7月に俳優・石坂浩二さんから始まった、佐々木徹氏のインタビュー連載「遺魂伝」。「この人の“魂”の話を今のうちに聞いておきたい!」という当連載の第2回ゲストは、出版界のドンにして俳人の角川春樹さんである。

角川さんと言えば、角川映画を立ち上げ、出版と映画のメディアミックスを始めたり、麻薬取締法違反で逮捕されたり、神社を創建したり…と、破天荒で波乱万丈、あふれるバイタリティで様々な地平を切り拓いてきたイメージがあるが、角川さん自身はその人生を上記タイトルのように語るのであった。その真意とはいかに?

「僕の人生は、流されながら自殺しようとしていた」角川春樹が語る波乱万丈の人生_1
角川春樹(かどかわ・はるき)1942年、富山県生まれ。角川春樹事務所会長兼社長、映画監督・プロデューサー、俳人。1965年、角川書店入社。75年、角川書店社長に就任。76年より映画制作に乗り出し、書籍と映画を同時に売り出すメディアミックスの手法で一大ブームを巻き起こす。93年、麻薬取締法違反などで逮捕され、2000年、最高裁判決で懲役4年の実刑確定。出所後は出版、映画制作に復帰し、現在も〝生涯現役編集者〟として活躍中。
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「7月20日ですか、10歳になる息子と一緒に『日本のドン』(TBS系)を観たんですよ」

──ああ、はい。千鳥がMCのトークバラエティ番組ですね。角川さんは「出版・映画界のドン」としてご登場。若かりし頃の渋谷での1対200人の決闘話も紹介されていました。千鳥の2人が角川さんにビビリまくっていたのが笑えましたよ。ツッコミどころ満載のエピソードばかりなのに、大悟なんか角川さんと目も合わせない。

「(笑)」

──観ているこっちは、少しイラッとしました。そんな弱腰なら、番組のMCを引き受けなければいいのにと思って。

「こちらも葛藤がありました。番組の性質上、私のこれまでの歩みを追う内容ですし。となれば、あの件にも触れることになる」

──でしょうね。

「放送日の前日、息子が無邪気に喜んでいましてね。私のベッドの上で笑い転げながら〝明日、パパがテレビに出るんだってね、楽しみだよ〟とはしゃぐように言っていたんです。でも、放送される内容は息子が素直に喜ぶものばかりじゃない」

──逮捕、収監の話とか。

「逮捕時の写真、映像が流れるのはわかっていましたから。一応、それらの映像を流すのは止めてほしいと制作側にお願いしたのですが、彼らからすれば、テレビ的に必要な映像となる。つまり、テレビ的な注目を集め、視聴率を取ろうとしている。

実際、けっこうな視聴率を稼いだようですが。そんな背景を十分に理解していたはずなのに、結局は番組出演を引き受けてしまった。息子のことを考えると、ものすごい後悔の念に駆られましたね」

──大好きな父親の逮捕劇がテレビから流れたら、少なからずショックは受けるかも。

「去年、息子はいじめに遭ったんです。いじめられる原因はいろいろとあったみたいなんですが、そのひとつに私のことがあった。息子に対して〝お前の親父は前科を持った犯罪者だ〟とからかうヤツがいたんですね。

でも、それは事実ですし、抗弁できない。それなのにテレビでリアルに私の逮捕時の映像が流れたら、息子は再びいじめに遭うかもしれない。私のせいで以前より、もっとひどくいじめられるかもしれない」

──それでも、一緒にご覧になったわけですね。

「微かな希望はありました。昨年の夏から、私の影響で息子は剣道を習い始めたんです。しかも、たった1年間で3級の試験に合格したんですよ。1年で3級に昇級できる子供はなかなかいないらしくて。道場の指導者も、昇級試験というプレッシャーがある中で、平常心を保ちつつ、素振りの形も立ち合いでも己のベストな状態を作り出せていたと驚いていました。

たぶん、私の知らないところで、鍛錬を続けたんでしょう。ずいぶんと肉体的にも精神的にもたくましくなっていたようです。だから、耐えられるかな、とは思いました。実際、番組を見終わり〝お前が私と観たいと言うから、一緒に観たけども、大丈夫か?〟って問うと〝大丈夫だよ、パパ〟と言っていたので、安心しましたね。その後、私は息子に、こう言ったんです……」

──さて、角川春樹は10歳になる息子に、どのような言葉を告げたのか。それは後半でのお楽しみとして──。

ともあれ、出版業界に携わる者としては、冒頭で話題にした『日本のドン』は、実に刺激的な番組だった。なにせめったにテレビに出演することのない角川春樹が、これまでのエネルギッシュな人生を振り返り、現在の角川春樹事務所の社長としての日常も紹介するというのだから、自然と目がテレビ画面に貼り付く。

ただ、千鳥の突っ込み不足はあるにせよ、物足りなさを感じたのも確かだ。

いやだって、あの角川春樹だぜ。

渋谷での1対200人をはじめとする数々の武勇伝。父親との確執に悩みながらも、次から次に斬新な出版アイデアを繰り出し、角川書店を立て直した経営者としての剛腕。その後、映画界にも進出。映画作品と文庫を組み合わせるというメディアミックスを確立させ、大量の映画CMをテレビで打ち、観客動員に結び付けたアイデアは輝かしくも画期的だった。

それだけではない。

出版社の偉い人であったり、映画のプロデューサーというのは革張りの椅子にふんぞり返り、あれこれ部下に指示を出すのが仕事だと思いがちだが、角川春樹は違う。自ら映画のロケハンで危険地帯である東南アジアのゴールデントライアングルを突き進んだり、邪馬台国の謎に迫るべく、ヨットの野生号に乗り込み、帆が折れようと荒波を乗り越えた。

一歩間違えれば、そこには確実に死が待つ冒険の旅を重ねてきたのだ。私なんか何を好き好んで危ない目に遭わなくてもよかろうに、と思うのだが、おそらく「死」に対して揺るぎない覚悟なるものを持っているのだろう。

これは角川春樹に対する勝手な思い入れになるのだが、例えば、保守的な会社組織にありがちな〝前例がないから、やらない〟を最も嫌い、逆に〝前例がないからこそ、必ずやり遂げる〟を実践してきた人ではあるまいか。

その一方、大麻所持などで逮捕、角川書店追放の闇もある。

まさに光と闇が混濁し、勢いよくグルグル回り続けることよって周囲の人間たちをも巻き込み、齢80を超えてもなお、凄まじい魂のパワーを放ち続けている。

となれば、2年半も続いている新型コロナウイルスのパンデミックで閉塞感と生きづらさを感じているいま、テレビのバラエティ番組では収まり切れない、収まり切れるはずもない、そのゴツゴツとした荒ぶる魂に触れてみたい。

触れることで、胸の奥にくすぶっている何かを吹っ切りたい。

そんな切なる願いは、夏の盛りに実現。

音もなくふわあっと現われた角川春樹の佇まいには少しだけ老いを感じたけれども、いまだ衰えぬ眼光には一瞬にして人の心を見抜く居合斬りのような迫力が帯びていたのだった――。