――井上さんは、福岡県のご出身ですよね?
はい、生まれも育ちも福岡県です!
――都内の大学に進学されてますが、その頃からアナウンサーを意識していた?
当初は全く意識しておらず、シンプルに親元を離れて、今自分がいる世界以外を見てみたかったんです。私は一人っ子で、良くも悪くも家族から可愛がってもらいました。ただ甘やかされてきた部分もあったので、ここで一度親元を離れないと、これ以上の自分の成長はないと思ったんです。
その時、自分の中で思い浮かんだのが海外か東京へ出るということ。ただ、海外は父が「絶対ダメ!」と反対したので、それでは東京の大学へ進学させてほしいと頼み込んだところ、「就職は福岡に帰ってくること」を条件に東京へ行くことを許可してもらったんです。
――なるほど。それなら、東京に出てきた時は嬉しさでいっぱいですね。
もちろんです。ただ最初は育ってきた福岡を離れるという寂しさと「東京は怖いところ」という勝手なイメージがあり不安でいっぱいだったんです(笑)。実際には大学の同級生はいい人ばかりでその気持ちはすぐに吹き飛びました。上京した直後に風邪をひいて1人心細かったのですが、知り合ったばかりの私に同級生たちは薬や食べ物を差し入れしてくれて、周囲の優しさのおかげで前向きなスタートになりました。その後もありがたいことに東京での学生生活は新鮮で楽しいことばかりでしたね。
――人に恵まれましたね。
はい。東京には4年間しかいられない、だったら東京でしかできないことをやろうと。それまでは中々一歩を踏み出せないタイプでしたが、この気持ちが大きく、ESS(英語部)に入ったりミスコンに出場したり、ご縁に恵まれて色々なことに挑戦できました。
――そんな中、アナウンサーになろうと思ったのはなぜですか?
ESSにいた"憧れの先輩=日比麻音子さん(現TBSアナウンサー)"の存在が大きかったです。現在、アナウンサーとして活躍されていますが、頭も良くて、何でもできてしまう方。私が学生時代にミスコンに出場したり、お天気キャスターに挑戦することになったのも、先輩のおかげなんです。
当時、進路を考える際にどんな職業に就こうか様々なジャンルで考えていて、メディア以外の業界に進んだ先輩のお話しを聞きにいったりもしました。というのもアナウンサーになるのは、ちょっと怖かったんですよね……。
――それは何か理由でも……。
アナウンサー試験は、特殊ですよね。私は就活を始めるまでアナウンススクールにも通っていなかったので、アナウンサー試験は未知の世界。想像するだけで緊張して無理だ、と思っていました。
でも、先輩から「とりあえず受けるんだよ!」と優しく怒られまして(笑)。アナウンサー試験は他の職種よりも早いし、この経験は他の職種を受ける時にもきっと役に立つから、受けるだけ受けたらいいと。
ここまで言われたらエントリーするしかないと思いました。
――アナウンサー試験は、自信を持って臨めましたか?
いえ、もう初めての事ばかりで圧倒されてしまって……。しかも試験中も、井上という名字はあいうえお順だと早く回ってきてしまう。どうしようと心の準備もできないまま参加していました。
福岡に戻るつもりで上京― 井上清華がフジテレビアナウンサーになるまで
「めざましテレビ」のメインキャスターで、今年から「ホンマでっか!?TV」の進行役も務める入社5年目の井上清華アナウンサー。彼女はなぜ、フジテレビのアナウンサーになったのか。その知られざるストーリーに迫った
フジテレビアナウンサーたちの素顔と本音vol.2 井上清華 前編

アナウンサー採用試験を受けた意外な理由を告白

フジテレビの選考は「楽しかった」
――今アナウンサーとして働かれているということは、試験はうまくいったんですね。
決して上手くできた訳ではないのですが、試験中、カメラの前に立ったらとにかく楽しかったんですよね。試験対策とか考えず、何も知らず何が正解かもわからずに臨んだことが、功を奏したのかもしれません。
そして、選考を経るにしたがってアナウンサーになりたいという想いが強くなりました。
――フジテレビの選考を受けた際の印象深いエピソードがあったら教えてください。
人事部員の距離が他局に比べて近かったのを覚えています。良い意味でフレンドリーで、選考中にもかかわらず、自分はもうフジテレビで働いているのかなと錯覚してしまいそうでした(笑)。
例えば、選考の前日にお天気キャスターとして番組に出演していたのですが、人事の方から「昨日、観たよ!」と声をかけてもらったりして。学生に寄り添って、少しでも緊張をほぐし、個々の本来の力を発揮できるようにしてくれていたのだと思います。
フジテレビでは伝統的に入社1〜2年目の方が人事部に配属され在籍しているんです。身近な先輩が選考から入社直後まで面倒を見てくれるので、相談もしやすく、絶対的な安心感もあります。
選考も「これ、面接なのかな?」と思ってしまうほど楽しかったです。これは最終面接までそうで、毎回、面接後はうまくいったかどうかよりも、楽かったという感覚の方が大きく残りました。

――内定をもらったときのことは覚えていますか?
はい。当時は最終面接が終わって、合格の場合は連絡を受けてから会社に向かうことになっていました。お台場で結果を待っている間、試験期間中だったのでカフェでレポートを書いていて、その最中に電話がかかってきました。
現実とは信じられないふわふわした気持ちもありつつ、とにかく嬉しかったのを覚えています。
最大の壁!? 父との約束は……
――内定を得てから、もう1つ大きな壁があったと思います。近年は就職の際にもご両親の意向が強く反映されるケースがあると聞きます。井上さんもお父様と「就職は福岡へ帰る」と約束していましたが、フジテレビから内定が出た時は、どのようなやり取りがありましたか?
東京のキー局を受けると伝えた時は、「福岡に帰ってこないとダメだよ」と言っていました。受かると思われていなかったんですね(笑)。
ただ、私が結果を出せば父は最終的に認めてくれると信じていました。アナウンサー試験も、戻ってこないとダメだよと言いつつ、フジテレビから内定をもらったと伝えた時はとても喜んでくれました。
ですので、特に説得するまでもなく「フジテレビから内定をもらったのであれば、何十年後かに福岡に帰ってきなさい」と送り出してくれました。
――それはよかったですね。最後に、これから選考を受ける就活生にアドバイスをお願いします。
これは就職だけに限らないかもしれませんが、何かを選択したり、されたりする時には、縁や相性、タイミングが大きく影響します。私も選考が1年前後していたら、1つ何かが違えばフジテレビからの内定は無かったかもしれません。
もし、仮に自分の希望通りにならなくても、長い目でみれば何が最善かは分かりません。それが最終的に自分の人生にとって必要な事柄だと信じて、私はいつも乗り越えようとしています。
就活中はこれまで味わった事のない気持ち、嬉しいことも苦しいこともあると思います。
いつか、近いかもしれない、遠いかもしれない未来で振り返れば、皆さんにとって今この瞬間に進んでいる道も、ベストな道であるはずです。そう考えると私は少し楽になります。諦めずに頑張ってください。応援しています。

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撮影/猪原悠