戦中の日本軍はさまざまなプロパガンダ戦を展開していたが、なかでも映画はもっとも重視されたジャンルのひとつだった。中国の大都市を占領した日本は、占領地に日中資本を合同した「大映画劇場チェーン」の設立を目論むと同時に、日本軍主導による「親日派中国映画」の製作を秘密裏に進めていた。
本稿は、大塚英志『大東亜共栄圏のクールジャパン――「協働」する文化工作』(集英社新書)から抜粋し、掲載にあたり一部編集を加えたものです。

日中戦争下、大日本帝国の秘密工作はなぜ露見したのか?
戦中の日本は民間企業を通じ、秘密裏に中国大陸での情報戦を展開していた。暗躍するスパイと協力者たち、さらには利益を求める企業やメディアの思惑が複雑に絡み合い、魔都・上海は銃声が鳴り響く事態となってゆく――。
上海で暗躍するスパイ企業 対中国プロパガンダ戦略の内幕
上海で公開された新作中国映画?
この外地「大映画劇場チェーン」の主張を行った市川彩は、配給興業を中心とする映画業界新聞「国際映画新聞」の刊行者であるが、同紙に寄稿したこの文章の中に以下のような記述があることに注意したい。
殊に上海の如く戦火のルツボとなつたところでは、一層それが劇しい。民衆の欲求する娯楽は、差当り明日のことを考へない強い興奮剤なのではあるまいか。
この要求が期せずして支那民衆の中に起り、映画製作のプランが翕然起りつつある。それに拍車をかけたのが光明影片公司の三部作発表であつたと謂へやう。光明公司とは従来、支那映画界に何等の基礎をも有さなかつた一資本が、香港より帰来せる李萍倩、王引、袁美雲、張翠紅等を一団として「茶花女」「王氏四侠」「母親」の三篇の製作に着手したことである。此等の映画は近く東宝映画の手で日本にも紹介されることになつてゐるのは興味ある出来事である。
この計画は確かに成功した。九月中旬上海、新光大戯院で封切された時には圧倒的な好評を博し三週続映して大入満員の盛況を示してゐたから充分採算の取れる仕事として、支那映画製作界に新生面を与へたから、今後も斯うしたプランが各方面から為されるに違ひない。(市川彩「移り行く支那及映画界」)
日中戦争の戦火を切った上海で、「支那民衆」の娯楽に対する要求に応えて『茶花女』『王氏四侠』『母親』なる三編の製作が「圧倒的な好評」を博したという記事である。一読すれば同地で、中国側の資本で香港の映画人が映画製作を再開、日本統治下で新たな中国映画復興の動きがあることの報告と取れる。しかしよく読むとその製作会社「光明影片公司」が「支那映画会に何等の基礎をも有さなかつた一資本」であると妙に含みのある言い方をしているのを気にしたい。
そもそもこの記事は、最終的には川喜多長政を担ぐことで上海に設立される国策映画会社・中華電影公司に至るまでの軍、満洲映画協会、後述するように上海利権確保で軍の工作に協力してきた東宝、汪兆銘政権など中国側の思惑などを十分にわかっていて書いているインサイダー情報による記事であると思われる。
その意味で食えない記事ではあるが「光明影片公司」のくだりも同じようにインサイダーの情報である。
偽装工作企業「光明影片公司」
実は、この中国映画界に「何等の基礎のない」「一資本」のその「資本」の出所と管理が東宝と上海軍報道局であり、それを偽装する映画会社が「光明影片公司」だった。つまり、この記事は戦時下上海で、リアルタイムで進行中の映画工作の所在を匂わせているのである。
これこそが当時、上海で軍と東宝が現地映画人を巻き込み行った極秘の「文化工作」であった。極秘の、と記すのはつくられた映画が日本軍と東宝による偽装中国映画で何よりその事実を隠さねばならなかったからである。東宝と軍は協働で一九三七年から三八年にかけて上海映画の観客の娯楽映画への欲求に応えた復興を演出するために『茶花女』以下四作の映画を「中国製」として製作する「文化工作」を行ったのである。
この事実は映画史の中では断片的に語られてはきた。それはしばしば、東宝の側の文化工作の中心にあった東宝映画株式会社第二製作部長・松崎啓次の個人プレーのように語られがちであったが、今では、中国大陸に映画市場と利権を拡大する東宝の思惑による「業務」であること、資金提供だけでなく契約の際の立会いなどに軍の後ろ盾があったことが明らかになっている。それは、事実を詳細に裏付ける同社の事務方である東宝映画株式会社総務課長・市川綱二の事務記録「市川文書」の存在が確認されたからである。同文書には「光明影片公司」との契約書をはじめとし、フィルム代から上海での銭湯の代金、市川および松崎の上海滞在日数と給与、興業成績の報告などの金銭の詳細な動き、本社とやりとりされた文書の控えなど、この偽装中国映画製作が東宝の業務として行われた「文化工作」であったことが細部まで裏付けられる証拠として残されている。
国策に協力する民間企業
現在の東宝という映画会社のイメージからすると、民間の映画会社がそのような政治的工作を行ったとは信じ難いという人には、ひとまず東宝の営業用パンフレット『国策と映画』に示された映画活用の営業項目に「外交宣伝」「政治工作」などの文字の躍るさまからまず実感してほしい。同社の性格がうかがえるだろう。
市川綱二は東宝の職員であるとともに、上海にあっては支那派遣軍総司令部軍報道部の嘱託の身分でもあった。前章で見た外地のまんが家たちがしばしば新聞社などの所属として「文化工作」に従事したのと同様である。
ちなみに市川綱二は先に名の出た市川彩とは別人である。コロンビア大学で映画学を学び、帰国後、外資系映画会社を経て東宝の前身であるP.C.Lに入社する。映画史には録音技師としていくつかの作品にクレジットされるが、P.C.L、東宝本社、東宝が関与した南満洲鉄道映画・芥川光蔵の記録映画製作、東宝映画技術研究所、航空教育資料映画製作と東宝が戦時下に行った「文化工作」の事務方として一貫して生きる。東宝は日本映画においてアメリカナイズされた技術や製作体制を積極的に取り入れてきたが、プロキノ(プロレタリア映画運動)など左派の映画人の受け皿であった文化映画、記録映画にあっては、コロンビア大で映画学を学んだというキャリアはいささか特異であった。
内部文書で明かされる工作の内幕
いずれ市川綱二の詳細な評伝は書かねばならぬと思うが、その膨大な市川文書の中にはこの偽造映画工作に軍の関与があったことを証拠立てる文書がある。すなわち「東宝映画株式会社取締役 代理人」と表記される松崎啓次、「立会人」と表記のある支那派遣軍総司令部報道少佐・金子俊治が、中国側映画人・劉吶鷗(本名・劉燦波)と黄随初(本名・黄天始)と結んだ契約書の控えが含まれるのだ。彼らはこの偽装映画工作の中心的プレイヤーである。
この契約書には一本あたりの製作費の金額を東宝が七五〇〇元と定めて提供、四作を製作、日本・朝鮮・台湾、満洲・華北各地の配給権を持つことが定められている。市川彩の「大映画劇場チェーン」と対になる記述である。
これは「裏」の契約書で「表」の契約書もある。そちらには「一九三八年三月」とあるが日時の記載はなく、甲・劉吶鴎、乙・沈天蔭、丙・黄天始の三名が光明影片公司を設立、甲すなわち劉が当面費用を立て替えるとある。この「表」の契約書によって、東宝や日本軍、その資金の出所は隠されているのである。
この二通の契約書に加え、松崎が上海軍報道部に提出した一九三八年四月付「上申書」(「上申書」、特集「牧野守所蔵東宝上海偽装映画工作文書」「TOBIO Critiques」#4)では東宝が軍に補助金を申し入れていることが確認できる。そこではこの映画製作が「日本資本ノ投資ヲカモフラージュ」し、現地従業員に対しても「何処迄モ日本人ガヤルトイフコトヲ秘シ隠サネバナラナイ」とあからさまな偽装ぶりが内部文書とはいえ、堂々と語られる。
この「上申書」からは、一連の工作が一九三八年二月、松崎が陸軍省新聞班の依頼で上海に出張、その報告書を三軍報道部と陸軍省に提出し、それが発端であったことも確認できる。このように上海における松崎啓次により一九三八年二月頃に発案され、三九年二月まで松崎・市川が実行した『茶花女』をはじめとする偽装映画は、軍および国策映画会社・東宝が行った「文化工作」であり、松崎の行動は全て「公務」だったことが資料的に立証されるのである。
映画史に残るはずのなかった映画
一方で、この極秘工作は第一作の『茶花女』については製作経緯が洩れ伝わって中国側から批難されたためかろうじて映画史に名が残る。現地では「茶花女事件」として糾弾されたのである。そのため、三作目となる『大地的女児』は一九三九年二月の時点で撮影が終わるも編集は未完と報告され(「光明電影公司ニ對スル投資報告書」、「特集牧野守所蔵東宝上海偽装映画工作文書」「TOBIO Critiques」#4)、第四作『銀海情濤』はタイトル名が市川文書や現地報道に散見するが、製作は確認できていない。
その内容だが「抗日」的でもないがプロパガンダ的でもない。その一作『茶花女』はアレクサンドル・デュマ・フィス『椿姫』の翻案というよりジョージ・キューカー監督『椿姫』(一九三六年)を彷彿させ、上海でも相応に親しまれた素材だったが、宣撫工作映画としてはアメリカ的すぎるという批判もあった。この映画のシナリオは中国語および日本語訳が現存しているので検証して見えてくるものも多々あるだろう。しかし『茶花女』をめぐるこの文化工作が映画史に記憶されたのは、その内情が中国で糾弾され、後述するように日本国内でも軍の関与が公然と語られたからだけではない。
そもそも先の市川彩の記事がこの「工作」を匂わせつつも中国映画界に「何等の基礎をも有さなかつた一資本」による椿事とでも言わんばかりの白々しい書き方をしているように、また、松崎の「上申書」が「カモフラージュ」と明言しているように上海での偽装映画工作は、本来なら、そのまま秘されて映画史から消えるはずであった。
露呈する偽装工作
しかし『茶花女』は一九三八年十一月十七日から『椿姫』と題して日本公開される。しかもすでに記したように同作を「東宝と光明影業協同製作」とし、「軍の仲立ち」があったことを同日の「読売新聞」が堂々と報じてしまうのだ。裏事情の一部が日本で公然と記事になってしまったのである。
それは本来、この工作に関わった人間たちが隠蔽しなくてはいけないものだった。なぜなら公になれば、関わった人間たちの命に関わるからである。市川綱二は帰国していた松崎啓次に上海で試写を見た後の感想として、内地で上映をすれば「相当人気が沸」く、としつつ、同時にこう警告する手紙を送っている。
それから二人よりは蛇足或いは釈迦に説法を(原文ママ)お叱りを蒙るかも知れませんがこの四本作品日本にて上映に際しては日本へは東宝後援云々の文句は絶好のパブリシティヴァリューですがもしそれが何かの拍子で当地へ伝われば、次回作品はおろかそれっきりで劉黄氏の生命は固より出演者、スタッフまで相当致命的の打撃を与へる事となり、当地、又は占領区域外の上映は思いもよらぬ事になりますので此点呉々も御留意ある様金子氏よりも平常御注意もありましたので申し添えます、ただ日本に於ける配給権を東宝が何等の形式で獲得した謎の支那製映画として謎で客を引いていく様にとの御注意でした。(市川綱二書簡、牧野守所蔵『自昭和十三年四月至昭和十三年六月拾日 上海―東京本社第一号 報告原簿 市川』)
この文面からはすでに東宝で配給の動きがあることがうかがえ、他方、契約書に内地の配給権は東宝にあるとされていて、製作費は大きく超過していた事情が日本公開の背景の一つとなったことは考えられる。日本での上映は、資金の回収に加え、上海の中華電影設立について映画利権をめぐる動きが重なり、東宝はフライングしても上海映画利権の既得権益の所在を軍との関係によって誇示する思惑があったのか、と想像もできるが定かではない。
工作の失敗と暗殺事件
結局、『茶花女』は「謎の支那映画」として上海でも日本でも終わることができなかった。しかも国内では興行的には失敗、映画雑誌の批評も「この映画に強いて興味を見出すとすれば、作品の出来そのものでなく、こうした作品が生まれ出るようになった製作動機」(飯田心美「外国映画批評『椿姫』「キネマ旬報」一九三八年十一月一日号」)である、などと「文化工作」であることを婉曲に皮肉るものであった。このように『茶花女』は「文化工作」であることが日本・中国双方で仄めかされ波紋を呼んでいた。しかし、そこで終われば未完を含むこの四作は真相の不確かなまま中国映画史から葬られ、一部の映画人の知る秘史で終わったろう。
しかし、一つの暗殺事件が「謎」として終わるはずの上海偽装映画工作を公然化するトリガーとなる。
大東亜共栄圏のクールジャパン――「協働」する文化工作(集英社新書)
大塚英志

2022年3月17日発売
1034円(税込)
新書判/320ページ
978-4087212075
【現代日本に偏在する「宣伝工作」と「歴史戦」の起源を辿る】
「クールジャパン」に象徴される各国が競い合うようにおこなっている文化輸出政策。
保守政治家の支持基盤になっている陰謀論者。
政党がメディアや支持者を動員して遂行するSNS工作。
これらの起源は戦時下、大政翼賛会がまんがや映画、小説、アニメを用いておこなったアジアの国々への国家喧伝に見出せる。
宣伝物として用いられる作品を創作者たちが積極的に創り、読者や受け手を戦争に動員する。
その計画の内実と、大東亜共栄圏の形成のために遂行された官民協働の文化工作の全貌を詳らかにしていく。
新着記事
自衛隊が抱える病いをえぐり出した…防衛大現役教授による実名告発を軍事史研究者・大木毅が読む。「防大と諸幹部学校の現状改善は急務だが、自衛隊の存在意義と規範の確定がなければ、問題の根絶は期待できない」
防衛大論考――私はこう読んだ#2
世界一リッチな女性警察官・麗子の誕生の秘密
「わかってる! 今だけだから! フィリピンにお金送るのも!」毎月20万以上を祖国に送金するフィリピンパブ嬢と結婚して痛感する「出稼ぎに頼る国家体質」
『フィリピンパブ嬢の経済学』#1
「働かなくても暮らせるくらいで稼いだのに、全部家族が使ってしまった」祖国への送金を誇りに思っていたフィリピンパブ嬢が直面した家族崩壊
『フィリピンパブ嬢の経済学』#2
