クルマには「田中角栄を殺す!」の文字

坂本 私が『ゆきゆきて、神軍』を見て驚いたのは、奥崎さんを監視対象にしていたはずの当時の警察までもが、彼には一目置いていたことです。かつて天皇にパチンコを撃った男が、今度は「田中角栄を殺す!」と車体に書いたマークⅡに乗って移動しても誰も止めない。

それどころか、奥崎さんに「これから東京に行く」と言われれば、兵庫県警の警部が飛んできて「先生、うちも県境までいつものようについて行かせてもらいます!」と媚びる。あれには驚きました。

「8月15日に靖国神社で花束からドスを抜いて…」奥崎謙三が構想していた『ゆきゆきて、神軍』幻のシーン_1
『ゆきゆきて、神軍』(今村昌平企画、原一男監督)は、1987年に公開されたドキュメンタリー映画。太平洋戦争の飢餓地獄、ニューギニア戦線で生き残り、自らを「神軍平等兵」と称して、慰霊と戦争責任の追及を続けた奥崎謙三の破天荒な言動を追う。同作は今なお日本のドキュメンタリー映画の最高傑作と名高い

 兵庫県警の担当の刑事さんは、奥崎さんのことを「先生」と呼ぶんですよ。こう呼ばれると、普通はご機嫌取りで言ってるんだろうなと思いそうなものですけど、奥崎さんの解釈は違うんです。「この刑事の人たちは心の底から私を尊敬しているから、ごく自然に“先生”という言葉が出るんだ」「そういう人に対しては、私もまた尊敬の念を抱くんです」といつも言ってました。

坂本 原さんは「先生」とは呼ばなかったんですか?

 ドキュメント映画を作る人間が、主人公に対して「先生」と言ってしまったら、上下の関係になってしまうじゃないですか。だから私は一度も使いませんでした。そうしたら奥崎さんから2~3回言われました。「原さんは私のことを『先生』とおっしゃいませんね」と(笑)。そういう人ですから、映画を撮るのは本当に、大変でしたけどね。

「8月15日に靖国神社で花束からドスを抜いて…」奥崎謙三が構想していた『ゆきゆきて、神軍』幻のシーン_2
原一男/1945年、山口県生まれ。東京綜合写真専門学校中退後、72年、疾走プロダクションを設立。同年、『さようならCP』で監督デビュー。87年、『ゆきゆきて、神軍』を発表。大ヒットし、日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ賞、パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリなどを受賞。近作に『れいわ一揆』『水俣曼荼羅』など

坂本 それは映画を見たらわかります。奥崎さんが神戸の拘置所に乗り込んでいく途中、警備隊に山道の途中で止められているシーンがありますよね。ああいうのは、事前に拘置所に情報を入れたりするんですか?

 拘置所もそうですし、その後、元兵士の方たちに会いに行くときもそうなんですが、奥崎さんからはいつも「事前に連絡しないでください」と言われていたので、いわゆるアポなしです。神戸の拘置所の時もいきなり「行きましょう」ですから(笑)。

こちらとしては、奥崎さんを坂の上で待ち受けて撮らなきゃいけないので、準備を始めようとしたら、もう塀の中から刑務官がどんどん出て来て、「お前、ここで何やってるんだ」と押し問答になって、結局、パーです。

坂本 でも、それは公道ですよね? 

 あそこは道路があって、ちょっと入って坂道になっているじゃないですか。公道から入ったところはもう敷地内だということで、「出ていけ!」となったんです。

坂本 そこは多分、敷地じゃないと思いますよ。「登記簿持ってこい」って言えばよかったですね。

 そうなんですか。今日はちょっと賢くなったので、次からは「敷地外だろ、お前ら」ってケンカを売ります(笑)。