「アナウンサーなのに」という批判をもらうことは想定の範囲内 岩本アナの挑戦 はこちらから

「テレビを見たから助かった、という人ができるだけいてほしい」日本テレビ・岩本乃蒼アナウンサーが「news zero」を卒業、会社を休職し、その間学ぶ「防災の修士課程」とは_1
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休職を決意した経緯

──学生時代に「ノンノ」のモデルを務めるなど、タレント活動をされていた岩本アナ。アナウンサーを目指したきっかけを教えてください。

2010年12月に『ZIP!』のオーディションに合格し、2011年4月の番組の旗揚げと同時にリポーターとしてデビューしました。それが大学2年生の春。

東日本大震災からまだ3週間しか経っていない頃に、『ZIP!』が始まったんです。私が初めて読んだ原稿は、宮城県でコンビニのチキンが復活したというニュースでした。

余震がまだ多かった当時、ニュースを担当していた馬場典子アナウンサーが冷静に状況を伝えながら、私たち出演者に対しても「心配しなくていいよ」と安心感を与えながら番組進行していて。

その姿があまりにもカッコよかったんです。『ZIP!』に出演し始めてまもなく、「日本テレビで働きたい」と思っていました。

──入社して9年。5月からは配偶者の転勤を機に「キャリアサポート休職制度」を使って休職し、その間大学院で防災について学ぶそうですね。岩本アナがお仕事で大切にしてきたことは?

自分の中でライフワークにしているのは、やはり災害報道です。

アナウンサーを目指したきっかけでもありますし、テレビを見たから助かったという人がひとりでも多くいてほしい。そう思って報道に関わっています。

3.11のときに自分がまだアナウンサーではなかった後ろめたさはずっとあって。経験していないからこそ、その足りない部分を埋めるために学び続けていかなければいけない。知らないことを自分の目でしっかり見て、取材していきたいと常に思っています。

日本は地震だけでなく水害も多く、『news zero』では毎年のように取材しています。

被害に遭った現場に行くと、被災した方に「もっと早く言ってくれたら逃げられたのに」と言われたことがずっと心に残っていて。もっと他に呼びかけができなかったのか、自問することが多くありました。

――番組を卒業して休職、という選択は簡単なことではなかったと思うのですが、改めて休職を決意した経緯を教えてください。

コロナ禍でニュースの現場に直接取材にいけないなど、それまで全力で臨めていた仕事ができない時間を経験したことで「このままでいいのかな…」という悩みや不安は常にあったと思います。

自分を育ててくれた番組を自ら離れる決断は、簡単ではありませんでしたが、配偶者の転勤帯同や、資格取得・留学などによる休職を可能にする「キャリアサポート休職制度」を、夫の転勤を機に利用してみようと決意しました。

防災の分野についてしっかりと学んで成長し、番組や見て下さる方に還元できるアナウンサーになって戻ってきます!

――防災を修士課程で学ばれるということなのですが、どういった内容になるのでしょうか?

まだ入学前(取材時)なので、自分でもどうなるのかわからない部分もあるんですが…。

修士課程ですので、授業を受け体系的な学びを深めるだけでなく、自身の研究を進める時間が多くなると思います。

私自身の伝え手としてのスキルアップはもちろん、日テレアナウンス部の防災報道力の底上げの一端を担える存在を目指します。

──報道に関わっていて、やりがいを感じたことは?

2019年の台風15号で、千葉県の鋸南町に取材に行った時のことです。

「停電していることをテレビで伝えてくれたから、知人が助けにきてくれた」と、のちに手紙のやり取りでおっしゃっていただいたことがありました。

そうして、支援の輪が広がるきっかけになれたと聞いた時には、自分を褒めてあげたくなりました。

──被災者の方と手紙のやり取りをされているんですね?

これまで多くの場所で取材してきましたので、全員の方とはいきませんが、ご縁があってずっとやりとりさせていただいているご家庭はあります。

生活の変化や、復興にどのくらい時間がかかるのか、長く取材をしないとわからない部分もあるので、お話を聞かせてくださる存在はとってもありがたくて。

これからも熱い思いを持って、取材を続けていきたいと思っています。

「テレビを見たから助かった、という人ができるだけいてほしい」日本テレビ・岩本乃蒼アナウンサーが「news zero」を卒業、会社を休職し、その間学ぶ「防災の修士課程」とは_2