僕が道を外さずにこれた理由

雨漏りするような6畳1間で

風間さんが祖父のケアをしていたのは、小学生のときのこと。5歳のとき、両親が離婚。風間さんは父方の祖父母と父とともに暮らすことを選んだが、父もまもなく家を出て、祖父母と3人暮らしに。そこへ祖父が認知症を発症してしまったのだ。

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ケアしていたというより、当時は当たり前と思ってやっていたんですけどね。僕のほうが育ててもらって、祖母は風邪をひくと「バナナだよ」と、貧乏なのに、当時は高級で“庶民の憧れ”だったバナナを買ってきてくれたりしましたから。

父が家を出た後、祖父母と一緒に、それまで住んでいた長屋を出て、近くのアパートに転居しました。トタンでできたそのアパートは、傾いていたせいで玄関扉もガラス窓もキチンと閉まらず、夏は暑く冬は寒く、雨漏りもするような6畳1間。

小さな台所とトイレはありましたが、お風呂はなし。そんな部屋に祖父母と3人、ピタリと布団をくっつけて敷いて寝起きする――そんな毎日でした。

客観的にみれば悲惨な状況でしたが、祖父母は「まあ、いいか」とひょうひょうとしていて悲壮感はありませんでした。おかげで僕も暗い少年時代を過ごした、とは思っていません。いつもお腹はすかせていましたけどね(笑)。

祖父母は大正生まれで祖父は大工でしたが、僕と3人暮らしを始めた頃はもう引退していて、家計は祖父母の年金頼み。それで極貧生活を送ることになったわけです。でも、祖母はサバサバしてたくましく、家を仕切っていました。祖父は寡黙な職人タイプでしたね。