ひとつの世界があって、それをある人間が観察しているとします。
そこでは人はあくせく朝から晩まで仕事をしています。しかし、観察者の目には、その仕事のかなりの部分がなんの意味もなく、たとえば、必要のない穴を掘ってはひたすら埋めているとか、提出後すぐに保管されて二度とみられることのない書類をひたすら書いているとか、そんな「仕事のための仕事」に勤しんでおり、ほとんど仕事のふりをしているようにしかみえません。
そのような仕事がなくても、この世界で生まれている富の水準は維持できるだろうに。ところが、こうした仕事をやっている人は概して社会的な評価が高く、それなりの報酬をもらっています。
それに対して、社会的に意味のある仕事をやっている人。おそらく彼らがいなければこの世界は回っていかないか、あるいは多数の人にとって生きがいのない世界になってしまうような仕事をやっている人たちは、低い報酬や劣悪な労働条件に苦しんでいます。しかもますます、彼らの労働条件は悪化しているようなのです。

クソどうでもいい仕事はなぜ増えるのか?――あなたのその仕事、本当に必要ですか?
仕事の効率化が進み、「週12時間労働」も実現可能といわれる一方で、私たちの仕事は一向になくならない。あってもなくてもいい書類、役職、打合せ、会議、作業……私たちはなぜ「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」に苦しみ続けるのか? 『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるのか』(酒井隆史・講談社)から一部抜粋・再構成してお届けする。
世界を俯瞰すれば見えてくる
「クソどうでもいい仕事」の発見
観察者は、いったいどうしてこんなことになったのか、調べてみようと思います。
まず、いまのこの状況を100年前の視点からみるとどうなるか、検討しました。
すると、おおよそ100年前には、働く人たちは組合を組織して、賃上げよりも、労働時間を短縮すること、自由時間を獲得することに重きをおいていたことがみえてきました。
そしてその根底には、労働から解放されたいという動機があることがわかりました。
そしていまでもとても尊敬されているその世代随一の経済学者も、100年後には、技術の向上やそれに由来する生産力の上昇によって、人は一日4時間、週3日働けばすむようになっていると予言しています。
特権階級だけが得する間違いだらけの仕事の価値観
100年前のこうした人たちの要求と予言をあわせるなら、そうなっていてもおかしくないのです。ところが、この世界はそうなっていません。人は、ただひたすら穴を掘っては埋めることに時間をついやすことを選んだようにみえます。
観察者は、この世界のなかに入ってフィールドワークをはじめました。すると、意外なことがわかります。自分たちの仕事が穴を掘って埋めているだけだ、とか。誰も読まない書類を書いているだけだ、と。仕事に就いているかなりの人が気づいていて、しかも、それに苦しんでいることです。
そしてそのような精神状況がうっすらとこの世界を覆い、職場だけではなく社会全体が殺気立っていること、険悪になっていることに気がつきます。
50年ぐらい前(1960年代)には、ほとんど働かないですむような世界を多くの人たちが求めはじめた時代がありました。そして経済学者の予想した通り、客観的にも、可能性としては、その実現は遠いものではなくなっていました。
ところが、世界を支配している人々からすると、それが実現するということは、人々が自分たちの手を逃れ、勝手気ままに世界をつくりはじめることにほかなりません。そうすると、自分たちは支配する力も富も失ってしまうことになります。そこで彼らは、あの手この手を考えます。
そのなかのひとつが、人々のなかに長い間、根づいている仕事についての考え方を活用し、新しい装いで流布させることでした。
その考え方とは、仕事はそれだけで尊い。人間は放っておくとなるべく楽してたくさんのものを得ようとするろくでもない気質をもっている。だから額に汗して仕事をすることによって人間は一人前の人間に仕立て上げられるのだ、と、こういったものです。
富める者はますます富み
どうでもいい仕事は増え続ける
こういった考えを強化させつつ、「仕事から解放されよう」とか、「自由に使える時間を増やそう」とか、「人生のほとんどの時間を生きるために誰かに従属してすごさなくてすむ」とか、二度と考えないように支配層にある人たちは、その富の増大分をほとんどわがものにし、仕事をつくってそれに人を縛った上でばらまくのです。
こうすると「なにかおかしいな」と思っていても、でも仕事をするということはそれだけで大切だ。虚しかったり苦痛だったりするけれども、だからこそむしろ価値がある。というふうに、人は考えてしまいます。なにかこの世界はおかしいけれども、「それがおかしいと考えることがおかしいんじゃないか」と多くの人が疑念を打ち消すことによって、この砂上楼閣のような世界はかろうじて成り立っているのです。
成り立っているといっても、そのなかは不満で充満しています。うすうすむなしいと思いつつ仕事をしている人たちは、虚しくなさそうな人たちをことあるごとに攻撃しています。そうした人たちが、労働条件をもう少しよくしようとしてストライキでもしようものなら、容赦のない攻撃がくり広げられます。
そして、技術的条件によって仕事がどんどん不要になっていくという社会の趨勢のなかで、多数の人たちが失業状態になっていきます。そうすると、彼らに対して、残りの人たちのほとんどすべてから「怠け者」とか「たかりや」といった罵声が浴びせられます。つまり、この砂上楼閣は緊張感がみなぎっていて、いわば、ごく一部を除いて誰も得をしないというか、みんながみんなを不幸にしあう悪意のぶつけあいによって、ぐらぐらと揺れているのです。
こうしてこの観察者は、その観察の結果を日本語の文字数にしておよそ6000字程度の小レポートとしてまとめ、ウェブに公開します。その際、この世界のかなりの人たちが自らもうすうすそう感じながらやっている「どうでもいい仕事」に、「ブルシット・ジョブ」(BSJ)という言葉をつくってあてはめました。
大した仕事もせずに中抜きする代理店が、下請け、孫請け、ひ孫請け、やしゃご請けをつくる。たとえ消えてなくなっても、世の中になんの影響も与えない。むしろ、その仕事は存在しない方がマシという仕事が生まれる社会の構造は揺るがない。
「どうしてムダな仕事は増えるのか?」
私たちが「ブルシット・ジョブ」(BSJ)から解放される第一歩は、自由であるとはどういうことか、自由を実践する社会をつくるにはどうすればいいかを「考える」ことから始まる。
ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか
酒井隆史

2021/12/15
¥1,012
256ページ
4065266599(ISBN-10 )
978-4065266595(ISBN-13)
誰も見ない書類をひたすら作成するだけの仕事、無意味な仕事を増やすだけの上司、偉い人の虚栄心を満たすためだけの秘書、嘘を嘘で塗り固めた広告、価値がないとわかっている商品を広める広報……私たちはなぜ「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」に苦しみ続けるのか? なぜブルシット・ジョブは増え続けるのか? なぜブルシット・ジョブは高給で、社会的価値の高い仕事ほど報酬が低いのか? 世界的ベストセラー、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』の訳者による本格講義!
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