イギリスで今ブームとなっている「カツカレー」や、ニューヨークで増加中の「居酒屋」など、ここ数十年で日本の“近代食文化”は、寿司やそば、天ぷらといった歴史の長い料理と肩を並べて、“日本食”として海外で広く認知されるようになってきた印象がある。
そんな明治から第二次世界大戦集結までを指す、“日本の近代”の食文化のエキスパートとして、『お好み焼きの物語 執念の調査が解き明かす新戦前史』(新紀元社)といった著書を刊行しているのが、近代食文化研究会というグループだ。
食文化研究に途方もない情熱をかけ、その膨大な知識量に裏付けされる料理トリビアなどでも注目を集めているこの研究会。全員、本名を明かしておらず、近代食文化研究会は共同ペンネームのようなもの。今回は会の発起人にして、唯一執筆を担当するメンバーの方に、匿名にてインタビューに応じていただいた。「実はお好み焼きは関東発祥」といったトリビアも……⁉
お好み焼は天ぷらのパロディだった? 知られざる食文化トリビア
「お好み焼き屋はシュウマイやカツレツも扱っていた」「東京の醤油ラーメンは蕎麦屋から広まった」など、食文化の驚きの秘密を研究し続ける「近代食文化研究会」。圧倒的な研究量から導き出される食文化の逸話を伺った。
日本の近代食文化研究書はデマだらけ? 間違いを正すために…
現在“アラ還”だというこちらのメンバーは、約10年前に、外国人向けツアーガイド等に必要な通訳案内士という資格を取得し、そこで身に着けた英語で情報発信をする仕事しようと考えていた。つまり、近代食文化研究にのめり込むつもりはなかったのだという。
「ただ、もともと同人誌に食文化に関する記事を寄稿していました。そこで、食文化、とりわけ、海外から見るとまだまだニッチな洋食やB級グルメ、居酒屋文化といった近代食文化に目をつけたんです」(近代食文化研究会メンバー、以下同)
そのためにコアな書籍を翻訳して海外に日本の近代食文化を届けようとしたが、いざ始めてみると大きな壁にぶち当たる。
「近代食文化史について正しく体系づけられた書籍がほとんどない状態だったんです。書かれていても大半がデタラメばかり。これは翻訳以前の問題だと思い、まずは日本の近代食文化を正しく記した本を作ろうと決意しました」
そうして本格的に近代食文化の研究を始めるも、その道のりは果てしないものだった。
「国立国会図書館デジタルコレクションで検索すると百数万冊が出ており、そこから情報をピックアップしていく作業だけで甚大です。新聞の切り抜きや当時の雑誌の企画などの情報も含めると、その量はさらに増えます。しかも、明治時代以降は信頼性のない本が爆増していました。私は記述の多い事実をベースに正しいと思われる情報を導き出しているので、実質活動の大半は膨大な資料採集と比較、PC上でのアーカイブ化に費やされました」
正しい情報を求めて比較検討を繰り返す様は、ある種、古代文明を発掘して研究する“考古学者”の姿勢に近い。
老舗の名店や企業が語る“ドラマチックな逸話”のほとんどは「嘘」?
“食の考古学者”である彼らを悩ませる最大の強敵、それは「デマ情報」の存在だ。
「老舗のレストランや食品企業が“あの料理はうちが始まり”のようにドラマチックに語ると、つい信じてしまいがちですが、ああいうものは8、9割が嘘だと思われます。例えば、銀座のとある老舗洋食店が『洋食についてくるパセリを最初に添えたのはウチだ』という趣旨のことを言っていますが、個人的にはこれは正しくないと考えています。私が思うに、あれはイギリスの食文化とともに伝わってきた習慣で、あちらの料理書にしっかりと記述が残っているからです」

1895年のイギリスの料理書に記載されているシタビラメのフライのイラスト。パセリとカットレモンが確認できる。ちなみに、その老舗洋食店がパセリをつけ始めたのは1898年だとか
「こうした信憑性の低いと思われる情報がなぜ残ってしまうのか。必ずしも自分たちに都合のいい歴史に捏造したいからというわけではなく、先代が遺した書物を今の時代の人がきちんと読まずに口伝したり、伝えるなかで細部が変わってしまったりと理由は様々。だから、私は研究に際してフィールドワークは行いません。むしろ、フィールドワークが正しい情報を覆い隠していると思います」
お好み焼きは“天ぷらのパロディ”だった…驚愕の近代食文化トリビア
そんな近代食文化研究会は、近代食文化の意外なトリビアも知り尽くしている。とういことで、今回はそのひとつとして、互いに歴史が絡み合って生まれた「もんじゃ焼き」と「お好み焼き」の話をご紹介しよう。

このふたつ、もんじゃ焼きが関東発祥、お好み焼きが関西発祥と思う人も多いが実はどちらも関東発祥の食べ物だという。
「もんじゃ焼きは江戸時代ごろから、職人が水で溶いた小麦粉生地を屋台で焼いて鯛や亀などを形態模写していた、クッキーのような“文字焼き”という食べ物が始まりです。この文字焼きを明治時代に駄菓子屋でも焼くようになり、文字焼きが訛ってもんじゃ焼きに変化したのです」

江戸時代の文字焼き屋台の絵。この文化が明治時代以降に駄菓子屋に導入され、今のもんじゃ焼きになったのだ。(『世渡風俗圖會』 清水晴風 国会図書館デジタルコレクションより)
「そして、お好み焼きもこの文字焼きにルーツがあります。明治時代の末ごろに、ある屋台が形態模写ではなく、“料理の模写”を始めたのです。オムレツやシュウマイといった料理は、当時の子どもにとっては珍しく、値段も高かったため、そのパロディとして作り出したんですね。その屋台の名前が『お好み焼き』でした」

今も営業している東京・浅草のお好み焼きの老舗「風流お好み焼 染太郎」
「小麦粉の生地に干しエビやスルメを混ぜたり乗せたりして薄く香ばしく焼いた、パロディ料理のエビ天やイカ天が当時大ヒット。お好み焼きといえば“天ぷらのパロディ”となり、それが後世に残っていきました。これが現代のお好み焼きにつながっていくんです。
ちなみに、なぜお好み焼きにキャベツやソースを使うのかわかりますか? 当時はカツレツなどの西洋料理が流行っており、その付け合わせや味付けにキャベツとソースを使っていたからです。当然、屋台の『お好み焼き』でもカツレツなどのパロディを出していたので、次第に材料が混ざり合っていった、というわけです」

「風流お好み焼 染太郎」で販売している「しゅうまい天」。パロディ料理の屋台だった頃の名残を感じさせるメニューだ
一方、駄菓子屋を拠点に、文字焼きから転訛したもんじゃ焼きにも、こうした天ぷらパロディブームとカツレツの要素が、逆輸入的に取り入れられて、こちらも現在のもんじゃ焼きの礎となった。
情報が錯綜する時代、数千冊の書籍研究で手にした“本当の話”の価値
3000冊を優に超える数の書籍を、和書・洋書問わず読みふけり、正しいと思われる情報を常に比較、更新し続けている近代食文化研究会。そのストイックすぎる研究姿勢は、ドラマチックなエピソードに食いつきがちな現代メディアとは一線を画すとして、人気を集めている。
「ありがたいことに本はコンスタントに売れています。はじめたときは3、4冊書いてあとは海外への情報発信に活動を戻そうかと思っていたのですが、現在は5冊目を執筆中で、この後も何冊書く羽目になるのか見当もつきません(笑)。
ここではご紹介しきれなかった、東京風の醤油ラーメンは蕎麦屋から広まった話や、かつて焼き鳥は豚のホルモン焼きのことだった……など、驚きの近代食文化トリビアはたくさんあるので、興味があればぜひ書籍を読んでほしいです」

シンプルな東京風醤油ラーメンは、かけ蕎麦のテイストを取り入れて進化したものだったとか
納得できる近代食文化の編纂ができるまで、ひたすら調査と執筆を続けるという近代食文化研究会。その探究心の結晶たる著作が、後の世で歴史的な名著として語り継がれることになるかもしれない。
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