べ物はありましたが、茶碗ほどの小さな“丼鉢”に、「メソ」というどじょうのように小さいうなぎの蒲焼をあわせたもので、現在の鰻丼とはかなり異なり、当時の人々はこれを何杯もおかわりして食べていました。

江戸時代のすごろくに描かれていた、文明開化以前の「鰻飯」の絵。(国会図書館蔵 『新版御府内流行名物案内双六』より)
なぜ通常サイズの丼を作って、一杯で満足できる鰻丼を作らなかったのか。
民俗学者の柳田国男によると、昔の日本には、葬式で死者と別れる際に、ご飯を茶碗一膳だけ食べる“食い別れ”の儀式があり、これは“一膳飯”と呼ばれ、北枕や逆さ水のように忌み嫌われていたんです。それが明治の文明開化でこの旧習を気にしない人々が現れ、明治10年前後に日本初のどんぶりものである天丼が生まれました。
一方、鰻飯から鰻丼への変化は、明治30年代に従来の小さな丼鉢に加え『鰻飯の大丼』というメニューが追加され、養殖ウナギの普及とともに徐々に“大丼”が標準となり、昭和になってやっと呼称が『鰻丼』になりました。
やはりそれまで使用していた茶碗サイズの丼鉢を大きな丼に買い替える抵抗や、お客さんへの配慮で時間がかかったのでしょう」
お寿司も天丼も、日本人のソウルフード。そのなりたちを知ると、味わいも少し変わってくる?
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