「全県一区」化以降、旧制一中への回帰は進んでいる

――旧制第一中学を出自とする高校の進学実績には、どんな傾向がありますか。
小林 もちろん、それぞれの歴史や学校のロケーションもあり、都道府県によりけりではあります。戦前はどの学校も黙っていてもその地域でもっとも優秀な生徒が集まっていました。しかし戦後になると都市圏では私立中高一貫校の台頭もあり、一時期やや低迷を強いられます。そこでたとえば東京の日比谷、大阪の北野、京都の洛北などは行政、自治体、教育委員会の政策として「伝統的な進学校として予算も重点的に配分して優秀な生徒を集めよう」と力を入れてきました。その甲斐あって2022年には日比谷高校からの東京大学合格者数は65名と、公立としては大健闘、北野高校は京大合格者91名で5年連続1位を達成しました。関東ではほかにもたとえば埼玉県の浦和も傑出した進学校ですね。一方、神奈川では元一中だからといって希望ケ丘高校を進学校にしようといった動きは戦後ありませんでした。ですから学校によってグラデーションがあるといえます。

――今では学区制がずいぶん緩和されて全県一区(全県一学区)を採用する自治体が増えました。旧制一中では何か変化している印象はありますか。
小林 九州や四国などの地方では戦後に学校群、小学区制が敷かれたことで進学実績がそれほどふるわなくなった県もありました。それが全県一区になると、地元で「名門校といえ旧制一中だよね」という伝統校信仰が年配者から若い人に伝わり、北野や日比谷などは進学指導に力を入れることを訴え、その成果が出たことで優秀な生徒が集まるようになっています。地方では有力な私立中高一貫校がそれほど多くないために、小学区制が解かれたことで先祖帰り的に伝統的な進学校に戻った感があります。

――少子化の影響は何かありますか。
小林 少し前までは超優秀な子は東日本在住であれば開成をはじめとする東京の私立に行き、西日本なら灘に行く、つまり地元の公立には行かないことがわりとありました。ところが少子化、過疎化の影響もありますし、地方経済の地盤沈下の影響もあって減ってきた印象があります。これを地元回帰と単純に喜べるかというと、たとえば東大合格者上位は首都圏の私立・国立の中高一貫校に集中していて、全体として見ると地方の公立名門校からは難関大学に合格しにくくなってきていますから、難しいですね。

かつて公立名門校教師による学習参考書が次々と書かれた背景

――私立の中高一貫だと先取り学習ができること以外に、公立が私立と比べてどんなところに進学指導上不利な点があるのでしょうか。
小林 昔の公立高校でいうと、たとえば受験参考書として著名な『試験に出る英単語』は日比谷高校の教員・森一郎さんが書いたものでした。森さんは1955年から1968年まで英語を教えていた方でしたが、かつての公立には進学指導のプロが10年、20年選手でたくさんいたんです。そして参考書を出したり、予備校でアルバイトをしていたりした。ところが1960年代後半から教育委員会が「それはダメ」としてしまったので、長くて5、6年で異動するようになってしまった。すると進学指導が断絶してしまうわけです。ところが私立には超長期にわたって教えている先生がゴロゴロいる。そしてその蓄積を後輩の先生に伝えていく。公立の場合は山間部や離島、あるいは工業高校などの高校から偏差値70くらいの進学校に異動してきた先生が、やっと慣れてきたと思ったところでまた異動になってしまう。ここは制度を変えないと私立中高一貫校の進路指導体制には対抗しがたいでしょうね。

――とはいえ、たとえば最近では一部の広域通信制高校が進学実績をうたっているものの、地方在住者にとっては地元の名門校のほうが一般的には有力な選択肢であり続けているわけですよね?
小林 「この市内ならこの高校でしょう」というイメージは、旧制中学信仰の流れもあるし、歴史伝統校としての存在感が地元にありますから、入試制度を極端に変えない限りは続くと思います。市区町村の役所や都道府県庁では、地元の名門校出身者が多いですよね。知事の出身校をみるとわかりやすい、岩手県は盛岡第一、茨城県は水戸第一、新潟県は新潟、和歌山県は桐蔭など前身が一中出身の知事です。そういう人たちの子どもがまた同じ高校に行ったりする。地元の政治家もそうです。地元の一中の高校を出て、早慶や東大京大を卒業してから地元に戻り、市議会議員をやって市長になる、といった方は首長を見る限りではいまだに多いですから。