日本の性教育が30年前から後退したわけ

日本の教育では、人工妊娠中絶は「命の芽を摘む行為」とされており、現在に至っても「女性が自らの人生を選択する権利」なのだという認識はされていない。これには一体どのような背景があるのだろうか。

高橋:実は、30年前の日本は今よりも豊かな性教育が行われていたそうで、台湾から視察に来たという記録もあるくらいです。しかし1990年代後半から2000年代前半に「性教育をしすぎることに危機感をもった人たち」が現れ、性について子どもが知ることについて反対し、それが次第に国の方針となって性教育が行われなくなっていきました(性教育バッシング)。

「性教育バッシング」による日本の性教育の後退
・2002年 ラブ&ボディBOOK回収…中学3年生向けに配布された性教育に関する副読本「ラブ&ボディBOOK」が「ピルや中絶についてなど、中学生には相応しくない内容」という理由で回収、処分される。
・2003年 七生養護学校事件…知的障がいのある子どもが通う東京都の学校で、性教育が行われていたことを都議会議員らが厳しく批判。教材などを回収するとともに、教師らを厳重注意処分とした(その後、不当なものであると認められ撤回)。

性教育に反対する団体は「子どもに性について知らせることは相応しくない(性行動を助長している)」としましたが、それらは全く科学的根拠のない話です。

そういった背景に加えて、「男尊女卑」「家父長制度」という風習も、女性の選択肢を狭める一因になっていると思います。男性が女性を支配することのほかに、女性自身にも「支配される側である」という意識が気付かぬところで根付いてしまっているのです。

セックスにおいても、男性が女性を支配する、女性が自分のしたいセックスの形を選択することが阻まれるということが、無意識のうちに起こっていると感じますね。

これら「男性による支配」の延長線上に、避妊の拒絶や性的暴行のほか、パートナーや周囲からの「中絶の拒絶」や「中絶することへの懲罰的意識」があります。中絶を経験した女性の中には、パートナーからピルを飲むことすら否定された方もいらっしゃいます。

新橋:避妊を拒まれるなどのDVを受けて予定外の妊娠をしてしまっても、女性の独断では中絶することも許されないというのは、まさにSRHR(性と生殖に関わる健康と権利)という視点が欠落していますよね。

私は、低用量ピルやミレーナが「経口避妊薬」「子宮内避妊具」というように「避妊」という言葉で説明されていることも、そういった間違った意識を生む一因になっていないかな……と思うことがあります。

これらのアイテムは女性の生活をより快適にするものでもあり、その中の効果一つとして避妊効果がある。「女性の月経や日常生活をより快適にするもの」という部分がもっと前面に出たら、これらに対する意識や見方が変わるし、女性にとってもより利用を検討しやすくなるのではないかと思います。