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2軒の開拓農家が襲われ、胎児1人を含む7人が殺害

北海道苫前村に暮らす2軒の開拓農家が襲われ、胎児1人を含む7人が殺害、そのほか3人が重軽症を負った。悲惨極まる未曾有の惨事である。

三大悲劇の一つとされる本事件は、当時『小樽新聞』や『北海タイムス』で多く報道されていた。その後も1947年に発刊された『熊に斃れた人々痛ましき開拓の犠牲』(犬飼哲夫/1947年)、事件の生存者などから聴取した内容を記述した『苫前ヒグマ事件』(木村盛武/1980年)、さらに『慟哭の谷戦慄のドキュメント苫前三毛別の人食い羆』(木村盛武/1994年)、『ヒグマそこが知りたい理解と予防のための10章』(木村盛武/2001年)など、100年以上昔の事件にも関わらず、長きにわたってこの事件についての書籍がいくつも出版されている。最近では『ヒグマ大全』(門崎允昭/2020年)等にも詳細な情報が記されており、話題が尽きることはない。

〈クマ事件簿〉頭髪をはがされた頭蓋骨と膝下が残り…頭部と四肢下部を食い残すのはヒグマの習性。胎児1人を含む7人を殺害した惨劇_1
1915(大正4)年12月15日の「小樽新聞」。『日本クマ事件簿』より
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原野の村にヒグマ侵入。第一の事件が起こる

北海道苫前村(現・苫前町)は道北の日本海沿岸部に位置し、大正時代中頃まで、市街地と宅地、その周辺の農地を除き、ほぼ全域にヒグマが棲息していた。

事件が発生した三毛別の六線沢(現・苫前町三渓)は、苫前村の中でも市街地から遠く外れた山深い場所、海岸線から直線距離で10キロほど離れた山中の一角である。中央部にルペシュペナイ川が貫流し、日本海へと注ぎ込むまでいくつもの支流を集めていく。三毛別はアイヌ語で「サンケ・ペツ」、「川下へ流し出す川」の意。そんな原野だった当時の三毛別は、野生動物、ことにヒグマにとっては絶好の棲息圏であった。

史上最悪と呼ばれる本事件は、12月9日午前10〜11時の間(新聞報道では、午後7時頃)に第一の惨事が発生する。

当日の天候は晴れていたが、70センチの雪が積もっていた。厳しい冬がすでに訪れ、ヒグマはこの時期を前後して冬ごもりを始める。

そんな状況下、三毛別山の西およそ2・5キロ地点、ルペシュペナイ川右岸に暮らすA(42歳)家に突然の悲劇が襲う。当時の開拓民の小屋は、ほぼすべてが同様だったようだが、馬小屋のような掘っ建て小屋であったというA宅に、1頭のヒグマが侵入して来た。オスの成獣であった。