全4回の4回目/第1回第2回第3回を読む 

アイドル戦国時代の終わり

――(吉田豪)そしてドリーミュージックに移るんですか?

FKD 2012年ですね。ご当地アイドルをやってみたかったんです。そしたら「仙台のご当地アイドルやりたいからどうだ?」って言われて、作ったのがsendai☆syrupです。ゼロから女の子呼んでオーディションやって。そのなかのひとりがのちのラストアイドル・相澤瑠香ですから、人生わかんないですよね。それで東京でも何かやらなきゃっていうことでDoll☆Elementsを。

――一時期、FKDさんのアイドル熱が1回冷めたみたいな話があるじゃないですか。

はい。どるえれをやってた時期に、アイドル市場全体がつまんなくなってきちゃったっていうのがありまして。

――それはももクロとかぱすぽ☆を仕掛けてた頃とは時代も違うし、刺激も違うだろうしで、しょうがない部分はあると思います。

TIFでアイドルがお友達同士で写メ撮ってる姿を見て妙に冷めちゃって。単純につまんないっていう思いと、そのあと誰でもアイドルをやれる時代になっちゃったんですね。みんな地下アイドルだなんだってタケノコのように出てきてはなくなって。

どるえれのあとは当面アイドルやらなくていいやって思いましたね。そこからアニメにいきました。音楽はすごく好きですけど、僕はアイドルは心底好きではないのかなって。戦国時代が好きだったのかもしれないです。 

「嫌われることに対して1ミリも躊躇がなかったです」 弱肉強食のアイドル戦国時代をFKDはいかに生き延びたのか 聞き手:吉田豪_1

――あの刺激的な時代がとにかく楽しかった。

人生で一番大事な時間を、ワーッと上り調子の世界の最前線で過ごさせてもらったっていうのは、何ごとにも代えがたい経験だったんじゃないかなと思いますね。最近、地下アイドルの現場に行くんですけど、やっぱこんなもんかって思っちゃうんですよね。怒鳴ってブチ切れてるヤツもいないし。

――そりゃそうですよ(笑)。あの時代が異常だっただけで。

でも、あの頃はいたるところで「ぶっ殺すぞボケが!」みたいな声が飛び交ってたし、山田さんのスマイレージの扱いなんて完全アウトじゃないですか。

――軍隊でしたからね。

あれが当たり前だったんですよ。AKBもモーニングもそうだし、吉川友でモーニングの現場に行ったときなんてピリピリしてましたから。