9月初旬、東京・南千住にある惣菜パン屋で行われた「ドキュメント72時間」の撮影に同行した。この回のメインディレクターは、企画提案者であり番組を長年担当する岡元啓(以下、岡元D)。「ドキュメント72時間」の撮影はディレクター、音声、カメラマンの3人1組×2チームで、交代しながら行われる(2チームが一緒に取材することもある)。
この日は3日間のうちの2日目。開店は朝7時だが、搬入や仕込みといった開店準備から撮影するため、番組スタッフは明け方3時半から店の前で待機していた。はじめは岡元Dのチームだけで現場を担当し、7時に別チームと一度交代したのちに今度は2班体制で取材するという。

NHK「ドキュメント72時間」は本当に“ぶっつけ本番”なのか? 撮影現場に潜入してみた
レギュラー放送開始から今年で10年目を迎えたNHKの番組「ドキュメント72時間」。喫茶店や居酒屋、コンビニなど、ひとつの場所を72時間にわたって撮影し、そこに訪れる人々の声に耳を傾ける。 毎回、インタビューに対して打ち明ける本音が現代の人間模様を伝えているが、本当に“ぶっつけ本番”なのだろうか。制作の裏側を探るべく、撮影現場に同行した。(後編/全2回)
2チームで3日間の出来事を追う

未明から店の開店準備を取材する制作スタッフ

1957年創業の老舗パン屋「青木屋」の3日間を追う。10月7日放送予定
以前から候補だったという同店に、このタイミングで撮影が決まった理由は「値上げ」だった。原材料高騰に伴う値上げラッシュの波を受けて、同店でも8月に決断。人気のコロッケパンを270円から290円とした。プロデューサー・篠田洋祐(以下、篠田P)は「パンの値上げをお客さんがどう受け止めているのか。その声から今の時代性が少しでも切り取れるんじゃないか、と考えました」と話した。
値上げは確実に家計にダメージを与える。しかし、それゆえ悲痛の声に溢れているはずだ、という先入観は持たない。岡元Dは言う。
「事前にストーリーを決めすぎると視野が狭くなるんです。予定調和を壊すために、固定観念を排して、現場の想定外な声や出来事をそのまま受け入れます」

岡元D(左)に加え、音声、カメラマンの3人1チームで取材
アクシデントを面白いと思えるか
しかし、本当にそんなことが可能なのだろうか。撮影時間は72時間と限られていて、時間の延長も再撮も許されない。岡元Dは「通常の情報番組では事前に練った綿密な構成を元に、コンパクトな撮影に抑えるケースも少なくない」と明かす。
その対極にもある、決めすぎない構成・ぶっつけ本番・アクシデント歓迎、という異質さ。少し疑うように、事前の構成通りに動いたほうが安心しないかと尋ねてみる。
「この番組はそういう作り方じゃないので。もちろん大変ですけど、アクシデントを面白いと思えるかどうかじゃないですかね」
台風到来などの撮影期間の天気も怖くないかと質問すると、苦笑しながら答えた。
「たしかに天気は怖いですね。お店の取材だとお客さんが来なくなりますから……。ただ、悪天候に助けられることもあるんですよ。四苦八苦するスタッフの姿を取り入れられますし、それでも買いにくるお客さんがいれば店の新たな顔が見えてきます。その意味では、アクシデントが起きたらラッキー、みたいな打算的なところはあるかもしれません」
その発言を聞いたおよそ30分後だった。まさに7時の開店直前に、天気予報にもなかった大雨が突如降り出したのである。

開店前、急な大雨に見舞われる
「雨カバーどこにある?」
岡元Dの指示でカメラ、音声機器にカバーをつける。ほどなくしてお客さんが来店する。まだ開店前だというのに……。それでも岡元Dは何事もなかったかのように、買い物を終えた人に声をかける。
「まだ開店時間前ですけど……何を買われたんですか?」
岡元Dはすでにびしょ濡れだ。

開店時間前に訪れた客にさっそく話を聞く

開店後、続々と訪れる客にインタビューする

2チームが合流し、情報共有をする
何気ない質問から私的な話題へ
「いっぱい買われるんですね」
10時半頃、店を訪れた女性ふたり組に岡元Dが声をかける。ふたりは姉妹。ひとつのパンを3等分して家族で分け合うという食べ方にはじまり、外食や服にかけるお金を節約しているという値上げや年金生活の話題へと展開。話の流れで岡元Dが何気なく投げかけた「(退職されたのは)ご主人も?」との質問から、より私的な問答へと変わっていく。
姉:いないんです、ふたりとも(笑)。バツイチです。
妹:だからいつもくっついてんの(笑)。
岡元D:おふたりともバツイチ。
妹:そうなの。親はショックですよね(笑)。
(中略)
妹:でも(元夫とは)まだ付き合いはあるので、この距離感が楽しいんですよ。だから今でも仲はいいです。
姉:そう。まったく後悔はないですね。(離婚を)しなかったほうが後悔してたかもわかんない。
岡元D:どんなところが。
姉:うーん、何だろう。
妹:そこまで突っ込むんですか(笑)。突っ込まないでください、もうそれ以上は。
岡元D:(中年の)男性としては私も危うい立場。
姉:奥さんを大切にしてあげてください。
雨が止んだ平日の昼前。南千住の道端で交わされた、15分ほどの会話だった。

店の営業中、周辺で客が訪れるのをひたすら待ち、声をかける
人が本音を話したくなる瞬間
では実際に声をかけられた人たちは番組の取材をどう感じたか。無論、誰もが歓迎するわけではなく、こんな声もあった。
「いきなり声をかけられたので驚きました。質問には少し答えましたが。なるべく放送してほしくないです。今日はたまたま寄っただけでメイクもしてないので……」
取材に拒否反応を示した一般人に対しては、撮影クルーはすぐに切り上げる。放送されるインタビューも、全て取材対象者から許可が下りたもののみだ。したがってこの女性の取材分も放送されることはない。
一方、開店直後に訪れた中年男性は「たしかに『ドキュメント72時間』ではみなさん、よくあそこまで話すなぁと思います」と不思議そうな表情で言い、次のように続けた。
「別に本当のことを言ってもいいか、ってなるんじゃないですかね。私の場合はSNSをやってるわけじゃないですし、顔が特定されて困ることもない。だから見られてもまぁいっかと。僕自身が本音を言ったか? そこまで話した気もしないですけど。……いやでもさっきのコメント、本当に使われるんですかね(笑)」
なぜ「ドキュメント72時間」で人は本音を話すのか――そこにテクニックなんてない。人はただ気分的に「話したくなる瞬間」にポロッと本音を漏らす。それも何気ない会話の中で。
取材・文/田中 仰
撮影/一ノ瀬 伸
【番組情報】
ドキュメント72時間
NHK総合・毎週金曜22時45分〜
※再放送はNHK総合で毎週土曜9時〜、NHK BS1で毎週水曜17時〜
公式HP>>
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