“書けてしまった”場面こそ、物語の命

1940年代、日本占領下の中国・廈門。銃声が轟き、ブーゲンビリアの咲く亜熱帯の街で、リリーとヤンファは出会った。
資産家の令嬢として生まれるも、家の没落により、大阪松島遊廓の娼妓となったリリーは、遊廓から逃走し、廈門へと流れつく。カフェーで働きながら、抗日活動家のために諜報活動を行うリリーはあるとき、日本軍諜報員の暗殺を指示される。その実行犯として紹介されたのが、ヤンファという女性だった。琥珀色の瞳と蛇の刺青、そして澄み切った歌声を持つヤンファに強く惹かれていくリリー。だが、リリーには非情な指令が下されていた。
国に、戦争に、男に翻弄され、踏み躙られてきた二人の女性。名前を変え、流転しながらも、今を生き抜く彼女たちの愛と友情、そして数奇な運命を熱量高く描いた青波杏さんの『楊花の歌』は、第35 回小説すばる新人賞を受賞しました。
刊行にあたり、選考委員の北方謙三さんをお迎えした対談をお届けします。「この小説の命は、少女が山中を疾走することで、生み出された」と北方さんが高く評価された場面は、どのように生まれたのでしょうか。

構成=砂田明子/撮影=露木聡子

“書けてしまった”場面こそ、物語の命 第35回小説すばる新人賞 青波杏『楊花の歌』 北方謙三×青波杏 対談_1
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新人賞は商品になり得ても
ダメなんです

北方 受賞作を読んで、これは初めての筆ではないと思いました。

青波 初めて小説を書いたのは10代のときですが、それはとても小説とは言えないようなもので。以来、小説からは遠ざかっていたのですが、数年前、廈門に行ったときに、時間ができたんです。日本語教師として週2回教えたら、あとは何もしなくていいという夢のような職場だったので、また小説を書き始めて、「すばる」の文学賞に送ったら3次選考まで残って。もしかして、こういうふうに書いていけばいいのかなと思って、4作目で賞をいただいたという感じです。

北方 「すばる」に応募したということは、純文学をやっていたの?

青波 実は、純文学とそうでないものの区別がよくわかっていないんです。

北方 明確にはないんです。ただ、純文学系の「すばる」に応募するか、エンターテインメント系の「小説すばる」に応募するかには違いがあるわけですよ。たとえば「すばる」は募集要項の枚数が少ないでしょう。

青波 そういうことを友達から教えられました。廈門にいたときに書いた2作目も「すばる」に応募したものの、ちょっと長すぎたんです。それで友達が、青波さんは、エンタメ系の新人賞に送ったほうがいいかもしれないよと。

北方 すると、「小説すばる」に応募したのはこれが初めてだった?

青波 はい。

北方 長いものを書くことにあまり慣れてないかなと感じる部分はあったんです。それは視点の問題。最初のほうは女性の視点でしょう。

青波 第一部、第二部は、「あたし」という女性の一人称です。

北方 で、第三部になると、「彼女」という三人称一視点になる。そこからは彼女の内面が勝負だから彼女でよかったと思うけれど、「あたし」のほうは、周囲に対する感じ方とか接し方が、わりと一般的なんですよ。スパイが出てきたりと冒険小説になっていくんだけど、勉強して、普通に冒険小説的なものを書いたなという印象がある。それはそれで面白いし、商品にはなり得る。けれど新人賞は、商品になってもダメなんです。何かほかとは違うものを、新人賞では評価する。あなたの場合、それは「疾走」だった。

青波 少女が森の中を走るシーンですね。第三部に出てくる。

北方 森の中の残酷なシーンとか、抗争の描写とかが凄いじゃない。そういうものと、それらを目にする少女の感性の中に、何かほかと違うものがあった。特に走るところに。あの疾走は、選考委員はみんな評価していました。

青波 ありがとうございます。

北方 僕はそこは、頭で考えて書いたというより、「書けちゃった」部分があるんじゃないかと思ったんですね。

青波 おっしゃる通りです。第一部、第二部を、こんな感じでいいのかなと、けっこう迷いながら書いていたら、第三部を書き始めたくらいに締め切りまで時間がなくなってしまったんです。そうしたら自然に物語が走り出してしまって、何でこんなものを書いているのか自分でもわからないまま、どんどん突き抜けていった結果、第四部は静かに落ち着く、という結末にたどり着いていました。

北方 小説の本質ってそれだと思う。誰だって書くときは考えるんですよ。頭で考えて考えて考えるんだけど、どこかでぽーんと飛んじゃう。すると、自分では思いもしなかったものが書けちゃったりする。無意識に書けちゃってるな、という迫力のある場面があったのは、最終選考の中であなたの作品だけで、だから極端に言えば、あの少女が走っている姿が受賞したようなもの。

青波 選評にそう書いてくださいました。

北方 ぽーんと跳躍する潜在能力を持っている人は多いんですよ。ただ、普通の人は、その能力を発揮できない。何か外からの圧力がないと、人間、簡単に潜在能力を出せないんですよね。

青波 追い詰められて初めて出るような力なのでしょうか……。

北方 そう。潜在能力はどこで出てくるかはわからないけれど、あなたの場合は締め切りによって発揮できた。だからこれからも締め切りを作って、2作目、3作目とどんどん書いてください。それができる人だと思います。

専門は女性史、
遊廓の中の労働運動

北方 廈門に行ったきっかけは何だったんですか?

青波 日本で10年くらい、非正規の大学職員をやっていたんですが、雇い止めにあったりと、厳しい環境だったんです。そういう生活に疲れていたところに、廈門の友達が、こっちの大学で日本語を教えないかと声をかけてくれたのがきっかけですね。コロナの時代になったので、1年くらいで帰ってこなければいけなくなったのですが。

北方 亜熱帯の地に飛行機で降り立った瞬間、漂ってくるにおいがありますよね。そういうものを作品全体から感じました。スパイの銃撃の光景なんかも、廈門での生活が素になっているんですか?

青波 そうですね。廈門の友達に街を案内してもらっているときに、あそこの街角で、昔、暗殺事件があったんだよ、という話をかなり丁寧に教えてくれて。それが小説の重要なモチーフになりました。

北方 その後、台湾に移りますね。第三部から。

青波 もともと女性史の研究をしているので、近代の女性の生き方や植民地の歴史に興味があったんです。で、廈門に暮らすヤンファとリリーという二人の女性が立ち上がってきたわけですが、最初にヤンファの造形をしたときに、なぜかはっきりとわからないけど手に入れ墨がある女性のイメージが浮かんできたんです。台湾には入れ墨をする原住民(先住民の台湾での呼称)がいますし、廈門と台湾は距離が近いので昔から人の行き来があって、文化的にも似ていることを知っていたので、廈門から台湾の山の中へと物語が自然につながっていきました。プロットをあまり作らないので、書き始めたらそうやって転がっていったという感じですが。

北方 あの山の中のシーンは、霧社事件(台湾の先住民による抗日蜂起事件)の雰囲気があるなと思いました。

青波 はい。霧社事件は1930年で、この小説が舞台にしている1920年にも原住民の武装蜂起が起きていて、それをモチーフにしています。

北方 そういう歴史的題材がありながら、ぽーんと疾走に飛んじゃうんだよね。あれがやっぱり小説の創造だと思うね。

青波 そんなふうに言っていただけるとは……。ありがとうございます。

北方 さきほど女性史の研究をしているということだったけど、専門は何ですか?

青波 近代女性史で、遊廓の研究をしています。遊廓の中の労働運動を中心に。

北方 だから遊廓が出てくるのか。主人公(リリー)が廈門に渡る前、日本にいた頃の場面です。

青波 そうなんです。1920年代から30年代にかけて、遊廓の中でストライキが頻発したんですが、あまり知られていないので、いつか書きたいと思っていて、この作品に、会話の中だけですが登場させました。

北方 主人公の客として、作家の先生が出てくるじゃない。あの先生は独特の存在感がありましたね。

青波 そうかもしれません。当時の遊廓の女性が実際に書いた手記などを参考にしたので。

北方 インテリで、女にぐだっと寄りかかるような先生は昔もいたんだろうな。

青波 いたんだと思います。遊廓の娼妓の仕事には精神的なケアという側面もあったので、インテリとか活動家の人がやってきて、いろんな話をしたんだろうと。そういう話に触発されて、遊廓の中でもストライキが起きたりというダイナミクスがあったんですね。

北方 でも、ああいうインテリ活動家は弱いんですよ。

青波 そうですね。ただ、残された人たちが彼らの理想を受け継いでいったということはあるのかなと。

北方 そう。弱いけど誠意があるから、ちゃんと彼女に廈門への逃げ道を作ってあげるし、彼女は権力者と支配されている側の人間の力関係を先生から植え付けられていたから、廈門で生き延びていけたところがあるんでしょう。あの先生は面白かったですね。

心の中に暗闇はあるか?

青波 人物でいうと、僕は悪い人や悪いものを書くのが苦手なんです。村山由佳さんが選評で〈諜報活動や暗殺が絡みながらも主人公たちがわりと吞気である〉と評された通り、すべていい人になってしまって緊張感がないというか。北方さんの小説は悪をしっかり悪として書かれていて、物語が締まっていると感じるのですが。

北方 悪は書いたほうがいいです。言ってみれば主人公を光らせるために、強烈な悪、悪いヤツを書くんです。

青波 ああ。悪いヤツを徹底して悪く書けば、そのぶん、主人公が光ると。

北方 でも、それは図式的なものでね。朝、人を殺したような悪いヤツだって、夕方、溺れている子どもを助けるなんてことをするんですよ。そういう人間の多面性とは別に、悪をきちんと書かないと、いいものは際立たないということです。

青波 よくわかります。

北方 ただ、今回の小説で、もし諜報活動とかスパイとか、あの辺りの悪を突き詰めていったら、その手の小説になったでしょう。で、その手の小説でいいものはあるんです。

青波 一方で「疾走」には至らなかったということですね。

北方 そう。だからあなたは際どいところをすり抜けて、物語の独創性みたいなところに手が届いたのだから、そこは評価点です。

青波 ありがとうございます。小説を書くのが好きだということを、初めてしっかりと自覚したのは3年前なんです。廈門にいたときに書き始めたら、毎晩、朝まで書くようになってしまって。

北方 面白くなったんだね、書くことが。それは人を動かすことではなく、人が動くのが面白くなったんだろうと思う。

青波 そうです。10代のときは、自分の苦しさとか内面が創作に表れていたと思うんですが、そういう自己表現ではなく、物語を書くのが面白くなってきたのが3年前くらいからです。

北方 物語って大変なことですよ。やっぱりね、書かなきゃいけないものを持って生まれてきた人っているんです。僕の同世代では、それは明確に中上健次だった。僕はあいつと比べて、文章で劣るわけはないと思った。だけど、俺にないものをあいつは持っていた。何かと言ったら、文学として書くべきものです。
 しかし、中上になくて俺にあるものはあって、それが物語でした。よく編集者に言われました。「あなたの心の中にも書くべきものがあるでしょう。暗闇があるでしょう」って。でもないんですよ。じっと見つめても、どこにあるんだよって。
 だけど自分には物語があった。それを文学と言えるのかどうかはわからないけど、結局、文学であろうが物語であろうが、行きつくところは同じだと思っているんですね。人を感動させるという意味では。

“書けてしまった”場面こそ、物語の命 第35回小説すばる新人賞 青波杏『楊花の歌』 北方謙三×青波杏 対談_2
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