この依頼を受けたとき、ちょうどぼくは「自分のことなど誰にも理解されていない」と感じて落ち込んでいて、在宅ワーク中の妻がオンラインミーティングでハキハキ発言するリビングから襖一枚隔てた和室で寝転び涙と鼻水で顔面をベッチョベチョにしながら天井を凝視するクソザコ成人男性だった。シンクロニシティの極みである。実はこういうときに読む本はここ十年ほど変わっていない──最果タヒの第二詩集『空が分裂する』だ。いつも仕事机に置いている。

 とりあえず一冊紹介したので少し愚痴らせて欲しい。主に仕事でぼくの理解されなさを頻繁に感じる。数学や物理の話題や用語を積極的に使った小説や批評を書くと、そのたびに「理系じゃないんで」とか「大滝さんは文学に明るくないでしょうから教えてあげますが」とか「頭の良さをひけらかしている」とでも言いたげな返答を頂戴するのだが、文学は〈自由〉じゃなかったのか? チクショウめ。文学畑で文学じゃない言葉を持ち出すと文学扱いされないこんな世の中じゃポイズンである。オレはこれから「文学」を「POISON」と呼ぶことにしよう。オレは反町隆史だ。

 さて最果タヒの素晴らしさだが、それは言葉が意味に縛られていないところにある。「POISON」がまだ「文学」だった時代のことを思い出させてくれる輝きが最果タヒの言葉にはあって、紹介した『空が分裂する』のあとがきには何度も救われた。最果タヒを読んでいるとき、オレは最果タヒである。

【ネガティブ読書案内】第7回:自分のことなど誰にも理解されていないと感じた時(案内人:大滝瓶太さん)_1
『空が分裂する』最果タヒ著/(新潮文庫)

 他人が理解できないなら理解できないでいい。大事なのは開き直る事であり、その開き直りが絶望のなかから希望を見つけ出すエネルギーとなる。

 そんなとき背中を押してくれるのがケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』だ。「図書館」というゲリラ的に放送される謎のテレビドラマのお話だが、読んでいて「図書館」を見ているのか「図書館」のなかにいるのかわからなくなるメビウスの輪のような小説だ。詩情に富んだ言葉は一般に想定される「小説らしさ」から軽々と跳躍し、小説はここまで自由なのだ!という感動を読み返すたびに思い出させてくれ、「オレはケリー・リンクだ!」と何度も叫びたくなる。そして本を閉じたときぼくは「大滝瓶太(完全体)」となり、「文学」を取り戻す。

【ネガティブ読書案内】第7回:自分のことなど誰にも理解されていないと感じた時(案内人:大滝瓶太さん)_2
『マジック・フォー・ビギナーズ』ケリー・リンク著/柴田元幸/訳 (早川epi文庫)

 というわけで、ぼくは「アッ、理解されてねぇわ」と感じると、クソザコ成人男性→反町隆史→最果タヒ→ケリー・リンク→大滝瓶太(完全体)という人格サイクルを経て超人となる。すなわちこの文章を読んでいるおまえたちの目の前にいるのは大滝瓶太(完全体)という超人だ。崇めよ。奉れ。腹から声を出せ。世界、変えていこうぜ。

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