#2 なぜ元キックボクシング王者のトップアスリートはギャンブル依存症になり失踪したのか?

パチスロ通いに2度の鑑別所…素行の悪かった少年時代

中竹さんの格闘技経歴は、幼少期に父親の勧めで通い出した少林寺拳法でスタートした。その後、小学校高学年になる頃には空手道場へ通い出しているが、いずれも自らの希望ではなかったという。

失踪王者の光と影…2度の鑑別所行き、ギャンブル依存の非行少年が更生のために格闘技の道へ進み、やがてキックボクシング王者になるまで_1
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「正直、別に少林寺拳法をやりたいとは思っていませんでした。なんとなく嫌といえないまま、通い続けていたんです。小学校高学年になってから始めた空手はもっと嫌でした。少林寺拳法は型が中心で、組み手をする時は相手に当てずに寸止めするんです。
だけど、僕が通っていた空手道場はフルコンタクト(直接打撃制)で、練習では生徒同士で直接打撃を入れ合います。1年下の学年にものすごく強い男の子がいて、その子と組み手をさせられるのがすごく嫌で、少しずつ空手に行くフリをしてサボるようになっていきました」(中竹さん、以下同)

中学校への進学を機に、そんな空手道場から晴れて解放されることとなる。中学ではバスケットボール部に入部した。部活動に専念するため、空手道場に通わなくてもいいと両親が承諾したため、中学入学以降数年は格闘技から離れて過ごした。

中竹さん本人は高校への進学を希望していなかったが、「せめて高校は卒業しておくべき」という両親の勧めがあったため、進学を選択した。しかし、そんな両親の想いに反して高校を卒業することはできなかった。

「中学生の頃から周りに悪友が増えたこともあり、当時はグレていたんです。高校2年生の時に仲間とバイクを乗り回していて、共同危険行為で警察に逮捕されました。それで、鑑別所に入ることになったんです。そんなことになったので、鑑別所に入っている間に親が高校の退学手続きをしました。僕自身は出所した後になって、高校を退学したことを初めて知りました」

無職になった非行少年は、建設現場などで作業員のアルバイトをしながら日々を送っていた。その当時も素行の悪さにはなかなか改善が見られず、傷害事件を起こして2度目の鑑別所行きも経験している。

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この頃の中竹さんにとって、ギャンブルは既に身近な存在であった。本格的なギャンブルの世界への入り口は、高校1年生の頃に始めたパチンコであったが、すぐにパチスロにのめり込んだ。当時は「4号機」と呼ばれるパチスロ機が人気で、どこのパチンコホールも大いに盛り上がっていた時代であった。愛好家の間ではいまだにパチスロ黄金期として語り草となっている。