「勝者は学習せず、敗者は学習する」太平洋戦争の敗戦を決定づけた“日本人特有の戦い方”
日本軍“史上最悪の作戦”インパールの惨敗を招いた「恥の意識」と「各司令部の面目」

「一撃必殺」「無敵海軍」「魔敵圧倒」

「皇軍無敵」に「一撃必殺」。日本軍を敗北に至らせた四文字熟語が持つ“魔力”_1
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緒戦の勝利は決定的なものではないことを認識していたのは日本のごく少数であり、多くはこれで完璧な勝利だと思い込んで沸き立っていた。それも無理からぬことだった。長らく日本人の心のなかにあった欧米に対する劣等感が一掃され、今度は圧倒的な優越感に浸れるのだからこたえられない。

そこにメディアが作用する。当時の報道媒体は新聞かラジオと限られていたが、限られているからこそ効果は抜群となる。緒戦時には、景気のよい戦況記事の見出しに勇壮な四文字熟語が踊った。あえてそのいくつかを選んで見ると次のようになる。

開戦の詔書発表では「大詔渙発」(渙発=広く国内外に発布すること)、それまでの「膺懲支那」が転じて「米英膺懲」(膺懲=こらしめること)となるが、トーンが陳腐だ。国民の協力を求める呼びかけも「決死奉公」とまだ平凡だ。

ところが真珠湾攻撃の戦果発表から一挙にヒートアップする。「一撃必殺」「無敵海軍」「魔敵圧倒」といった華々しい四文字熟語が紙面を飾るようになる。そして各地の順調な戦況を伝えるときには「神速入城」となり、さらなる国民の結束を訴えるスローガンは「一億一心」だ。そして緒戦での最大の目標となったシンガポールを占領すると「積悪決算」と打ちだすが、大英帝国の帝国主義を想起すれば、これも言い得て妙だ。そして「皇軍無敵」と結ぶ。

戦争も押し詰まった昭和二十(一九四五)年夏になると、地方都市のどこそこも爆撃された、野草でもこうすれば食べられますといった不景気な記事が並ぶようになるが、そのなかには悲痛な四文字熟語が見られる。国による公助が無理となったから「自活自戦」、行政機関が腐敗したから「瀆職絶滅」、とにかく我慢してくれと「耐乏生活」、本土決戦となるので「軍民一体」、そして終戦の詔勅が出されると「承詔必謹」で結ばれる。

振り返って見れば、近世以降の日本では歴史の節目ごとに四文字熟語が叫ばれてきた。「尊王攘夷」で明治維新、東亜の「禍根芟除」で日清戦争、三国干渉に「臥薪嘗胆」で日露戦争、「五族協和」と「王道楽土」の建設を求めて満州事変、「尊皇討奸」で昭和維新、「膺懲支那」で大陸戦線の泥沼化、「八紘一宇」で大東亜戦争、そして「国体護持」と「皇土保衛」も空しく無条件降伏となったわけだ。