テレビの制作現場では様々なプロたちが働いているが、そんな中に「映像編集者」という仕事がある。カメラマンが撮影してきた映像を、ディレクターと共に決められた時間にまとめていくのだ。ニュースやドキュメンタリーなどテレビ業界で約40年間、映像編集者として仕事をしてきた宮村氏が、まずは駆け出し時代を振り返る。
惨殺シーンをマスコミは淡々と撮影し続けた~豊田商事会長刺殺事件
グリコ・森永事件に阪神・淡路大震災、神戸児童連続殺傷事件、和歌山毒物カレー事件……昭和から平成にかけて関西で起きた大事件を、ニュース番組の映像編集者として目の当たりにしてきた宮村浩高氏が振り返る。第1回は豊田商事会長刺殺事件(1985年)を取り上げる。
報道映像編集者が見た関西の大事件簿①
フィルムの“ごみ”が宝物に
「ごみをもらいに来ました!」
関西にある、某テレビ局の報道編集室の入り口で、若い頃の私が挨拶をする。
1980年当時のテレビ局は、フィルムからビデオの時代に移行する終盤でしたが、報道の現場では16ミリフィルムがまだ僅かに残っていました。
フィルムの編集は、撮影してきたネガフィルムをポジフィルムにプリントし、編集者が必要な部分を切り取っていきます。それを1本の映像に繋ぎ、放送するのです。
その際、使わなかったカットや両端が“ごみ”として捨てられます。当時、小さなプロダクションの新人で、フィルムを繋ぐ助手として出入りを始めた私は、この“ごみ”を貰いに行っていたのでした。

編集者(手前)と助手・繋ぎ手(奥)
このテレビ局の編集部部長、山崎輝夫さん(故人)は、若造の私を何かと可愛がってくださった恩人で、その部長にお願いをして許してもらっていたのがこの“ごみ”の回収。使い終わったら、また持ってきて廃棄することを条件に許していただいたのでした。(もう時効ですよね、関係者の方々お許しください…)
私はこのフィルムを、持ってきた大きな段ボール箱に詰め込んで、電車とバスを乗り継ぎ、自分の会社に持ち帰ります。ここからこの“ごみ”が、宝物に変わるのです。
まず、フィルムと一緒にもらったその日のニュース項目を見て、項目別にフィルムを分類。それからビュアーで、フィルムの切れ端をひとつひとつ見ていきます。
「これは民家火災…これは交通事故…これはチューリップ満開…」中には1コマしかない画もありますが、もちろんそれも分類します。この作業は深夜遅くまでかかりますが、そこからが本番です。
分類し終えた素材を、1項目ずつ40秒ほどのニュース映像に編集します。改めてフィルムを見て、頭の中でカットの順番を組み立て、スプライサーという機材で繋いでいきます。何度も何度も繋ぎ直しては見直すということを繰り返し、ニュース編集の練習をするのです。

映像編集で使われるビュアー(左)とスプライサー(右)
この時のビュアーの使い方にはコツが必要です。本来なら繋いだフィルムを一定のスピードで動かしながら見ていくのですが、何せ切れ端、残り物です。1コマしかないカットもありますから、動かすスピードを変えながら、〈これは5秒あるつもり…〉などと頭で考えながら完成させていくのです。
これは映像編集者に憧れていた私が、早く一人前になるために思いついた練習方法で、こうして朝までできる限りの練習をして、そこから本来の仕事に戻っていました。
映像編集という仕事は、奥が深くて難しい。1ヶ所がうまくいったかと思えば、今度は違うところがおかしくなってきて、さらに次から次へと頭を抱えるような難題が襲ってきます。
でも、それが「カチッ」とハマる瞬間があるんです。ひとつの閃きですべてが劇的に解決してしまうような一手を思いつくことも。この瞬間に改めて思うのです。「編集はおもしろい!」と。
それから数十年。数々の事件に関わる中で編集技術はもちろん、考え方やものの見方も磨かれていったと話す宮村氏。ここからは彼が目の当たりにしてきた、大事件簿の話に移行する
メディアの前で惨殺された永野会長
豊田商事事件は、1980年代前半に発生した、悪徳なペーパー商法を手口とする詐欺事件です。高齢者を中心に全国で数万人が被害に遭い、被害総額は2千億円近くともいわれていました。強引な勧誘によって契約させられ、老後の蓄えを失った高齢者が大勢いたのです。
このことが大きく社会問題化しだしたのが、1985年(昭和60年)でした。そしてこの年の6月18日に、衝撃の事件が起こります。
この日、豊田商事の会長、永野一男(当時32歳)が住んでいた大阪市北区天神橋のマンションの玄関ドアの前には、逮捕間近といわれていた永野会長の姿を捉えようと、大勢のマスコミがカメラを構えて陣取っていました。永野会長は部屋に籠り、姿を現しません。報道各社の玄関前での張り込みは24時間体制でした。
マスコミが張り込みを始めて3日目、突然2人の男が現れます。男たちは永野会長が雇っていた警備員と押し問答をしつつ、マスコミのインタビューにも答えていました。
すると突然、男の1人がパイプ椅子でドアを叩きつけ始めました。ドアが開かないとみると、今度は窓の柵をつかみ、足で柵や窓ガラスを蹴破りだしました。

永野会長宅のドアをパイプ椅子で叩く2人組の男。手前が飯田篤郎、奥の黒シャツが矢野正計
その後、男2人は部屋に押し入り、そこにいた永野会長を持っていた刀のようなもので滅多刺しにし、惨殺したのです。この一部始終を目の当たりにしていた数十人のマスコミ陣は、無言でカメラを回し続けていました。
編集に届けられたこの映像を見た時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。画面の中で繰り広げられる出来事が、映画のワンシーンのように目に映りました。第一報の放送では、血まみれの犯人や刀、そして刺された永野会長の姿を放送したと記憶しています。しかしあまりにも凄惨な映像だったため、すぐに生々しい映像は流さなくなりました。
罪に問われたマスコミ
事件の後、すぐに「マスコミは目の前で起こっている殺人をなぜ止めなかったのか」という批判が沸き起こりました。現場に居合わせ、その一部始終を撮影していた記者やカメラマンの全員が「殺人ほう助罪」で告発され、私の仕事仲間のカメラマンもこの問題に巻き込まれることになったのです。
当時、読売テレビのニュースキャスターだった松田士朗氏は著書でこう語っています。
『張り込む報道陣に、ある種の期待感がそのとき生じたことは確かであろう。もう3日間も、交替しながらではあるが、じっと張り込んでいたのだ。記者の一人は、獲物を目の前にした「待たされたライオン」のような心境だったと述懐している。
(中略)多くは「虚を衝かれたとしか言いようがなく、誰も犯行を止められるような状況ではなかった」と証言、結局は嫌疑不十分で不起訴となり、各社胸をなで下ろした。
しかしながら、「待たされたライオン」たちの目の前で発生したこの事件は、「メディアは常に異常なものを心待ちにしている」ことをいみじくも暴露してしまったのである。』(『テレビを審査する 現場からのTVリテラシー』松田 士朗著・現代人分社)
全く的確な見解だと思います。血まみれの映像を流した私自身も、異常なものを待っていた1人だったのかもしれません。
しかし、実際に素材全てを見た私としては、「誰も犯行を止められるような状況ではなかった」というのは、事情聴取を受けた方々の苦しい弁明としか思えません。犯人がドアをパイプ椅子で叩き出したとき、少なくとも窓ガラスを割りだしたときに、誰か1人でも止めようとすれば、報道陣は大勢いたわけですから警察を呼ぶくらいの時間は稼げたかもしれません。
「虚を衝かれた」のは事実だとしても、「誰も犯行を止められるような状況ではなかった」とは言えないはずです。それまでマスコミは「報道することが使命である」という大義名分で許されてきたことが多かったように思います。しかし、この事件によって「それだけでは許されない」ということを突き付けられたように感じました。
所持金711円の謎
この事件の後、テレビ局内ではその話題には触れづらい、「タブー」のような雰囲気があったように思います。そしてその結末もどうなったのか説明されずに終わっていました(少なくとも私たち編集スタッフには)。
トラブルを水面下で処理してしまうことは、同じような問題を繰り返してしまう大きな要因の一つです。事件が落ち着いてからでも、取材ディレクター、カメラマン、編集者を含めて「今後同じような場面に直面した時にはどうすればいいのか」など、話し合いの場を持つべきでした。自らの「失敗」をオープンにし、共有することだけが、再発を防ぐ方法だと思うのです。
一方で、この豊田商事会長刺殺事件は私たちが報道したような単純な話だったのだろうかと、後になって思うようになりました。
表向きは、多くの人たちからお金を騙し取った永野会長に怒りを感じた犯人2人が、永野会長に制裁を加えたというストーリーです。しかし、本当にそんな単純な話だったのでしょうか。
永野会長は殺害された時、32歳。その若さで2千億円ものお金を騙し取ることが本当にできたのでしょうか。そして最大の疑問は、それほどの巨額のお金がほぼ無くなっていたことです。
後に回収された金額は約200億円だけで、残りの1800億円ほどのお金は、どこかに消えていました。
永野会長が殺された場所は、普通の会社員が住んでいるような庶民的なマンションで、殺された時の彼の所持金はわずか711円だったといいます。2千億円ものお金を騙し取った会長がなぜたったこれだけしかお金を持っていなかったのでしょうか。
また犯人2人は、被害者に頼まれて犯行に及んだと証言していましたが、それだけで有無もいわさず人を殺害できるものでしょうか。
弱者をターゲットにした永野会長に義憤を感じた犯行なら、部屋に押し入ってから永野会長に対して怒りの罵声を浴びせるようなことがあってもおかしくなかったはずです。しかし、私の記憶ではそのような音声は、どこのテレビカメラにも収録されていません。
ただ淡々と無言で殺害した印象です。無駄な会話を一切せずに殺害する姿は、「義憤に感じて」というよりも「仕事として」行ったように感じてしまうのは私の思い過ごしでしょうか。実は、裏には大きな黒幕が存在していて、そこからの指示で、永野会長が逮捕される前に口を封じるための殺害したのでは、という推測もできます。
しかし、そこまで追いかけたマスコミはいなかったようです。この事件が、グリコ・森永事件と日航ジャンボ機墜落事故という歴史に残る大事件・大事故の間に起きた事件で、深く追いかける余裕がマスコミになかったことも関係しているのかもしれません。この事件は多くの謎を残しました。
構成/木村元彦 写真/共同通信社 イラスト/亀谷友輝
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