——お二人にとっていい絵とはどんな絵でしょう?
伊野孝行(以下、伊野) いきなり聞かれると困る(笑)。
南伸坊(以下、伸坊) まあ、面白いと思う絵がいい絵ですね。立派なことやみんなが思っているようなことを描いているのがいい絵だって思っている人が多いけど、あまり面白いとは思わない。
伊野 例えば美術館で、「なかなかこの絵の前から立ち去り難いな」って感じる絵はいい絵なんじゃないでしょうか。僕は伸坊さんと違って、一応、解説文も読みますけど(笑)。
伸坊 うちの奥さんはちゃんと読むんですよ。後でお茶飲みながら話をすると、「へ~」とか思って(笑)。でも若い頃、解説見て絵見てっていうのが嫌だと思っちゃったから。
伊野 絵って不思議と描いた人の気持ちが、正直に現れるもんなんですよね。たとえば印象派なら、写実表現から解放されて、パーッと明るいところに出た開放感。 高橋由一には、リアルに描くこと自体に驚きながら描いてる高揚感がある。その気持ち、わかるなぁって。
伸坊 解説で思い出したけど、アンドリュー・ワイエスの《クリスティーナの世界》を見たときに、なんでこの女性はこんなに腕が細いんだろうって思ったんですよ。絵は面白いんだけど、その時はその理由がわからなかった。最近、その人が筋肉の病気だったことを知って、合点がいったんです。これも解説文を読めばすぐわかることで、つまり、解説は自分は読まないけど、読むなとは言ってない(笑)。
伊野 僕も病気のことを知ったときはドキッとしました。
伸坊 絵って見ただけでわからないことがある。まあ、わかったほうがいいって考え方もあるけど、絵なんだから。どうしてもわからせたいんだったら、絵の中に説明文を入れてくれ(笑)。
伊野 アハハ。他の人が、ワイエスと同じテーマで描いても、面白い絵になるかどうかわかんないですよね。だから、いくら文学的主題があったって、それをどう表面に現すかですよ。。
伸坊 そうそう、そうですよ。
伊野 逆に意味がなくても、勝手にこっちが想像して感動することもあるじゃないですか。絵じゃなくても、壁のシミを見てなんかいいなと思ったり、茶碗の釉薬の溶け具合に崇高さを感じたり……あれ勝手に溶けてるんですから(笑)。
伸坊 そうだね、いいこと言ってくれました。絵から受け取れるってものが、元々あるわけですよ。解説文を先に読む人は、正解を求めすぎていると思うんです。まわりの目を気にするって言うか。そんな答えより、普通に見て、何も感じられない絵はその人にとってつまらない絵なんです。見てわかることが結構あるんだってことをものすごく言いたい。
伊野 今回のカバーにアルベール・マルケの絵を使ってますが、二人ともマルケ推しです。マルケは外れなくどれもいいですね。
伸坊 マルケの絵は、見て、気持ちがいい絵ですね。見た時、実際にその場にいるような感じがしたね。主張はしないんだけど、色がいい。マルケは、マティスの友達で、野獣派。初期の頃はお付き合いで野獣派的な色を使ってたけど、だんだんこういう色使いになった。いい景色だなと思って描いてる感じが伝わってくる。
伊野孝行×南 伸坊「プロの描き手二人が、“いい絵”の見方、楽しみ方を教えます!」
自分にとっての「いい絵」とは何だろう? ともに描き手である二人がジャンルを跨ぎ、縦横無尽に語りつくす空前絶後の絵画談義。10月5日発売の『いい絵だな』(伊野孝行、南伸坊著・集英社インターナショナル刊)の刊行を記念して、知識とは違う次元の鑑賞法を聞いた。
『いい絵だな』刊行記念対談
いい絵とは何か?

アルベール・マルケ《ラ・プラージュ、サーブル・ドロンヌ》(『いい絵だな』)
伊野 その感じ、描きすぎないところから来てますね。
伸坊 そうだね、描きすぎてどこにも隙のない絵っていうのは面白くない。見る人が入っていけないというか。
伊野 完成してるけどつまらない絵っていっぱいあるんですよ。描きすぎたっていうのは、絵を描いている人だったら、みんな経験してると思うんです。ここ気持ちいい、というところを通り過ぎて、「しまった!」 となっちゃう。セザンヌの絵には塗り残しがありますが、筆の置きどころの緊張感が伝わってくる。もともと水墨画に馴染んでた日本人はわりとそういうのわかると思うんですよね。
伸坊 完成させて、どうだ、うまいだろう、って嫌だね(笑)。
絵を見るときの視点
——絵を見る側の好みというのは時代とともに変わったのでしょうか?
伊野 西洋古典絵画の序列では、「宗教画」「歴史画」がエライとされていて、そこで勝負するために、画家もリアルに描くことが必須、見る人もそこに感心する――そういう時代がずいぶんと長かったんですね。
伸坊 ダ・ヴィンチがね、あそこまでうまく描いちゃったからね。油絵具が発明されて、スフマートっていう薄―く塗り重ねていく技法も生まれたし。もう前に戻るわけにはいかなくなっちゃった。発注する側は、このクオリティーを求めてくるよ。
伊野 ルネサンスの頃に発明された「カメラオブスクラ」という光学装置も大きいですね。リアル度が一気にレベルアップした。でもその装置、画家たちの秘密だったんです。そんなの使ってたなんて知らなかったよー。

伊野孝行《カメラオブスクラの原理》(『いい絵だな』)
伸坊 知らないよね、普通は。まあ、その時点ではいちばん人間の見てる感じに近かったんですよ。実際の目は、その都度ピント調整したり、動いているから、いろんなところで矛盾が起こる。それが、レンズを通すと、かなり近いぞっていうのはあったと思う。
伊野 西洋美術がリアルを求めたせいか、一般的にも「デッサンは絵の基本」だと言われてるけど、なんか嘘があるんじゃないかと思ってました。ピカソのキュビスムもデッサンが基本なの? そもそも形すらない抽象画にデッサンは意味があるの? とかね。みんなもそこ疑問じゃないですか。
伸坊 キュビスムって、アイデアだよね。アイデアっていうか発明(笑)。セザンヌは絵がヘタでテーブルの上の果物がなんか浮いてるように見える。開きなおって「どこが悪い」といろんな視点から描く絵を芸風にした。ある意味、正しいんですよ。人間の目はそういうふうに見ているから。
アートの楽しみ方
——難しい絵、たとえば現代美術はどうやって楽しむのがいいでしょうか?
伊野 まず、現代美術は投機の対象になっていますよね。値段がめっちゃ高い作品があるのはそのせいです。イラストレーターじゃなくて現代美術作家になった方が儲かったかな……でもどうやってなるのかがわからなかった(笑)。
伸坊 昔は売れなかったんです。でも赤瀬川(原平)さんがやってた頃はものすごく面白かった。今まで誰もやってなかったようなことをどんどんやってたんだから。
伊野 今と違って、まったくお金にならないものでしたね。
伸坊 そう、日本じゃね。現代美術の本場はアメリカだってなって、つまりマーケットがあるという意味だけど。専門家が専門家を相手にしている芸術っていうかね。
伊野 お茶の世界と似てるんじゃないですかね。見せ方とか。
伸坊 うんうん。利用価値がある、そういう茶道みたいなシステムがなければ、なんでこんな茶碗がって話になる。現代美術についても、それを面白がったり、蘊蓄を語ったり、そういう一部の社会があるから、価値があるわけだよね。
伊野 現代美術では作品に至る「文脈」ってものが重要視されてて、評価されるポイントでもありますよね。そういうものがわからないといけないと思うから、余計にむつかしく思っちゃう。
伸坊 確かに理屈っぽいところはある。別にたいしたことじゃないけどね。
伊野 「絵は意味がわかれば面白くなる」っていう考えが根強くあります。でも僕は、意味は一番最後でいいって思うんですよ。そんな見方だと絵は一生わかんないかもしれない。まずは意味や言葉から離れて見てみる事が大事。意味は脱衣所で脱いで、裸でお風呂に入って「あ〜いい湯だな」って。お湯の成分や効能はあとでいいでしょ? 絵もそういうふうに見てほしいな。
伸坊 うまくまとまった(笑)。
いい絵だな
伊野孝行 南伸坊

2022年10月5日発売
2,420円(税込)
四六判/240ページ
978-4-7976-7418-7
自分にとってのいい絵を探そう
描き手によるジャンルを超えた、
ゆるくて面白い絵画談義。
なぜ画家たちはリアルに描くことに夢中になったのか、
ヘタな絵の価値とは何か、
現代美術は何を言おうとしているのか、
ファインアートとイラストは違うのか……。
描き手である二人がジャンルを跨ぎ、縦横無尽に語り尽くす。
絵を描くと分かることがある。
お勉強では分からないことがある。
本書を読むと、料理を自分の舌で味わうように
絵が鑑賞できるようになる!?
絵は好き嫌いで見てもいい。
むしろ好き嫌いで見るべきだ。───山田五郎(評論家)
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