豹柄コートで1レース数十万円の舟券を買っていた20代…子供の保育費、数千円を滞納して気づいたギャンブル依存症の苦しみ。「これが当たらなかったら、死ぬしかないかもしれない…」
「ギャンブル依存症」とは、どのような病気なのか。「ギャンブル依存症問題を考える会」の代表で、自身も依存症に苦しんだ経験を持つ田中紀子さんに、実際に体験した依存症の症状とそこからの回復について話を聞いた。(全3回の2回目)
ギャンブル依存症問題を考える会代表・田中紀子#2
豹柄コートで1レース数十万円をぶっ込む!
競艇場の注目を集めた勝負師時代
――旦那さんとお付き合いを始めて、田中さん自身もギャンブルにのめりこんでいったんですね。
夫と付き合いだしてからは私もギャンブル三昧でした。ダブルワークで働きながらも、空いた時間で競艇に出かけ、家に友人を呼んで麻雀を打ってと、とにかく暇を見つけてはギャンブルばかり。競艇場のイベントでもらったペラ(※ボートのモーターに付けるプロペラの略称)を家で夫と眺めて、研究することもありました。

年末に大阪・住之江で開催される賞金王決定戦前に夫と訪れた清水寺で願掛け
――当時のお2人は競艇場の客層としては随分若いのではないですか。
当時の競艇場はおじさん客ばかりで、500円とか1000円とか賭けている人がほとんどでしたが、ダブルワークをしていた私はそれなりに稼ぎがあったので、数十万円分の舟券をポーンと買っていました。
しかも、ブランド品の豹柄のコートなんかを着ていたので、我ながら目立つ存在でしたね。そんな感じだったから、私が舟券を買っていると近くに人垣ができることもありました。その時の優越感が気持ちよかったのも、競艇にハマった理由かもしれません。
――競艇場での噂の的だったんでしょうね。
でも、さすがにこれじゃマズいなって思って、ギャンブルから足を洗おうとして、いろいろと試したこともありました。ある時、ギャンブル以外のデートもしてみようと、夫と九十九里に旅行に行ったんです。
海で遊んだりしながら2人で「ギャンブル以外にも楽しいことはいっぱいあるね」なんて言っていたのですが、旅先で夫が気胸になってしまって緊急入院することになりました。

年齢層が高い競艇場では、若くて気風のいい田中さん夫婦は注目の的だった
――せっかくの旅行なのに。
2週間ぐらい入院していたんですが、夫は入院生活の退屈しのぎにまたギャンブルを始めてしまって。お見舞いに病院に行くと、夫と同じ病室の人から「あなたの彼はよっぽどギャンブル好きだね」なんて笑いながら話しかけられました。
「ヤバい!」と思って慌てて病室に行くと本人はベッドにおらず、病室からは競艇のメモが出てきて、よくよく見ると200万円以上負けていました…。ブチ切れてすぐに病院中を探し回って、やっと見つけた時には、夫がドレーン(体液を体外に排出する医療器具)をつけたまま、病院の公衆電話で競艇の電話投票をしていたんです。
結婚、出産後もギャンブル癖は止まらず
満員電車で喧嘩の末に…
――底が知れませんね。
夫と私は普段は仲がいいんですが、ギャンブルをやっていた頃はお金のことで喧嘩が絶えませんでした。夫が勝手に私のお金を使ってしまうこともありましたし。当時は私も夫も朝から晩まで働いて、そのお金を全部ギャンブルで溶かして常に金欠状態。
3年もそんな生活をしていたら、もう2人とも疲れ果てていました。いい加減まともになろうと、2人ともギャンブルをやめて、仕事も昼職だけに絞って穏やかに暮らしました。そんな生活を1年ほど続けて結婚しました。
――結婚してお子さんが産まれても、ご主人は何度もギャンブルで借金を繰り返したと聞いています。
私は妊娠中につわりが酷くてギャンブルどころではなかったのと、出産後も育児で忙しかったので再発しませんでしたが、夫はそうはならず、ポケットからごっそり消費者金融のカードが出てきて大喧嘩、なんてことが何度もありました。
その度に私はブランド品を売るなどして肩代わりしました。普段は子供の面倒もちゃんと見る、本当によくできた夫ですが、ギャンブルとなると人が変わってしまいます。あまりにもギャップが酷くて別人格があるのではないかと疑うこともあったほどです。

「ギャンブル依存症問題を考える会」代表・田中紀子さん
――どのような経緯で依存症治療を受けたのですか。
ある時、喧嘩の途中で夫が「自分ではどうにもできないから助けてほしい」と泣きながら懇願してきました。満員電車の車内で。それがきっかけで、この人は本当に自分で自分を制御できない状態だということに気がついたんです。いろいろ調べてみて、ギャンブル依存症という病気を知りました。それで、心療内科にいったことが依存症からの回復の第一歩でした。
依存症に陥りやすい人の特徴は?
――依存症だと診断された時はどんな心境でしたか。
ホッとしました。性格とか人格とか、元々の体質が原因だと言われたらどうしようもないですが、病気なら治せると思ったので。また、診断によって、それまで夫の借金を肩代わりしていた私の行動は、結果として夫が再び借金できる環境づくりになっており、夫をますます依存症から抜け出せなくしていたと思い知らされました。私は夫を助けようとして共依存状態に陥っていたのです。
――それから自助グループに通い、治療プログラムである12ステップも始められています。それぞれどんな役割があるのでしょうか。
自助グループは、自分を支えてくれる共同体です。ギャンブルや生き方についての問題や悩みを仲間に相談して、支えとなることが自助グループの役割といえます。
12ステップは回復のためのプログラムで、生き方自体を変えてくれるものです。自分のことしか考えてこなかったギャンブラーに、社会貢献などの活動を通して、自分以外の人に尽くす生き方を教えてくれます。

「2022年度 ギャンブル等依存症問題啓発週間フォーラム」に登壇する田中さん(左から一人目)
――趣味として好きで没頭している状態と依存症って何が違うのでしょう。
依存症になると物事の優先順位の第1位がギャンブルになってしまいます。仕事や家族、将来の夢とか、そういう大事なものがどうでもよくなってしまい、四六時中ギャンブルのことしか考えられなくなってしまう、そういう病気です。
私と夫はどうやったらギャンブルをやめられるかを真剣に考えて数々の試みをしました。結婚したら、家を買ったら、子供が生まれたらやめられるかもとか。でも一向にやめられず、子供の幼稚園の数千円の保育費を滞納したこともありました。どうしたって、ギャンブルはやめられないと本気で思っていました。
ギャンブル依存症はただ苦しいだけ
――最初はほんの楽しみのつもりでも、そこまでいってしまうんですね。
よく世間でいわれる「楽して儲けようとしている」なんて気楽なものじゃなくて、やらないと死んでしまいそうな強迫観念があって、やるしかなくなってしまうんです。
「これが当たらなかったら、死ぬしかないかもしれない……」
そんな勝負をずっと続けなければならないので、途中からは、ただ苦しいだけでした。
依存症状態になると激しい刺激にさらされ続けて、ドーパミンの感受性が悪くなっていきます。ドーパミンが機能不全を起こすと、常にイライラしたり、そわそわしたり、苦しい気持ちになります。そうすると気持ちを上げるために、ギャンブルをするしかなくなります。
私は、依存症を発症していた当時、つらい現実を生きられるのはギャンブルがあるからで、それがなくなったらどうやって生きたらいいのかわからないとさえ感じていました。

現在は、依存症予防の啓発セミナーなどの活動を各地でしている(前列左が田中さん)
――もしも、自分たちが依存症だと気づけないままだったら、どうなっていたと思いますか?
きっと、幸せってこういうことなんだということを実感できないまま、不全感を抱えて自信が持てなかったり、不平不満をいっぱい抱えたりしたまま人生を終えていたような気がします。現在は、依存症を考える会の活動などをしていますが、そうやって自分の役割とか使命とかそういうものを見つけられたってことは、すごく幸せな人生だと思っています。
今では素面で生きる人生をギャンブルよりずっと刺激的に感じています。だから依存症になってよかったなと思えるほどなんです。
#3につづく
取材・文/内田陽 撮影/高木陽春