ジョブズが心酔した禅僧・乙川弘文とは

スティーブ・ジョブズは、生涯、禅修行を続けた人物だった。彼が、本格的に禅と出逢ったのは、1975年、20歳の時。大学をドロップアウトし、インドを放浪したものの、人生で何をすべきか探しあぐねていたジョブズは、シリコンバレーの実家近くにあった小さな禅堂を訪ねた。

ここでジョブズは、ひとりの日本人と運命的に出逢う。乙川弘文、曹洞宗大本山・永平寺から派遣された禅僧である。何事にも過剰なジョブズは、弘文と禅に急速にのめり込んでいく。

スティーブ・ジョブズに多大な影響を与えた知られざるひとりの日本人の証言_1
オーストリア山中の禅堂で法話中の乙川弘文。スティーブ・ジョブズ終世の師。Photo:Courtesy of Vanja Palmers
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「スティーブは、10日に1度は真夜中までうちに入り浸っていたわ」

と、弘文の元妻は証言する。また、ジョブズとともにインド放浪2人旅をした親友は、

「あの頃のスティーブは、何かといえば『レッツ・ゴー・シー・コーブン!』。弘文に夢中だったね」

と述懐した。

自然体で自慢話などとは無縁だった弘文が、ジョブズについて言及することはめったになかったが、2人の関係を物語る貴重な法話ビデオが1本だけ残されている。1993年11月、ヨーロッパ、オーストリアにある山奥の禅堂で弟子が撮影したものだ。

弘文は、米カリフォルニア州を拠点に、全米各地やヨーロッパで布教活動をした。また、この頃の彼は、度重なるジョブズの懇願を受け入れ、カリフォルニアのジョブズ邸に同居していた。この時も、ジョブズ邸からサンフランシスコを経て渡欧したと思われる。

10名ほどのヨーロッパ人に囲まれたビデオのなかの弘文は、「悟りとはなんぞや?」というひとりの修行者の質問を受けて、独特の長い間(ま)のある口調で話し始める。法話に、スティーブ・ジョブズの名は出てこない。しかし、話に登場するポールがジョブズの養父で、養子がジョブズなのは明らかだ。

以下は、弘文が語った若き無名時代のスティーブ・ジョブズ、とっておきの逸話である。