「えー・・・。『鍛錬』とかですかね。でも、鍛錬だと苦しい、辛い意味が入ってきちゃうので、本当に厳しい、しんどい練習も自分は苦ではなくて。そういう時、“スケートが好きなんだな”って思います」

インタビューをするたび、独特の感性が光る。難しい、角度を変えた質問にも、彼女は少しも淀みなく、すらすらと答えることができた。日ごろから自分自身と向き合っているからこそ、だろう。

――スケートに出会った4歳の知子ちゃんにタイムマシンで会えるとしたら、なんと声を掛けますか?

その質問にも、宮原は奥ゆかしい笑みを浮かべ、自然な様子で答えていた。

「『こんなに楽しいことを見つけてくれてありがとう』って。なんて返してくるか? んー、『そんなに楽しいの?』って(笑)。性格はシャイで、内弁慶な子で、当時は教室でもかなり変わっている生徒でした。先生に『みんなで手をつないでやりましょう』って言われても、誰とも手をつながず、全然違うことを一人でやる感じで。たぶん、自分のやりたいことがあって、それをしたかったんだと思いますが」

己自身がそれを決め、従い、そこで手を尽くす。周りが驚くほどの鍛錬によって、作品として違いを示し、彼女だけの世界を作り上げた。

「自分には厳しいほうかもしれません」

選手としての幕を下ろした後、彼女は健やかな笑顔で言った。

「それがなかったら、もう少し気楽に試合できたかなって。ただ、完璧さを求めすぎたのはあるかもですが、それが自分の特徴だったのかなとも思います。0か100か、でしかできない選手で。ちょっとできるし、大丈夫かなで入って、いけるやろ、というのもあっていいのに、自分の場合、絶対にできる確信がないと(試合で)できない。そこがいいところで(もあり、)弱点でもありました」

精魂込めたプログラムは唯一無二だった。それは人々の記憶に残る。フィギュアの歴史の一部だ。

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