快適空間を打ち出したきっかけは「資金不足」

喫茶室ルノアールはそもそも「花見煎餅(はなみせんべい)」という煎餅屋から始まった。複数の経営者で運営していたそうだが、喫茶店に将来性を見出し、新たに飲食事業へ着手する。

1964年には日本橋に喫茶室ルノアールの第一号店を出店。

コロナ禍で年間35億円の売上減を乗り越えて…ルノアール一筋50年のベテラン社長が今も忘れない創業者の衝撃的な教え「店は出すけど、商品は出さない」とは_1
創業当時の「喫茶室ルノアール」@千駄ヶ谷第2店
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今でも健在の“名画に恥じぬ喫茶室”というコンセプトは、「名画に勝る喫茶店をやりたい」という絵画好きだった当時の経営者の考えが由来になっている。

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ルノアールの名画「花束を待つ女性」が飾られていた店舗

しかし、その頃は飲食店を経営すること自体が難しく、銀行の融資も下りづらかったことから、資金繰りに苦労したと猪狩氏はいう。

「ルノアールの出店場所を確保するのは比較的容易でしたが、椅子やテーブルを用意するのに十分な予算を確保することができませんでした。なのでやむを得ずに、椅子とテーブルをまばらに置き、席間の間隔を開けていたんですが、これが予想に反してお客様に受けまして。このエピソードこそ、喫茶室ルノアールが快適空間を提供する原体験になっています」

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「絨毯に費用をかけすぎて資金不足となり、やむを得ず椅子をまばらに配置した」という創業当時

そう語る猪狩氏は高校卒業後、1972年に銀座ルノアール入社。同社一筋50年、ルノアールとともに歩み続けた生き字引と言える大ベテランだ。

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猪狩安往社長。1951年生まれ(福島県出身)

バブル期の初期にはさまざまなホテルのエントランスを見て学び、ホテルのロビーのような雰囲気を意識した店舗づくりを目指すようになった。

「ルノアールの店内で目を引く赤の絨毯ですが、実は一時期、入口で靴を脱いでお店に入る演出をしたこともあったんです。土足で絨毯に上がると磨耗してしまい、すぐにだめになってしまうため、スリッパに履き替えてもらっていたんですが、長くは続きませんでした。
こうした試行錯誤は他にもありましたが、長らく喫茶店を継続してこれたのは、お客様のニーズに応えることを常に意識してきたからだと思います」