何をやっても注目を集める会社Appleは、何もやっていない間も話題になる。世界中のApple好きブロガーたちが、まもなく登場するかもしれない新製品の“噂”で盛り上がるのだ。
今年に入ってから話題になり続けているのは、通称「Apple Glass」––現実空間にデジタル情報を重ね合わせて表示する拡張現実技術を実現するメガネの噂だ。もちろん、Apple公式の情報ではない。「Apple Glass」という名前も、勝手につけられたものだ。
「Apple Glass」の噂が出たのは、今年が初めてではない。実は昨年も、一昨年も話題になった。2013年にGoogleがメガネ型機器「Google Glass」を発表して以来、毎年噂され続けている。同じく噂の絶えないAppleの電気自動車「Apple Car」と並んで、Appleファンの“恒例行事”となっている。
年初に「今年こそは」と盛り上がり、しばらくして発売時期や価格について具体的な噂が流れる。しかし、時期が近づくと「計画は延期されたらしい」と噂が流れ、本当かわからないままに終息する…その流れの繰り返しだ。
今年もすでに噂は一巡し、最新の噂では、発売計画は2026年以降まで無期限で延期されたと言われているようだ。もっとも、おそらく来年初めには皆そのことを忘れ、再び「今年こそは」と話題にするのだろう。
ただ、今年が例年と違ったのは、これまで比較的高い確率で新製品情報を当ててきた米国のニュースメディア「Bloomberg」のアナリスト・Mark Gurman氏が、製品についてかなり具体的に描写したことだ。

Apple社は過去には「公式発表→開発中止」したことも。「3000ドル前後で発表間近」と噂されるARヘッドセット「Apple Glass」は、本当に発売されるのか?
長らくファンの間で話題になり続けている、AppleによるARヘッドセットの開発および発売。今年に入ってからは「6月のWWDCで発表」「価格は3000ドル前後」などと、かなり具体的な情報も飛び交っている。果たしてAppleによるAR/VRヘッドセットは本当に発売されるのだろうか。(トップ画:Mr.Mikla/Shutterstock.com)
「噂情報」との正しい向き合い方
Appleの「ARヘッドセット」がいよいよ発売 !?

長らく話題に上り続けているAppleのARヘッドセット。写真はイメージ(Shutterstock/Mr.Mikla)
最新情報では「2026年以降に無期延期」?
ひと口に噂記事と言っても、それらは「根拠のない憶測記事」「根拠のある記事に自分の憶測を加えて差別化した記事」「工場や関連会社から漏れてきた情報を元にした記事」、そして「Apple社内から漏れてきた情報を元にした記事」の4つに大別できる。
Mark Gurman氏による「Apple Glass」の情報は、このうちもっとも信憑製が高い「Apple社内から漏れた情報を元にした記事」だった。
製品開発担当者の名前や「RealityPro」という製品名、3000ドル前後という価格、ソニー製の高解像度ディスプレイが搭載されること、さらには装着した人の視線を追跡する内向きのカメラと、手の動きを追跡する外向きのカメラを備えていること。そして先進的なビデオ通話がウリのひとつであることなど、製品について、かなり詳細な描写を伝えていた。
また、メガネ型機器のOS名といわれる「realityOS」の商標を、昨年Appleのダミー会社と思われる企業が獲得したことも、この噂に信憑性を与えていた。
Mark Gurman氏は今年1月の時点で、このデバイスが4月頃にも発表されるとしていたが、その後、6月に開催されるWWDC(Worldwide Developers Conference=世界開発者会議)で発表し、2023年内に発売と情報を修正。もしそうだとしたら、約3000ドルという価格は、一般向けモデルではなく、開発者用機材の価格と考えると納得がいく。
しばしばAppleは開発者に対して次世代商品の威力を発揮するアプリの開発を呼びかけるが、そのために提供される開発機材は、この程度の価格になることが多い。
ただ、その後になって、Bloombergの一連の報道に被せるように、発表は2026年以降に無期延期という噂がいくつか、まことしやかに流れてきた。

日本時間6月6日〜10日に開催される「WWDC 23」
増え続ける噂情報の弊害
正直、これらの噂がどの程度真実かは、筆者にはわからない。
シリコンバレーで交流会などに顔を出すと、普通にApple社員に出会う。口の堅い社員が多いが、ゆるい社員もいる。そうしたところから情報が出てくるのはごく自然なことだ。実際、筆者自身もこれまで幾度となく社内エンジニアからさまざまな開発中製品の噂を聞いてきた。
たとえば、iPodが大成功したあとにAppleが音楽制作のための機器を開発していたという噂があった。これに関しては、Apple社内の複数のエンジニアや外部の関連している会社でも裏が取れた。
外部の会社からは「製品はほとんど完成している」と何度か聞かされたが、ついにその製品が発表されることはなかった。
いや、噂だけではない。Appleの場合、一度正式発表した製品ですら、出荷直前に開発中止になった例がいくつかある。最近ではiPhoneとApple WatchとAirPodsが同時に充電できる充電マット「AirPower」という製品がまさにそうで、発表だけされて製品化されなかった。

2017年9月にiPhone Xとともに発表された「AirPower」は、最終的に開発中止となった
Appleは、たとえ製品がほぼ完成していても、出さずに引っ込めることができる会社だ。一度、出してしまった製品は世界中で大行列を作る人気商品になり、1年間で桁外れな数が出荷される。それによって、ブランドとしても大きな責任が発生する。
同社にとっては、ブランドにそぐわない品質の製品を出荷してしまうよりは、たとえ開発コストが無駄になったとしても、出荷を撤回したほうがダメージが少ない。
そう考えると、Apple関連の噂話は、話半分で見聞きしたほうがいい。無責任な媒体の中には、ただの噂話をあたかも既成事実かのように書いているところもある。
最近、製品購入後、「噂で聞いていたのと違う」といった類のツイートをしている人を見かけることがあるが、噂はあくまでも噂。公式情報ではなく、さすがのAppleもそこまでは責任は負えない。噂を信じて騙されてしまうことは、ある意味、その人の自己責任なのだ。
噂情報からは、プロダクトの真の姿は見えてこない
先ほど噂の種類の1つとして「工場や関連会社から漏れてきた情報を元にした記事」と書いたが、これらは中国の工場から流出した組み立て途中のiPhoneやその部品、製品パッケージの印刷情報を元にして、「おそらく、ここがこういう形になっているのは、こういうことだろう」という憶測であることが多い。
だが、たとえばあなたが使っているスマートフォンについて、他の人に「カメラは○○社のもので、ディスプレイは××社、プロセッサーは○○を搭載」と教えたところで、そのスマートフォンの魅力が十分に伝わることはないだろう。
人は情報を得ると、それだけで何か知った気になれてしまうが、製品で大事なのは、そうした部品をどのように統合して、どのような体験を生み出しているかである。部分的情報の寄せ集めだけでは、そのプロダクトの真価はまったくわからない。

ただ、Apple関連の記事を載せると、それだけで一定数の読者を獲得できる。そして、物欲を刺激するガジェットや面白いアプリ/サービスといったクリックされやすい広告が関連に表示されやすくなり、その結果、広告収入も上がりやすい。だから、Appleの噂情報を扱うブログサイトなどは、絶えずこうした情報を掲載し続ける。
残念ながら、こうしたサイトのほとんどは自らが情報源となっていることはなく、他のサイトで見かけた情報を伝言ゲームで伝えているだけだ。憶測に憶測を上塗りした情報だって少なくない。
いや、Appleが情報源だとしても、必ずしも正しいとは限らない。
5月10日、あるApple女性社員が解雇された。彼女が不用意に自宅で話していたAppleの社内情報を、その兄が噂サイトで流していたことが特定されたのだ。このとき、Appleは情報漏洩の出所を調べるためにあえて本物の情報に嘘の情報を混ぜて社内で流通させており、これが犯人の特定に繋がったという。
Appleの社内情報を事前に流せばネットで大きな注目を集めたり、大きな褒賞を得られる可能性がある。以前には中国のiPhone製造工場で製造中のiPhoneを横流ししていた犯人が特定され、自殺に追い込まれるという悲劇もあった。
ただの憶測記事など、エンターテイメントとして楽しめるものもあるにはある。これらは割り切って楽しむ分にはいいが、噂情報と公式の情報をちゃんと区別できない人は、あまり触れないほうがよい。
ティム・クックCEOは、AR技術そのものは肯定
最後に少しだけARの話に戻そう。
Appleのティム・クックCEOには筆者も何度かインタビューしているが、メタバースなどを含むVRにはあまり関心を示していない一方、これまでに何度かAR、つまり現実空間の上に情報を重ねて表示する技術には「可能性を感じている」と語ってきた。
VRは、たとえば設計中の建物を内側から検証するといった一部のプロフェッショナルには有用であると実証されているが、それ以外のエンターテイメント用途にはなかなか定着していない。最近では社名を変えてまでメタバースへの本気度を見せていたMeta社(旧Facebook)がメタバースではなくAIに舵を取り直すなど、風向きがあまり良くない。
ARに関しても、ビジネスコミュニケーションや教育用途では、いくつか面白いケースが出てきているが、果たして人々が日常的に使うような応用事例が出てくるのだろうか。筆者は疑問に思っている。
ただ、そうした面白い事例を提案し、確立させられる会社があるとしたら、テクノロジーよりも消費者目線でのデザインを重視するAppleこそが筆頭候補だろう。その点では、少し見てみたい気もしている。

文/林信行
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