5月2日は忌野清志郎〔1951-2009〕の命日。
今年でもう、亡くなってから14年が経つ。
清志郎は、1968年に結成し1991年に解散したバンド、RCサクセションのボーカルとして名高いが、ほかにもTHE TIMERS(1988〜1995年)、HIS(1990〜1991年)、忌野清志郎&2・3'S(1991〜1994年)、Screaming Revueおよび忌野清志郎Little Screaming Revue(1994〜1999年)、ラフィータフィー(2000〜2001年)、忌野清志郎&NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORN(2003〜2009年)などなど、数々のバンドやユニットのフロントマンとして、そしてソロアーティストとして活動してきた。
先日亡くなった坂本龍一とのユニット(1982年)のことも忘れてはならない。
そんな忌野清志郎が残した楽曲には、未来(つまり現在)の社会を予見していたかのようなメッセージを読み取れるものが数々ある。
あまりにも早くこの世を去った、ロック界の“キング”こと忌野清志郎の、今でも、いや今だからこそ心に強く響く曲をご紹介しよう。
忌野清志郎、没後14年。令和を予見したかのようなメッセージが聴こえてくる10曲
つい先日、我々は偉大なミュージシャンの訃報に触れた。5月2日はそんな彼とユニットもしていた忌野清志郎の命日でもある。とてつもなくカッコよかった兄貴たちへのリスペクトと追悼の意を込めて。
忌野清志郎は、未来の社会を予見していたか
人生を謳歌するような明るさに潜む一筋の切なさ
忌野清志郎の真骨頂を感じる2曲
「JUMP」忌野清志郎
作詞・作曲/忌野清志郎・三宅伸治
2004年にシングルとしてリリース アルバム『GOD』収録

シングル「JUMP」RCサクセション
2006年に病魔に襲われた忌野清志郎は、療養のすえ2008年2月、「忌野清志郎 完全復活祭」と銘打った日本武道館公演で表舞台に復帰した。
その特別なステージのオープニングナンバーとして選ばれたのがこちらだ。
メジャーコードのギターリフとにぎやかなホーンセクションで始まる、清志郎歴代作品の中でもとりわけ明るくゴージャスな雰囲気のナンバー。
しかし、歌詞はのっけから切ない。
「なぜ悲しいニュースばかり TVは言い続ける
なぜ悲しい嘘ばかり 俺には聞こえる」
清志郎がこの曲を作った2004年は、アメリカによる対テロ戦争が激化し、治安維持のためイラクに日本の自衛隊が派遣された。
そのイラクでは日本の一般人が拘束され、殺害された。
ロシアやスペインで多数の死傷者を出すテロが勃発。
そして、新潟県中越地方で震度7の大地震が発生した。
もちろん、アテネオリンピックが開催されたり、北朝鮮による拉致被害者の一部が帰国したり、イチローがメジャーリーグで大活躍したりという明るいニュースもあったが、清志郎にはそれらを打ち消すように、悲しいニュースや嘘ばかりが耳に入ってきたのだろう。
しかし、2番の歌詞はこう続く。
「何が起こってるのか 誰にもわからない
いい事が起こるように ただ願うだけさ
眠れない夜ならば 夜通し踊ろう」
“完全復活”とは名ばかりで、このライブから半年も待たずに清志郎の病は再発し、再びライブ活動を休止。
そこから、もっとも悲しいニュースが伝わってくるまで、1年もかからなかった。
だけど旅に出る前に、清志郎はファンの前でもう一度高くJUMPしてくれていたのだ。
「トランジスタ・ラジオ」RCサクセション
作詞・作曲/忌野清志郎、G.1,238,471
1980年にシングルとしてリリース アルバム『PLEASE』収録

シングル「トランジスタ・ラジオ」RCサクセション
「雨あがりの夜空に」とともに、ファンの間でもっとも親しまれている、アンセム的な超名曲。
「Woo授業をサボッて 陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ 屋上で たばこのけむり とても青くて」
決して優等生ではないけれど、夜の校舎で窓ガラスを壊して回ったり、盗んだバイクで走り出したりするほどの大胆さはなく、トランジスタラジオから流れてくる“君の知らない”洋楽ヒット曲に耳を傾け、心を震わせる。
まだ何者でもない若者のフワフワとした心を、ここまで切なくリアルに表した曲が、他にあるだろうか。
コンプラでポリコレな現代社会では忌避されそうな歌詞だが、人はこうやって成長した方がいいのになと思ってしまうのは、筆者だけではなかろう。
我が子が高校生になったら、ぜひ、聞かせてあげたい曲なのだ。
生きるのが難しい今の時代にこそ聴きたい
心穏やかになれる2つの名曲
「空がまた暗くなる」RCサクセション
作詞・作曲/忌野清志郎、G.1,238,471
1990年リリースのアルバム『Baby a Go Go』からのシングルカット「スローバラード(RE-MIX VERSION)」のB面

アルバム『Baby a Go Go』RCサクセション
この頃のRCサクセションは空中分解寸前。
清志郎を含む残った3人のメンバーで、なんとか活動を続けていた頃にリリースされた、RC最終作品だ。
タイトル通り、爽やかながらも今にも雨が降り出しそうな雰囲気のメロディに乗せ、清志郎は歌う。
「おとなだろ 知ってるはずさ
悲しいときも 涙なんか もう二度とは 流せない
悲しいときも 涙だけじゃ 空がまた 暗くなる」
真っ当な大人であることを拒否するような生き方をしてきたに違いない清志郎が、逆説的に「おとなだろ」と歌う。
でも“涙だけじゃ、空がまた暗くなる”から、子供の頃のように勇気を出そう。
そしたら道に迷わずに、家にたどり着けるんだ、と。
子供の頃のような勇気。
難しい今の時代こそ、求められるものかもしれない。
「君が僕を知ってる」RCサクセション
作詞・作曲/忌野清志郎
1980年にシングル「雨あがりの夜空に」のB面としてリリース、アルバム『EPLP』収録

シングル「雨あがりの夜空に」RCサクセション
忌野清志郎が作る曲には、自分と誰かもう一人との、静かな関係性を歌うものが散見できるが、これはそうした“二人の世界”を扱った曲の中では究極のもの。
「今までしてきた 悪い事だけで
僕が明日 有名になっても
どうって事ないぜ まるで気にしない
君が僕を知ってる」
清志郎が歌う二人とは、恋仲の男女とは限らない。
この曲も、究極のラブソングと捉えることもできれば、かけがえのない友情を歌ったものと見ることもできる。
知らない者同士がネットでゆるく繋がる現代社会では、ちょっとした悪事が拡散されて大炎上したり、妬みから揚げ足を取られ、集中砲火を受けて追い落とされる事例に事欠かない。
でも、清志郎は教えてくれていたのだ。
そんなの関係ないんだぜ、と。
本音は一体どこにある?
清志郎が世に送り出した“金”にまつわる3つの怪作
「ボスしけてるぜ」RCサクセション
作詞・作曲/忌野清志郎
1980年にシングルとしてリリース アルバム『EPLP』収録

シングル「ボスしけてるぜ」RCサクセション
RCサクセションのシングル曲には、強い毒を含むものも多いが、これはその代表格。
安月給で働く“おいら”は、ボスの機嫌のいいある日、勇気を出して「給料を少しあげてくれ」と頼む。
だが、にわかに顔色を曇らせたボスに「俺の方こそ上げてもらいてえなボーズ」と言われてしまう。
そんなボスを恨み、「青春がだいなしだ」と嘆く“おいら”は、次の日、仕事をサボって寝てたのだが、ボスには「腹が痛くて」と言い訳の電話をしてしまう……。
飲み屋で流れると、部下を連れて飲みにきている上司がいたたまれなくなるため、東京の銀座や荻窪の有線放送では、放送禁止措置が取られたというこの曲。
リリースからしばらくののち、日本経済は絶頂期を迎えたが、ご承知のようにバブル崩壊後はまったくパッとせず、庶民の賃金は今も低迷状態が続く。
現代の我々こそ、声高に言っていいのかもしれない。
ボスしけてるぜ!
日本しけてるぜ!
「この世は金さ」RCサクセション
作詞/忌野清志郎 作曲/肝沢幅一
1972年リリースのアルバム『初期のRCサクセション』収録

アルバム『初期のRCサクセション』RCサクセション
「金さえあれば この世の物は 何でも手に入れられるのさ
幸福だって女だって 金で買えない物はない
Oh,yes,Oh,yes この世は金さ
金がすべてさ この世は金さ」
作曲としてクレジットされる肝沢幅一とは、忌野清志郎の変名。
フォークトリオとしてスタートしたRCサクセションの、ファーストアルバムに収録されている、のんきな雰囲気の曲だ。
当時のRCサクセションはまるで売れておらず、清志郎も貧乏を極めていたはずだから、これは当然、すっとぼけた態度で、金の亡者を逆説的に揶揄した歌だというのが普通の見方だ。
だけど、いや待てよ……。
もしかしたらそのまた裏をかいて、本音をストレートに歌っているのか?
と、リスナーをあやふやな気分にさせたまま、アルバムの次の曲になだれ込む。
「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」RCサクセション
作詞/忌野清志郎 作曲/肝沢幅一
1972年リリースのアルバム『初期のRCサクセション』収録
前出「この世は金さ」が終わった途端、アコースティックギターが激しく掻き鳴らされ、この曲が始まる。
「金もうけのために 生まれたんじゃないぜ
金もうけのために 働くのはいやなのさ
金もうけに疲れて 死んで行くなんて 悲しいことさ」
前曲で“金がすべてだ”とうそぶいた舌の根も乾かぬうちに、拝金主義を声高に批判する清志郎。
ちなみに、この次の曲は「言論の自由」というタイトルで、「本当の事なんか言えない 言えば殺される 言えばにらまれる」と歌う。
これらの曲がリリースされて半世紀以上が経過するが、今の方が貧富の格差は広がり、相互監視と同調圧力もよりひどくなっているではないかと、考えさせられてしまう。
坂本龍一との合作から、生前最後の作品まで
かっこいい生涯を全力で駆け抜けた清志郎
「山のふもとで犬と暮らしている」RCサクセション
作詞・作曲/忌野清志郎
1985年リリースのアルバム『HEART ACE』収録

アルバム『HEART ACE』RCサクセション
RCサクセション全盛期の1980年代半ばに発表された曲だが、清志郎が実際に作ったのは、バンドが低迷してまったく仕事がなかった1970年代なのだそうだ。
孤独と不安に苛まれながら何もすることがなく、足元に転がる雑種の犬に対して「心配事は何もない おまえにだけは」と語りかける。
虚空を漂うようなメロディに乗せ、不安定で掻き乱されるような心情を訥々と歌い上げる清志郎の歌声が魅力的だ。
犬と山の中を駆け回る明日のことを思いながら眠りにつく清志郎。
今の世も将来に対する不安だらけだが、こんな諦めの境地も悪くないのかもしれない。
「激しい雨」忌野清志郎
作詞・作曲/忌野清志郎・仲井戸麗市
2006年リリースのアルバム『夢助』収録

アルバム『夢助』忌野清志郎
忌野清志郎、生前最後のスタジオ録音アルバムに収録されている一曲。
「誰もが見守ってる 世界は愛し合うのか
Oh何度でも 夢を見せてやる
Ohあの夏の 陽焼けしたままの夢
RCサクセションがきこえる
RCサクセションが流れてる」
盟友であるギターのCHABO(仲井戸麗市)の勧めで、ためらいつつも“RCサクセション”という言葉をサビに置く歌詞を作った清志郎。
世界は再び愛し合うのか、誰もが見守っている。
反戦歌でもなんでもないんだけど、今、心に響く歌詞である。
「い・け・な・いルージュマジック」忌野清志郎+坂本龍一
作詞・作曲/忌野清志郎・坂本龍一
1981年にシングルとしてリリース

シングル「い・け・な・いルージュマジック」忌野清志郎+坂本龍一
「他人の目を気にして生きるなんて クダラナイことさ
ぼくは道端で 泣いてるこども」
もはや、多くを語る必要もない。
人の目も気にせず人生を駆け抜けた、かっこいいアニキ達だったな。
改めて、どうもありがとう。
文/佐藤誠二朗
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