プーチンが始めたウクライナ戦争には謎が多い。そもそも戦争の目的が何なのかが不明だ。現場の兵士・将校もはっきりわかっていないのではないだろうか。
この数ヶ月、主張の重点は様々にずれてきた。目的は単一なのか、複数なのか。NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大阻止が議論されているが、他にもウクライナ東部2州の独立、ウクライナの非軍事化・中立化、ゼレンスキー政権の転覆、果ては西洋世界への反発、偉大なロシア帝国への憧憬などと雪だるま式に膨れ上がっている。進行中の停戦交渉プロセスを通して目的が見えてくるのかもしれない。
プーチンの本音がどこにあるのかについてはロシア専門家にお任せするとして、プーチンがウクライナ侵攻にゴーサインを出す有力なきっかけを、実はアメリカ大統領が作ってしまったというのが、私の見立てだ。
ウクライナ戦争を阻止できなかったバイデン米大統領の「世紀の大失敗」
ロシアによるウクライナ侵攻開始から約50日が経ったが、事態は泥沼化する一方だ。こうした状況を作ってしまった責任は、アメリカのバイデン大統領にもある。外交のプロを自認するバイデンの「世紀の大失敗」とは?
見透かされた「口だけ番長」の胸の内

時間を昨年12月8日のワシントンに戻そう。ホワイトハウス南庭からマリーン・ワン(大統領専用ヘリ)で離陸前、記者団とのぶら下がり会見で次のようなやりとりがあった。
(前略)
記者「民主党内で派兵の議論があるが、派兵を考えているのか、いないのか?(Will you rule that out, or is that on the table?)」
バイデン大統領「考えていない(That is not on the table.)」
このやりとりに椅子からずり落ちる思いをしたのは世界で私だけではなかっただろう。大統領はまた、アメリカが単独でウクライナに派兵する可能性について「今は考えていない」「NATOとしてウクライナの防衛義務はないが、加盟国がどう対応したいかにもよる」などと含みをもたせる発言もしている。
この派兵否定発言は世界を駆け巡り、その後もバイデンは何度も派兵否定を強調してきた。12月8日の発言では「今は」とか「アメリカ単独では」とか微妙な限定句が入っているが、その後の発言では言及されないこともしばしばだ。そもそも、そんな発言だとメディア報道では「派兵はない」がヘッドラインになってしまう。
この日の前日、バイデン大統領はプーチンとの2時間のテレビ会談を通して、仮に侵攻に踏み切れば、「アメリカは応酬し、厳しい制裁を課すと明確に伝えた。プーチンはその真意がわかっているはずだ」と胸を張った。
その後も派兵否定コメントの後は必ず、未曾有の経済制裁やウクライナへの防衛的武器供与追加など、様々な「脅し」を発信し続けている。
そればかりか、情報機関がもつインテリジェンス(国家機密情報)の積極的開示もあった。昨年から進行するロシア軍の増派状況の情報を、リアルタイムに近いレベルで世界のメディアや各同盟国に提供したのだ。これは前代未聞のことだ。
こうしたバイデン大統領の振る舞いを見て、当初は半信半疑だった欧州各国も次第に事の深刻さを共有することとなった。どうやらバイデン大統領は自分の役回りを、プーチンに「おまえの手の内は見えているのだから、変なマネをしても無駄だぞ」と脅すことで国際世論に訴える「口だけ番長」で事足れりと考えていたようだ。
トランプ流ディール術とプーチン
にもかかわらず、これらすべてのカードは結果的に侵略の抑止にはまったくならなかった。なにしろ、アメリカ軍が戦闘行為に加わらないという言質をバイデン大統領が与えているのだ。
19万人の兵力で脅せば、短時間でウクライナに白旗を揚げさせ、2014年のクリミア半島のように「無血入城」も可能になる。幸い、ドイツのメルケルも退陣して欧州は統率がとれていない。エネルギー価格の高騰で稼いだ外貨もたんまりとある今は千載一遇のチャンスだ――。
そうプーチンは判断したのかもしれない。いずれにせよ、武力行使以外の脅しは抑止力として機能しなかったことは確かだ。
ではアメリカが武力を行使できるのかといえば、現状は極めて困難な状況にある。第2次世界大戦以降も多くの軍事介入をしてきたアメリカだが、核大国に対してはない。ならば、ドナルド・トランプだったらどうだったかとも考えてしまう。

秋の中間選挙に向けて、アメリカではトランプ待望論も
トランプもバイデン同様、軍事介入には抑制的だったろう(シリア空軍基地などへの限定爆撃はあったが)。国内で黒人差別の抗議デモを鎮圧するために軍の投入を検討したことはあったが、国外で米軍を動かすことには消極的だった。金にならないことには関心が薄いというのが彼のデフォルト対応だ。
しかし、「派兵するのか?」と聞かれて「しない」と明言するアメリカ大統領はバイデンぐらいではないか。連邦上院外交委員長を4年も務めた人物なら、抑止力の何たるかの理解は骨肉化しているはずである。なのに、彼は「しない」と発言し、抑止力を失わせてしまった。
トランプならおそらく”We’ll see.”とか、“You’ll find out.”(そのうち、わかる)と曖昧にするか、多くの大統領の常套句”Everything’s on the table.”(すべての可能性を排除しない)と言ったにちがいない。トランプ流ディール術(それが本当にあればの話だが)の要諦のひとつは、曖昧さとサプライズだ。
とにかく、12月8日の時点で「すべての可能性を排除しない」とバイデンが発言していたら、プーチンはアメリカの本気度に背筋が寒くなっていたのではないか。しかし現実には、介入完全否定だった。
中間選挙とアメリカの黄昏
なぜバイデン大統領が明確な不介入メッセージを口にしたのかは不明だが、軍事介入を簡単にできない理由は2つ考えられる。
1つ目は中国だ。トランプ時代から引き続き、アメリカはグローバルな覇権を争う相手として中国に的を絞ってきた。そのための軍事・外交的リソースをアジアに集中させようという矢先にウクライナ戦争が勃発すれば、アメリカは対ロシア、対中国という二正面での対応に追われることになる。これではいくら超大国アメリカといえども限界がある。かりにロシアと直接衝突すれば、中ロ関係を緊密化させるだけだ。
2つ目は国内政治と世論である。バイデン政権は「中間層の外交」(foreign policy for the middle class)を標榜している。実態はやや漠としているが、つまるところ庶民、とくに中西部の有権者のプラスにならない外交政策はしないということだ。
一部軍産複合体などは別にして、戦争は一般のアメリカ人の生活にはプラスにならない。
20年の大統領選挙でバイデンがトランプを破った最大の要因は、中西部激戦州での白人中産階級の支持の差だった。特に無党派の白人だ。
その無党派層が今、バイデン政権から離れている。平均支持率は40%だが、無党派層では30%台にすぎず、しかも下降気味だ。すでに今秋の中間選挙は黄色信号が点灯していると見るべきだろう。
仮にウクライナに地上兵力を送るとなれば、そう簡単には撤退できない。ロシアとの戦いは長期化し、平均的アメリカ庶民生活を苦しめることは必至だ。
しかも国内には厭戦気分が広がっている。昨夏のアフガニスタン撤退もその帰結だが、湾岸戦争から数えると30年以上も中東での戦争に関与してきた徒労感マックスな状態がアメリカ社会にはある。AP・NORCの世論調査でも「ウクライナで積極的な役割を果たすべき」としたアメリカ人は4人に1人(26%)にすぎず、5人に1人(20%)は「まったく関与すべきでない」と回答しているほどだ。
ちなみにこの世論調査は2月24日の発表で、ロシアによる侵攻当日にあたる。バイデンの派兵否定発言の背後には対外関与に背を向ける国内世論が深く影を落としていることは否定できない。
それにしても、世界最強の軍事超大国アメリカのリーダーが、公然と武力行使を否定して自らの手を縛り、開戦後に慌てて支援をする様はまさに「アメリカの世紀」の黄昏を思わせる出来事といえるだろう。
写真/AFLO
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